二十三話-裏邸
現地人である紅南は、侵入者であるアスカの後ろをトタトタと考えなしについていった。足場の悪い中で滑らないように一歩一歩踏みしめる。
「ねぇ、仁奈のおじいちゃん大丈夫なのかなぁ?」
「何がですか? 何の問題もないでしょう?」
紅南は頭をよぎったある予感など知らないふりをした。代わりに出たのがこの質問である。
力ずくで無理矢理飛び出したような形になったので不安は嘘ではないが、これをアスカに投げ掛けても大した答えが返ってこないことはわかっていた。
問わなければいけないことは別にある。ザクザクという音を立てて落ち葉と氷が潰れていく。悩んでいるうちに、アスカに若干距離を離される。進んでいくうちに、紅南の中で絶望が確信に置き換わっていく。
「ねぇ、どこに向かってるの?」
紅南は意を決して声を張り上げる。アスカは数歩進んだところで立ち止まり、紅南の方を振り返った。
「あなたの察する通りですよ」
紅南の中で全てが確信に変わり、もはや絶望もなくなった。アスカの背後には、見覚えのある家が木々の隙間から見えている。
山の中腹に立つ立派な和風の一軒家。紅南はよく知っていた。その家の外壁の一部は剥がれ変色しており、人が通らないところには枯れた雑草が広がっていることを知っていた。
本来誰もいないはずだが、昼の明るい空の下でもかろうじて屋内の明かりがついていることを確認できる。
「いえ、正確には違うのですが。実はこちらに裏邸への隠し通路がありまして」
アスカは紅南が思っていたのとは少し違う方向へと歩いていった。今や懐かしくもある家を通りすぎ、ひたすら同じ景色の中を歩いていく。
アスカが進んでいく道は、紅南にとっても覚えのある道だった。つい最近通った道だ。
そして、アスカは急に立ち止まった。紅南は彼がそこで止まることを感づいていた。
枯れた自然の中に不自然に残る人工物。2日前、化物に追われて追い詰められた場所、空と出会った鳥居である。
1本に繋がりそうな線が絡まって、紅南の頭を埋め尽くす。
「行きましょうか」
紅南は慌ててアスカに続き鳥居をくぐった。体がほんの一瞬重くなった感覚がして、次の瞬間には紅南は非自然的な光と闇に包まれていた。
鳥居を挟んだだけで、冬の青ざめた空気とは一変して、至るところに炎による赤い光が充満している。閉鎖的な鬱屈した空気は、冬の外気とは捉えられないくらいに温まっていた。
アスカはさらに数歩進んだ。紅南も倣って背後に鳥居を構える狭い空間から抜け出した。小さな分かれ道が無数に出現し、それはまるで蟻塚のようであった。
「何これ……」
「ここが私たちのアジトです。さて、私の個室はこちらですよ」
まだ紅南は状況をのみ込めていないが、アスカは遠慮なく通路を進んでいく。
紅南が彼を追って駆ける足音は土に吸収されていった。あるときは右に、あるときは左に曲がってスタート地点を忘れた頃、アスカは一つの薄暗い通路に入っていった。通路に沿っていくつかの穴が空いている。
通りすぎるときに中を盗み見た紅南は、それこそが個室であるのだと理解した。
アスカは最後に道を曲がってから5つ目の個室の前で立ち止まった。だが、中に入ろうとはせず、やけににこやかに穴の中を覗く。
「……まぁ見られて困るものも、役に立つようなものもありませんから構いませんけれど」
言い訳じみた独り言をつぶやくアスカの横で紅南は部屋を覗き込んだ。床の上に雑多なものが散乱して土ぼこりを被っている中、机と思わしき塊の上に置かれた紙の束が異様に秩序を保っていて目を引く。
「いないうちに部屋に入られたようです」
少しの怒りをはらんだ声で淡々と状況を説明し、アスカはようやく部屋に入っていった。入って一番に紙の束の側に置いてある1枚の紙切れを手に取る。それを一瞥しただけで紅南に手渡して、すぐに無表情な笑顔で紙の束をチェックし始める。
