四十話‐裏切り
2つの懐中電灯の光が交差して、この場所だけは昼のように明るく照らされている。
仁志は厳しい表情を緩めなかった。アスカへの警戒も怠らず、まずは妙な指示を出した希子に疑惑の眼差しを向ける。
「一体どういうつもりだ」
「だって、子供に聞かせる話じゃないと思うのよ。難しい話は大人だけで済ませちゃいましょ!」
希子は笑顔で答えた。40年以上の付き合いがある仁志の目から見ても嘘をついているようには見えない。
反論しようにも間違ったことを言っているわけではないから言葉に困ってしまう。
強いて言い返すのならば「仁奈がここにいるのは『大人だけ』という条件と矛盾しているではないか」という点だけれど、彼女がここにいるおおよその理由は推測できる。
仁奈には大宮家の人間として、今後もしばしば仁志の右腕として動いてもらうかもしれない。
だから情報を共有するに越したことはないのだ。
実は理由は他にもあった。
どうせ退席させてもツクモに関する情報が得られる可能性が1ミリでもある限り仁奈は隠れて聞き耳を立てるだろうし、場合によってはアスカの寝首を搔くタイミングを窺うだろう。なので退席させるだけ無駄だし危険だと希子は判断したのである。
これらは仁奈とアスカやツクモとの関係を知らない仁志には推測できない内容であるが、ともかくも仁志は仁奈について問わないこととした。
希子は仁志からの尋問が早々に終わったことを察するとすぐに質問側に転じた。停滞した空気を避けるように。
「それで? アスカさんから何か話を聞くんでしょう。何を話してくれるのかしら」
「何から話せばよろしいでしょう?」
楽しそうに笑う希子と仮面のように笑うアスカが向かい合う。
希子は相手の様子を窺うように少し首を傾けて、声のトーンを落とさずに答える。
「アスカさんが話したいことを話すといいわ」
「ふふ。では紅南の面白いところを100個ほどお話しましょうか」
「いいわね! ぜひお聞きしたいわ!」
アスカの目の端がピクリと動いた。何を言っているのだこいつはという不審の眼差しを向けて零コンマ数秒動きを止める。
しかし仮面が剥がれかけたのは一瞬で、アスカはすぐ手で口元を覆い笑った。
「ふふ、冗談ですよ。あなたのご主人に怒られてしまいます」
「あら残念」
本当に残念そうな希子を見て、アスカはもう動揺はしなかった。
視界から彼女を外すように仁志のほうへと向き直り、笑顔の仮面を改めて付け直す。
何を話そうかと無言で圧をかけるアスカに、仁志はひとまず深く息をついた。
希子はのんびり談笑していたが、そもそも彼が信用するに足る人物か全くわかったものではないのだ。
「まずは、君がワシらの味方かどうか問おうか」
「……ご存知かと思いますが、私は人間ではありませんよ?」
アスカは化物の姿になってみせた。
攻撃してくるわけでなくともその姿はやはり異様で、妙な威圧感がある。
大宮家の3人は表情を崩さない。希子に至っては子供のように手を叩いてはしゃいでさえいる。
仁志は杖をキツく握りしめながら、あくまで余裕を感じさせる雰囲気を保った。
「そんなことは聞いておらん。村の敵なのか、否か。それが全てだ」
「これは答えにならない、と?」
「それが答えだと言っているのか?」
「……いえいえ! そういうつもりではございません」
アスカは人の姿に戻った。敵意がないことを示すように手をパッと開いてヒラヒラと振ってみせる。
「あなた方の敵はいたしませんよ。紅南とそういう約束をしていますから」
「そうか。今はその言葉を信じることとしよう」
案外あっさりと受け入れられて、アスカは不敵に微笑んだ。含みのある笑いの裏で、アスカの内側には悪い思い付きが膨らんでいく。
そんな思い付きは一旦呑み込んで、アスカは再度確認を行った。
「それで、何からお話しすれば?」
「無駄なことはいい。この村にとって必要なことを話したまえ」
「村に必要なこと、というと?」
相変わらず胡散臭い笑顔を浮かべながらアスカは問う。
仁志は少し逡巡した。僅かに口を開いて視線を落とす。
「……村が勝つにはどうすればいい?」
心の声が漏れたような弱々しいその言葉に、アスカはにやけ顔を止めようともしなかった。強者が余裕をなくしている様は見ていて面白い。
