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三話-侵略者

「こっちからは来ていないそうだ!」


 反対から声が響き渡る。大宮家の方からは来ていないということだ。すなわち相手はこの1人。

 その声に返事をする時間はなかった。


 村人の前に立ち塞がる紅南と少年へ、化物が迫る。


(どうしよう)


 紅南は動けない。


 少年は能力を用いることを躊躇しなかった。迫り来る化物と自分達の中間地点に、小さな水の壁を生成する。


――本当は攻撃したいけど


 さっきのように巨大な水の塊を生み出そうものなら、きっとしばらく立てなくなる。その間、この様子だと紅南は宛にならないし、かえって危険になる。

 それでとっさに制御できそうな距離で壁を作ったはいいが、これからどうしようか。

 少年の背を冷や汗が伝った。


 彼が作った水の壁は、その実一切の防御機能を持ち合わせていない。ただ物理法則に逆らって四角く成形されただけの、無害な液体だ。

 顔を突っ込んだところで何も起こらないし、避けることも造作ない。


 化物が減速しているか否か判断がつかない。いずれにせよ異様な速度に変わりはないのだから。


(何とか強度を増すことができれば)


 少年はさらに神経を集中させる。


(そうすれば、打撲で、あるいは)


 果たして強度は今どうなっているのか、彼に確認する術はない。壁を突破されてしまったら、次の手段を考えなければなるまい。

 少年は喉から溢れそうな心臓を呑み込みながら、必死に頭を働かせた。


 化物の指先が水の壁に触れる。その手は弾かれることなく、水の中に入って、こちらに迫ってくる。


――だめか


 絶望している暇はない。少年は水を化物の腕に這わせた。


 いずれ口に到達すれば。


 やつらにとっても、きっと溺死は死因になりうる。さっき水塊の中もがいていたから。

 腕を道標に口まで水を運ぶことができれば、勝機はある。


 だが少年の健闘虚しく、水が化物の気道に到達することはなかった。


 化物が少年らに辿り着いたのではない。


 化物が、足を止めて数歩後退したのだ。


 後退した化物は腕についた水を振り払う。振り払われた水は勢いよく地面を抉った。

 地面に落ちてしまった水は操ることができないようだ。少年は壁を消しながら小さく舌打ちする。


 倒すチャンスを失った。また1から策を練り直さなければならない。

 そして同時に、命の危険を回避した。落ち着いて情報を整理し、相手について分析することができる。

 加えて、化物が溺死することがほとんど確定した。


 考える余裕が出た少年は、地面に化物の足あとが残っていることに気が付く。

 一歩の大きさは、だんだん小さくなっていた。


(なるほど)


 少年は軽くほくそ笑む。


(戦える)




「君は後ろにいて」


 少年は紅南に命令した。どうせ戦わないのなら、下がってもらった方が少年としては動きやすい。

 彼女としても、戦うことがわかっているのに進んで前線に出る理由はない。そもそも彼女の目標は、話し合いによる和解だ。

 紅南は素直に後退した。


(さて)


