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平和主義者の食人鬼共生奮闘記  作者: 冷瑞葵
二 銘々の胸裏
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三十六話-包囲

 こうして空の心を掻き乱すと、化物はスッと笑顔を消して空にはもう興味がなくなってしまったというように窓の外を振り返った。

 空が動き出そうとするのを、口の前に人差し指を立てて制止する。


 何か物音でも聞こえるのかと耳を澄ませ窓の向こうに注意を向けた空は、ずっと遠くに青白い光を見た。

 照明を付けたり消したりするようにチカチカと遠くの景色が瞬いている。


「何あれ」


 空の呟きを完全に無視して化物は窓の外を見続けた。空はその横顔を見て初めて余裕のなさを感じた。

 赤黒い痣のような紋様のせいであまり表情は見えないが、口は半開きのまま、僅かに眼球が揺れている。


「……あそこに向かう。ついてこい」

「――は!?」


 空の叫びは聞き届けられない。

 満身創痍の空は無理やり戦闘現場に連れていかれて、「足止めしろ」と命じられ、半ば八つ当たりをするようにアスカに水球をぶつけた。


「これでいい?」


 空の呟きの真意は、アスカや他の2人には届かない。




 アスカは水浸しになりバランスを崩しながら思考を巡らせた。

 彼――たしか「空」という名前の少年からは殺意は感じられない。彼にあるのは不愉快と、少しの恐怖。


 だが空に殺意はなくとも、他の者はそうではなかった。

 アスカに突如眩い光がぶつけられる。焼けるような全身の痛みと四肢の痺れが襲う。


 アスカは膝をついて力なく咳き込み、それで仁奈に電撃を浴びせられたのだと理解した。


「ふふ、油断しました」

「……そうみたいだね」


 空はちらちらと前方の方を確認しながらゆっくりとアスカに近づく。幸い追撃は飛んでこなかった。


 アスカから1メートル半くらい離れたところで立ち止まり、疲れ果てた声で尋ねる。


「何があったの」

「色々ありまして。あなたこそどうしたのです? わざわざ首を突っ込んでくるとは。どなたかに脅迫でもされましたか」

「君の後ろにいる化物に」


 空は顎をくいっと上げてアスカのすぐ後ろに立つ化物を指し示した。

 アスカが体勢を整えるより早く、アスカの首元に刃が突きつけられる。冬の空気に冷やされて凍り付くような、そして随分覚えのある冷たさだ。


「おや、気配を消していましたか? 気が付きませんでした」

「何があった」

「特に何も。少し恨みを買ってしまったようでして」


 アスカが笑うと、刀の持ち主はより殺意を強めた。

 ただでさえひどく冷え込む夜なのに、一層冷たさが増して空は思わず身震いをした。


「一応申し上げますが、私は彼らに一切反撃していませんよ。彼らが一方的に攻撃してきただけです。刀を向ける相手を間違っているのでは?」


 仁奈のこめかみがピクリと動いたのを視界の端で確認して、空は思わず視線を逸らした。


 いつも笑顔で余裕そうにしている彼女が殺気と憎悪を纏っているのは、端的に言ってかなり恐ろしい。

 アスカは「少し恨みを買った」としか言わなかったが実際は少しどころではないのだろうし、「一方的に攻撃してきた」というのも仁奈からしてみれば納得のいく説明ではないのだろう。

 

 仁奈の殺意を知ってか知らずか、アスカの後ろに立った化物は少し横に移動して仁奈とアスカの間に立った。

 刀が仕舞われたのを確認して、アスカはよろよろと立ち上がり土を払う。


「ふふ。もしかして疑われていましたか。信用されていませんね」

「当然だろう」

「えぇ、当然ですね。信用されるはずがありません。私たちは」


 アスカは気味の悪い笑顔を浮かべて楽多の方を振り向いた。

 覗き込むように仁奈のことも見ようとするので、黒い外套の化物はアスカを睨みつける。


 アスカは粘ることもなく覗き込むのを断念して、満足そうに笑った。

 