笑われていることに気付いて、仁志は姿勢を正してアスカを睨んだ。
「こうも正直に来られるとは! 普段の威勢はどうしたのです。不安になってしまわれたのですか?」
「ワシらは君たちのことを何も知らんのだ。自信も不安もない。ただ勝つためにすべきことをするだけだ」
「なるほど、そうですか」
アスカは仁志の言い訳を聞くうちに興味を失ってしまった様子である。もう少し混乱してくれたら面白かったのにと思いながらどうでもいいと言いたげにドライに返答する。
仁志はと言えば、アスカにあしらわれた後はすっかり口を噤んでしまった。
一瞬の沈黙。
希子が何か言おうかと言葉を選んでいる間に、悪巧みするように笑ったアスカがつ少しワクワクを取り戻した調子で口を開く。
「まぁしかし、村が勝つのは全く難しい話ではございませんよ。お孫さんのモノを消す能力を使えば。……あの能力はあなたもお使いになるのでしょうか」
「あぁ」
「そうですか。ともあれ勝敗は一瞬で決します」
アスカは人差し指を口に当てた。彼の指示通り皆静まり返り、アスカの次の言葉を待つ。
「紅南の家を、異世界の入り口ごと消し飛ばしてください。それで勝てる」
希子の肩がピクリと動く。それどころではなくて、彼女の笑顔が凍ったことには誰も気付かない。
希子は警戒するようにアスカのことを見たが、結局何も言えなかった。アスカはまた面白くなってきたみたいで微笑が満面の笑みに変わっていく。
「……紅南の家?」
仁志の疑問はもっともである。希子が無言で睨む理由は仁志には伝わらない。
言葉で遮るほかない。そう思って希子は口を開こうとしたが、アスカが答える方が僅かに早かった。
「紅南も私たちと同じ、人ならざるものですので」
仁志は目を大きく見開き、希子は冷や汗を隠して口をつぐむ。仁奈は静かにアスカを睨んで落ち着いていた。
アスカは中でも仁志のポカンとした表情を見て満足したようである。
「いえ、少し論理が飛躍していましたね。現在、紅南が住んでいた家に鬼が集まっているのです。ですから――」
「ま、待て」
仁志の焦っている顔が見られてアスカは楽しそうだった。仁志の希望通り話すのをやめてフォローはしないでおく。
仁志は親族の方を振り返った。
2人ともショックを受けている様子ではない。希子は気まずそうに目を逸らす。
「知っていたのか」
「えぇ……まぁ、ついさっき、色々あって?」
希子は愛想笑いで誤魔化しつつ、仁志に気付かれないように横目でアスカへと睨みを利かせている。
アスカは尚も変わらず面白そうに笑っていた。
「仁奈も知っていたのか」
「いいえ? ただ、薄々そうなんじゃないかなって思っていただけよ。昔から異様に運動神経もよかったし、目の色も少し赤みがかっているでしょう。とはいえ紅南にあくどいことができるとも思わないから、今回の件とは無関係なのかしら」
「は――?」
仁奈の冷たい分析に、仁志はとうとう言葉を失って頭を抱えた。
こんな様子は初めて見るわね、と希子と仁奈は半ば他人事のように眺めている。
しばらくして、仁志は大きく息をついた。
「いや、いい。話の続きを聞こう。細かい話は後だ」
「おや、もうよろしいのですか」
意味深なアスカの返答に仁志はうんざりして睨みを利かせる。
アスカは苦渋を飲んだような仁志の表情を見て満悦の笑みを浮かべた。
「アジトとなるあの家を維持することが紅南に与えられていた任務だったのです。まぁ、そのことすら紅南はほとんど知らされていなかったのですが」
アスカは仁志の反応を窺ったが、仁志は先ほどまでのような動揺は見せなかった。期待はずれでアスカは心が冷めていくのを感じた。
わざと含みのある言い方をしたが、実際のところ、紅南に教えられていたのは「この家で生活していく」ということだけである。
アスカは嘆息して肩を竦めた。これ以上からかおうとしても時間の無駄のようだ。
「鬼がこちらにやってくる際の主要な入り口は紅南の家の裏にあります。あの家を丸ごと消してしまえば集まった鬼を一掃できますし、ついでに入り口も消せば新たに鬼がやってくることもありません。それが必勝の作戦です」




