二十五話-対峙
日が落ち始め、空と仁奈は静まり返った家に戻ってきた。収穫はない。楽多の情報も得られず、ただやはり仁奈が化物たちに襲われないというデータだけが明瞭になった。
2人は味方になりきれない距離感で、互いの監視と警戒を両立させられる絶妙な間隔を開けながら、紅南がいるはずの扉を開いた。
――もぬけの殻である。
「何で誰もいないのかしら? 目宮さんはおじいちゃんが連れていったのかもしれないけど、紅南もついていったのかしら」
「僕が知るわけないでしょ」
想定外の状況で、2人は冷静なトーンで議論を交わした。淡々と仮説を立てては捨て去り、手当たり次第片っ端から扉を開いていく。しばらくはそうしてノーデータを積み重ねていった。
2人は感情をシャットアウトしてひたすら歩いた。感情が再び浮上したのは、脳内に「この家には誰もいない」という判断がもっともらしく瞬き始めたころ。
ついに空が苛立ちを示す。
「ねぇ。君はどこまで着いてくるつもりなの? まさかずっと監視されなきゃならないわけ?」
「ごめんなさいね。でも命令なのよ。これは私がやらなきゃならない仕事なの」
噛み合わない問答は沈黙を呼んだ。
2人は自然と扉を開くのもやめ、口を開くのもやめ、同じ目的地へと歩いていく。
「誰もいないのね。ね、今日はもう休みましょう。休息も大事よ」
ようやく仁奈が口を開いたのは目的地が目と鼻の先になったときだった。このころには彼女は気持ちをすっかり切り替えており、2音ほど高くなった声にそれが如実に現れている。
「お茶でも入れるわ。緑茶が置いてあったと思うの」
「要らない。そんなにゆっくりしてる場合じゃない」
「……こんな場合だからこそでしょう?」
1拍置いた仁奈は呑気だった。空は危機感のない仁奈を睨もうとしたが、笑顔に心を抉られそうになってフイと顔を反らした。目を逸らして返答はせず、舌打ちをすんでのところで堪えて、目的地を変更する。
そしてまたしばらくは沈黙が続いた。不満を抱く空と満足げな仁奈はまたも同じ目的地を目指す。
いずれ、その行き先に異色なわき道が見え始めた。立ち入れば流しとたくさんの引き出しが迎えてくれる。台所である。
台所に到着した空は、入り口に立ったままで入ろうとはしなかった。仁奈は躊躇なく中へと入り、慣れた手付きで茶を沸かす。
「あら、入らないの?」
「無警戒に袋小路に入ってくほど僕は馬鹿じゃない」
「そう」
空の明確な皮肉に対して、仁奈の返答はやけにあっさりしていた。空は彼女の様子には気も留めず、辺りへの警戒を怠らない。
「それならいいんだけれど」
仁奈の言葉は独り言に近かった。空が周囲を見ている間に手早く支度を済ませていく。用意を終えた仁奈がお盆を持って出てくるのに、そう長くはかからなかった。
仁奈はそのまま空と目を合わせることなく、もといた部屋へと先導して歩いていった。
「どうぞ」
2人きりの部屋で、妙に丁寧な所作で仁奈が湯飲みを差し出す。必要もないのに、空もつられて正座した。畳の凹凸が脛を痛め付ける。
「こんなことしてる場合じゃないと思うけどね」
「あら、飲まないの?」
仁奈は自分の分を手元にとって、手を温めるように両手で包み込む。挑戦的かつ不安げな眼差しが空の瞳の奥を突いた。
空はちらりと湯呑みに視線をやって、そっと口元へ持ち上げた。苦い、深い、草のような、どこか覚えのある香り。
――飲めるわけないでしょ
いつかの判断が頭をよぎって、空は深くため息をついた。
「……飲むよ」
そう宣言して一気に煽る。思わずむせてしまいながら、「これで満足か」という視線を仁奈に送る。
「それで? これからどうするつもり? 楽多もあれから見つかってない。いつ化物が襲ってくるかもわからない。何か作戦はあるの?」