「では、なぜ私は今攻撃されないのでしょう? 水使いはともかく、あの2人はなぜ大人しく様子を見ているのでしょうね」


 外套の化物は答えない。アスカは楽しそうに演技がかった素振りで演説を続けた。


「あの、仁奈さんと言うんですか? 彼女から面白い話を聞きました。あなたのことをご存知のようでしたよ。彼女、私とも会ったことがあるようで」

「……そうか」

「おや、それだけですか? 随分と張り合いのない。もう少し刺激してみましょうか」


 外套の化物――仁奈の推測が正しければツクモ――は再び刀に手をかける。

 アスカはそれを見てより顔いっぱいに笑顔を広げた。


「面白いですねぇ。どのようなご関係なのですか? 何のためにそこまで生かそうとするのです?」

「お前には関係のないことだ」

「えぇ、関係はありませんが、非常に興味深いもので。彼女にどのような価値を見出し、何のために懐柔しているのですか? 何か特別役に立つ要素があるのでしょうか――」

「もういいわ」


 仁奈は静かに呟いてアスカの言葉を遮った。

 驚いて言葉を止めたアスカに、仁奈はもう一度念押すように言った。


「いいわ。もうわかっているから」


 ツクモは頑なに振り返ろうとはせず、何も聞こえていないという風にアスカのことを睨み続ける。

 アスカは肩を竦めて、ツクモの隙を窺い仁奈のことを覗き見た。


「へぇ、いいんですか? 彼は人を喰らう人外ですよ? あなたとの詳細な関係は存じ上げませんが、きっと餌か道具にするつもりだったのでしょう。消し飛ばさなくていいんですか?」

「煩いわね。だから『わかっている』と言ったのよ」

「ふふ。なるほど」


 また暗号のような会話だ。

 仁奈の隣で聞いていた楽多は、今回こそは仁奈の言葉の意味を概ね理解することができた。


 つまり彼女はツクモという化物に食べられようが利用されようが構わないと言っているのだ。

 ツクモを消し飛ばすくらいなら自分の命を投げる、と。


 満足のいく答えが得られたアスカは笑顔を絶やさずツクモの耳元に小さく囁いた。


「随分と信用されているようで」


 ツクモは刀を抜いて振りかざした。

 アスカは嬉々として笑いひょいと飛びのく。頬に一筋の傷がついた。


 アスカは滲む血液を気にする様子もなく、左腕と右の上腕を横にうんと広げて大声で宣言する。


「さぁ、ここにいる全員があなたの(めい)に従います。ご指示を!」


 風が吹く。耳の端が凍るような寒さの中で人々は沈黙し、ツクモの言葉に耳を澄ませる。

 勝ち誇った表情のアスカがツクモに目配せをし、それが合図となった。


 ツクモは表情を変えなかった。刀に付着した血液を振り払って鞘に収める。


アスカ(こいつ)にはまだ利用価値がある。殺すな」

「だそうです、皆様。休戦といきましょう」


 殺気はまだ収まらない。しかし、誰もアスカを襲う人もいない。

 アスカの言う通り全員がツクモの命令に従っている。

 アスカはすっかり余裕を取り戻して、挑発するようにツクモに再び近づいていった。


「いやぁ、命拾いしました。ありがとうございます。やはり持つべきものは仲間ですねぇ」

「ほざくな。また斬られたいか」

「遠慮しておきます。それで、どうするんです? 紅南のところに戻りますか? 実のところあまりあなたとは会わせたくないんですけれど」


 再び、沈黙。ツクモはアスカの顔をじっと見つめて少し考える時間を取った。

 続いて楽多の方に視線をやる。楽多は心構えができておらず咄嗟に臨戦態勢を取ってしまった。


「ミヅキは」

「え? あ、希子さんと紅南と一緒に、まだ家に」

「そうか」


 ごく短い確認だったが、それでツクモには充分だったらしい。楽多は何も理解できないままツクモが結論を出すのをただ眺めていた。


「戻る」


 最後の指示はたった3文字の気だるそうな呟きだった。

 人間3名は感情がついていけないまま、仕方なく先導を切る化物たちの後ろを重い足取りでついていった。

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