紅南は紙切れに目を落とした。この空間に不釣り合いな、イタリック体の英文だ。紅南は何度か念入りに読み直しておおよその内容を読み取った。
「机の上にお前のノルマ、乗せておいたからな。あとでやっとけよ。仕事しろ。コテツ」
コテツ、と紅南は口の中で復唱した。初めてアスカに会ったとき、同時に出会った化物だ。
「彼は私の弟子に当たるもので」
紙の整理が終わったらしいアスカが、ポカンとする紅南に説明を始める。
「よく叱られるのですよ」
うん? と首をかしげた紅南にアスカは作り笑顔を返した。それ以上の説明が期待できなさそうなので、紅南は机の上に目を移す。アスカが手をつけたことでかえって散らかったように見える。
「予定外に水を差されてしまいました。さて、何か質問はありますか?」
アスカは感情の読みにくい笑顔を紅南に向ける。紅南は一瞬頭によぎった質問を一度は飲み込んだものの、再び言葉に起こすことに決めた。神妙な顔でアスカの笑みを見つめる。
「仕事って何? アスカたちはいったい何をしてるの?」
「あぁ、簡単な話ですよ。侵略です」
アスカの表情は変わらない。紅南はあまりにあっさりと言われた「侵略」という言葉を、すぐには消化できなかった。アスカは論説するように紅南に畳み掛ける。
「初めはこの世界の人間を支配する予定でした。しかし、それだけでは足りなかったのです。労働力にするには能力も人数も足りないですし、食用にするには栄養価が低いですから」
「……何、それ」
「そこで、もうひとつの世界――近江谷村も侵略の対象となったのです。二十年近く前になるでしょうか。まぁ、この計画変更の詳しい経緯は私も存じ上げないのですが」
紅南には理解できなかった。理解をしたくなかった。アスカの言葉から逃れようと思って部屋を見渡しても、逃げ場などどこにも見当たらなかった。
泣き出しそうでさえある紅南に、アスカは一瞬だけ優しい眼差しを向けた。
「ここだけの話、具体的な目的については内部でも意見が割れていますね。和解を望むのなら好機かもしれません。かつてはもっと統率が取れていたと聞きますが、最近は食糧難が解決してしまいまして――あぁ、そうだ。そこへ案内しましょう」
アスカが部屋から出ていったお陰で、紅南はようやく解放された。2人はさらに細く暗い道へと入っていく。
どれ程歩いたのか、かいくぐるように進んでいくと、突き当たりに牢屋のような重々しい扉が見える。おどろおどろしい雰囲気に紅南は最後の一歩を踏みとどまった。
「彼らの誕生が、食糧難を解決したのです」
アスカは躊躇なく扉を開いた。悪ぶれる風もないアスカの奥に広がる光景は、自律的なコミュニティなどではなく、虫かごの中で調教が済まされた虫たちの巣窟のようであった。
人間の姿をしたそれらは直方体の隅に小さくなって座っている。薄暗い部屋の中で、反射板のように黄金の瞳がいくつも輝いて見えた。
「何か質問はありますか?」
何でもないことのように問うアスカを、紅南は信じられないといった眼差しで見つめ返す。心の内側で怒号にも似た声が渦巻いて、紅南は言葉を発することができなかった。
アスカはそれを見て、質問が出ないものだと判断したらしい。
「それでは、私と一緒に外へ出ましょうか。アジトだけより、こちらの世界全体を見ていただく方が得るものも多いでしょう。私も仕事をしなければなりませんし」
アスカは断りなく扉を閉めて、踵を返して開けた道へと歩いていった。紅南は躊躇ったものの、逃げるように彼を追いかけた。思考しなければならないという焦りと、思考したくないという甘えがせめぎあって足の回転を加速させる。
無我夢中で足を進めていると、突如辺りが眩しくなった。半秒後紅南が見たのは、近江谷村と見まがいそうになる枯れた森と斜面だった。
「少し歩きますが、よろしいですかね」
紅南がぼんやりとうなずくと、アスカはまた早歩きで進み始めた。紅南は踏みしめるように彼を追いかけていった。