「そうね、どうしようかしら」
仁奈はゆったりとした口調で返答し、口をつけていない湯飲みを地面に置いた。腹の底から深呼吸をして一言一言丁寧に紡ぐ。
「まずは楽多を探しましょう。見つかりさえすれば、見回りに協力してもらえる。2つ目の課題もいくぶん改善されるはず」
「それは楽多が味方である前提?」
「彼は味方よ。少なくとも村人を危険な目に遭わせることはしない。私が保証する」
「どうだか」
変に楽観的な仁奈に呆れて、空は立ち上がろうとした。いつまでもここにはいられない。しかし、体の節々に錘が付いたように体が動かない。
仁奈は再び深呼吸をした。
「もちろん楽多のことも大事だけどね、私には他にもやらなきゃいけないことがあるのよ。あなたは休んでいてもらって構わないわ」
空は瞼にまで錘が付いたようで、視界がどんどんと狭まっていく。遠ざかる聴覚は、「きっと疲れているでしょう?」というハリボテの思いやりの言葉をかろうじて認識した。
「ごめんなさいね。おやすみなさい」
優しい口調で放たれる暖かな声は、無機質に凍りつく空気と同化した。
空は目を閉じたが、客観的に見ればそれは最早まばたきにすぎなかった。すぐに開かれた瞳には夜の闇が溶け込んでいる。抜け目なく周囲の状況を見渡すその表情が無に戻る直前、強い敵意を向けられたことを仁奈は見逃さなかった。
「おはよう。初めまして。無理に呼び出してごめんなさいね。さぁ、あなたは何者?」
仁奈は凛とした態度で臨む。空の姿をした彼は冷たい眼差しで笑った。その笑みは明らかに先ほどとは別人だ。
「そういうときは自分から名乗るものだよ」
「……私は仁奈よ」
「アハハ、下の名前だけ? あぁわかった。大宮家の人間でしょ。だから名字を名乗れなかったんだ。ついてるな、こんなに早く会えるなんて!」
仁奈の顔に不自然な笑みが浮かぶ。口角が上がるほどに、心の中で警戒心が強まっていく。余裕綽々として仁奈を見下す彼は、「図星みたいだね」と言ってケラケラ笑った。
「さ、次はそっちの番だよ。オレと同じように推理してみて」
仁奈は口を結んだまま開かない。微動だにしない彼女の前で、空の顔は似合わない笑みを絶えず浮かべている。
「大宮家の人間なら多少情報も持ってるんじゃない? ほら、簡単だよ。わかんないか。おつむが足りないねぇ!」
仁奈のこめかみにわずかに青筋が浮かぶ。それを見た彼は、吹き出すのをこらえて顔を歪ませた。
「アハハ! 全くしょうがないな! 仕方ないから教えてあげようか。どうせ最後になるしね――」
「かつて人外を生み出してこの世を支配しようと目論んだ人がいたそうね?」
空の顔から笑みが消える。邪悪な光もなくなって、残ったのはのっぺりとした能面だけだった。
「なんだ、知ってたの」
機械音のような声で呟く。殺気も放たぬその姿に、仁奈は全身の警戒レベルを高めた。
「その反応は私の解釈が正しいということでいいのかしら」
「うん、60点。及第点だね」
薄暗闇で行われる問答の中で、突如光の玉が弾かれる。仁奈の頬に霧のような水滴がかかった。
それだけでは終わらず、季節外れの線香花火のように、部屋のあちこちが青い光で照らされる。その度、部屋に細かい水滴が散って2人の頭上に降り注ぐ。
ふと、空は胸元に手を伸ばした。そして全て理解したように疲れた表情でため息をつく。
「あぁ、そういうこと。もう一人のオレが余計なことをしてくれたみたいだね」
「えぇ、そのようね」
お互い正座して向かい合い、手合わせ前のようにまっすぐ見つめ合う。礼などがあるはずもなく、互いに隙を見せず、相手の一挙一動を見逃さぬよう目を見開き続ける。
「あなたにもらったこの能力――あなたを退けるために使わせてもらうわ」
そう言った仁奈の周囲を青白い電気が走った。