 少年の視線の先では、化物が指先の液体を気にしている。水の壁に対して歩幅をだんだんと狭めたことからも、未知のものを警戒するだけの知能はあるようだ。

 人間を餌などと呼ぶ存在であるにも関わらず、必ずしも人間のことを見下さず、考えなしに襲ってはこない。人間と同程度の理性を持ち合わせているのか。

 であればこちらも力任せに戦うわけにはいかない。


「ねぇ、さっきの人じゃない?」


 次の手を考える少年の後ろから、紅南がこそこそと声をかけた。少年は化物に意識を向けたまま続きを促す。


「服とか濡れてるし、顔とか服装もさっき見たような気がしないでもない!」


 服? 少年は目を凝らすが、確信は持てなかった。

 濡れているようにも見えるし、ただ光の入り方でそう見えるだけの気もする。


 しかし確かに服装には見覚えがある。ついさっき山であった、少年が水で押し流した個体と同じだ。


 そうなると、相手は十分な状況判断能力があるはずなのに、どうして少年がいる群衆を襲ったのだろうか。

 人間程度の視力があれば、特徴的な装いの少年のことは判別可能だろうに。


 大量の水による攻撃は怖くないということだ。

 大量の水を出した後に少年が立てなくなるところを見ていたなら、最初の水さえ避ければいいと考えてもおかしくない。


 では、なぜ今立ち止まっているのか。


 少年が水を操れるとしたら不都合なのだろう。

 それはつまり、自身が水によって倒されると示しているようなもの。少年に勝機があると態度で示しているようなものだ。


 少年は先程の自身の分析が間違っていないことを確認し、隙を探る。




「そこで動かないでよね」


 少年は紅南にくぎを刺す。


 現状、確実かつ安全に相手を倒すなら、水を安定して生み出せる距離にまで接近し、直接口の中に水を生成するのがベストだろう。

 これまでの相手の戦い方を見る限り、相手は近距離でしか戦えないようだ。だから相手に近づかれる前に溺死させる。

 相手の移動速度を考えると他のことに気を配る猶予はない。紅南には余計なことをしないでほしかった。


 まっすぐ前を見据えている少年に紅南は不安を覚えて、少年と化物の顔を交互に見比べた。


「どうするの?」

「一気に片付ける。君はどうせ戦えないなら、せめて邪魔しないで」

「――でも、それは!」


 少年は紅南の言葉を最後まで聞かなかった。先手を打ちたい。悠長に会話している場合ではない。


 右足に力を込めて、勢いよく前に飛び出す。1歩で数メートル前に進んで、数歩進んだころには十分水を操れる距離まで近づいた。

 想定以上の速度に戸惑いながらも、少年は相手の口元に狙いを定める。


「待って!」


 紅南のつんざく叫び声。

 少年の意識が逸れた一瞬の隙をついて、化物は大きく横にずれる。


 少年は的をはずした。


「邪魔しないでよ!」

「でも! 戦わなくても、話し合えばきっと――」

「はぁ!?」


 この期に及んでまだそんなことを言うか。こっちは命を賭して危機を脱そうとしているのに、外野からそんな甘ったれたことを言うのか。

 少年の中に憤りと不信が沸いてでる。


 紅南になど構っていられない。化物の方に視線を戻した少年だが、その視野に敵はいなかった。


――どこに行った?


 激しく打ち鳴らされる心臓に呑み込まれないよう、少年は思考を巡らせる。決して隠れる場所は多くない。いるとすれば、建物の陰か――。


――死角


 間一髪。避けた少年の額を蹴りがかすめる。

 やはり近距離の攻撃法しか持ち合わせていないようだ。だから近づいてきた。気付かれないよう、死角から。

 しかし、これだけ近ければ少年からしても好都合。狙いをつけやすくなる。


「まだ『待って』とか言うつもり?」


 少年の問いに、紅南は押し黙った。


 答えが何であろうと行動を変える予定はなかったが、理解してくれたならそれでいい。

 少年は次の攻撃が来る前に、敵の口内を水で埋め尽くす。飲み込もうものならさらに多量の水を生み出す。


 化物は最後に弱々しく拳を付き出し、地に倒れた。




 化物は地を這いつくばい、空気を求める。


 一仕事終えた少年は、服についた汚れなどを探し、落としていく。足元に落ちている化物からのんきに距離を取りながら、村人たちが集まるところへ引き下がろうとした。


 彼と入れ替わりに前に出たのは、紅南である。


「何してるの」


 少年が足を止める。紅南は化物に駆け寄り、心の底から憐れみを見せた。


「ねぇ……もうやめない? 苦しそうだしさ――」

「はぁ?」


 見れば、まだ化物は絶命しておらず、虚ろな目で少年のことをにらむ。苦しんでいる、と同時に、隙を窺っているようにも見えるが。


「まだ生きてるんだ」


 少年はあくまで冷静だった。もはややつは脅威ではない。


「ねぇ、話せばきっとわかるよ」

「わからないよ。というか、僕は別にわかり合いたくない」


 少年は踵を返し、紅南のいる方へと近づいていく。


「わかるよ、きっと。攻撃しちゃったらさ、お互い、もっと受け入れられなくなっちゃうよ」


 紅南の言葉は、少年だけでなく化物にも向けられたものだった。両者とも、彼女に同意する様子はない。

 紅南の隣に立った少年は、化物に人差し指をつきだした。


「――何してるの?」

「さっき、彼が水を振り払ったとき、地面に跡がついていたでしょ。それを応用しようと思って」


 紅南は、彼の言うことがわからなかった。

 黙って眺めていたらその指先に小さな水球が生まれて、ようやく彼の言わんとすることを理解する。


「だめだよ! ねぇお願い、仲良くしたいの! だって――」

「どいて」


 少年の冷たく残酷な台詞。紅南はなにも言うことができず、しかし諦めることもできなくて少年の前に立ちはだかった。


 少年から、化物の姿が死角に入る。

 紅南の後ろで化物が動く。


 化物に突き飛ばされた紅南が、声の限り叫んだ。


「やめて!」


 少年へとまっすぐに飛びかかる化物。

 少年は照準をその頭に合わせる。


 少年の指から水が消えると同時に、化物の頭が弾け飛んだ。


「――お願い」


 紅南は膝から崩れ落ちる。


 言葉を失う彼女に一言文句を言ってやろうとした少年は、次の瞬間、目の前が真っ白になって何も見えなくなった。


――あれ


 指先から生気がすべて奪い取られるような感覚。


――しまった


 少年は重力に抗いきれず、おもむろに瞳を閉じ、地面に倒れた。

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