十九話-楽多
楽多は表情を強ばらせただけで、その場を立ち去ろうとはしなかった。空と仁奈はほぼ同時に立ち止まる。2人はそうして楽多の前に立ち塞がるや否や、口々に質問した。
「心配していたのよ。なんでこんなところにいるの?」
「あの火事はどういうこと。なんで逃げたの」
楽多は愛想笑いをしようとして、片頬をわずかに引きつらせた。余裕なく視線を漂わせて、気持ちばかりの愛想笑いも保てぬまま困ったように辺りを見渡す。
楽多の視線の行く末を追った空は、楽多の返答より、彼の隣の存在へと関心が移った。
パステルカラーの和服風衣装を纏った年端も行かない少女。空と目が合った彼女は、楽多と同じように顔を強ばらせて空を一点に見つめる。
「なんでここに……拐われたんじゃ」
空は質問を少女に向けつつ、微かな疑心を持って楽多の方を盗み見た。
楽多の隣にいるのは、アスカやコテツと会ったときにいた、目隠しの少女だ。ただ、今は目隠しをしておらず金色の丸い瞳がはっきり見えている。
楽多は小さく「知ってんのか?」と少女と空の顔を見比べる。純粋に驚いたようなその様子は、後ろ暗いこと――例えば、彼女を拐うとか――をしているようには見えなかった。
空は楽多の反応に半ば安心しつつ、警戒心を少女へと移動させる。
空は状況を飲み込めずにいた。何から問えばいいのかわからなかった。
なぜ彼女がここにいるのか。どうやって逃げてきたのか。何のためにここに来たのか。そもそも彼女は何者なのか。
彼女の立場がわからない以上、下手に行動するわけにはいかない。
空がじっくり観察して、時間ばかり過ぎていく。
冷風で皆の頬が凍てつき始めた頃、少女はしびれを切らしたように楽多に弱々しく縋った。
「なんか睨んできます……怖い」
「――は!?」
思わぬ反応に、空が声をあげる。少女はほんの一瞬口角を上げて、すぐに泣き出しそうな顔に戻った。
「ほら、怒ってきました! 助けてくださいぃ」
「ちょっと待ってよ。君、そんな弱気じゃなかったでしょ」
思わず言い返して少女に詰め寄ろうとした空を、仁奈でさえ止めにかかる。
空は下手に深追いすることはなかったが、代わりに十分すぎるくらいの不服な眼差しを少女に向ける。少女は楽多の影で、薄汚いほくそ笑みを浮かべていた。
少女の闇など知らず彼女の盾となった楽多は、空に諭すように語りかける。
「どういう関係か知らねぇけどさ。彼女も被害者だ。奴らに拐われて、命からがら逃げてきたらしい。あまり怖がらせないでやってくれねぇか」
「それが命からがら逃げてきた人の表情?」
空はせめてもの抵抗をと冷たく言い放った。
楽多は空の言葉を受けて後ろを振り返る。そのタイミングで、少女は眉をハの字にして上目遣いになりながら身をすくめた。
楽多が空に向き直った途端に少女はクールな表情へと一変したので、空は顔をひきつらせた。楽多は何も知らないままだ。
「ねぇあなた、どこから来たの?」
いっそ距離を置こうとして下がった空に代わって、仁奈が空の目の前へと一歩踏み出した。優しさの裏にある威圧感に、着物の少女は、おそらく素で、後退りしてたじろぐ。
「どこから来たの? どうやって来たの? どうして来たの? 聞きたいことは山ほどあるわ。教えてくれるかしら」
「……あなたに教えられることはありません」
仁奈は問いながら少女に視線を合わせるため膝を屈ませたが、少女はサッと楽多の後ろに隠れてしまった。仁奈はそのまま立ち上がらずに、楽多へと向き直った。
「知ってることを教えてちょうだい」
声のトーンは、少女に向けたのと同じく子守唄のような優しいものだった。しかし、やはり同様に、命令ともとれる強さがある。
楽多は無言の圧に負けて言葉を濁らせながら口を開く。
「……この子のことは、俺もよくわかんねぇ。俺もさっき会ったばかりで。でも放っておけないだろ。子供が一人でこんなとこに……」
「ミヅキっていいます。子供じゃないです」
楽多の影に隠れたままで、少女――ミヅキが言葉を遮った。
強く断言してしまったのを悔やむように、3人の視線を浴びたミヅキの表情は必要以上に固くなっていた。少女の思わぬ発言に驚いた各々は「楽多だ」「仁奈よ」「……空」と自身の呼び名を口にしたが、ミヅキは楽多の後ろで注意深く視線を巡らせて、それ以上声を出そうとはしない。
「ともかく、詳しいことはわかんねぇし、あんまり深追いもしたくねぇから」
楽多はミヅキを背中にうまく隠してやって、話を切り上げようとした。
仁奈も空も、楽多が議論から逃げていることを察知しながら、次の言葉を決めかねていた。
楽多からどうやって真実を語らせればいいのか2人は思案する。4人の息遣いが互いの警戒心を浮き彫りにする。
「……それで、君は何を燃やそうとしたの」
先に思考を諦めたのは空だった。空の続く言葉を察知した仁奈が後ろ手で牽制するが、空は無視して言葉を続ける。
「あの炎は巻物のものでしょ。なかなか消えなかったのは、何かを燃やし尽くすためか、僕に侵入させないためか。とにかく君が出し続けてたんでしょ。なんで」
楽多の表情が、一瞬にして影に変わる。口を結んで返答はしない。
空は一言も返されなかったことにムッとして、さらに質疑を重ねた。
「昨晩は家に帰って、何をしていたの。家族はどうしてるの」
「空!」
一線を越えてしまったと判断して、仁奈が半ば乱暴に空を引き下がらせようとする。それでも空は無視を続けて、その場に留まった。
楽多の顔はいっそう暗くなった。暗くなるところまで暗くなって、地底からの呻きに似た声が出る直前、ミヅキに服の裾を引っ張られて我に返った。
空にはそれが納得いかなかった。楽多を引き留める存在が正体不明の子供であることが不満だった。彼を襲った出来事を予測できてしまっているので、なおのこと腑に落ちなかった。
「その子は君の家族じゃないでしょ」
思わず口にしてしまう。それが楽多にとってどれほどの棘となるか量れずに。
ミヅキがまた裾を引っ張るので、楽多はどうにか冷静に戻れた。一瞬浮き上がったこめかみも平面に戻る。
「お前に何がわかるんだよ」
冷静になってもなお、楽多のその言葉は止めることができなかった。そして、その言葉は今度は空に鋭利な棘として襲いかかる。
「家族なんて知らないのに」
楽多は続けて愚痴る。言葉の最後は控えめに、目に見えて小さくなっていった。
空は何も言い返さなかった。気まずい静寂が訪れる。
しばらくして、ミヅキが楽多の裾をまた引っ張った。それが合図となって、楽多が立ち上がる。
「……悪い。しばらく放っといてくれねぇか。心ん中グチャグチャで、もう訳わかんねぇんだ。頭冷やさせてくれ」
空も仁奈も、引き留める言葉を知らなかった。それが肯定と捉えられたか、2人の目前を熱風が襲う。
思わず目を閉じて熱が収まるのを待つ。恐る恐る目を開けると、そこにはもうミヅキも楽多もいなくなっていた。




