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十四話-夜

「じゃあ俺は帰ろうかな」


 楽多はそう言って、2人と交互に目を合わせた。紅南と少年――もとい、空も互いに目を合わせて、暗に楽多に説明を求める。


「家族と連絡がつかなくてさ――大丈夫だとは思うけど、しばらく帰れてないし。そろそろ顔も見たいじゃん?」


 何でもないような口ぶりで、早口になるのを抑えることはできず、それでも楽多は気丈に笑ってみせた。

 半紙を手渡された空が道を譲ると、突き動かされるように小走りで部屋の外まで駆けていく。


「じゃあ、これからよろしく、空!」


 閉じかけのふすまから顔を覗かせて、楽多は最後に歯を見せた。今後の仲を約束する2度目のその言葉は別れの言葉として、返答がないままに捨て置かれる。


「……よろしく」


 一拍遅れて空の口から出た言葉は、障子に跳ね返されてどこにも届きはしなかった。部屋のずっと遠くでしている音が、音のない部屋に響く。


 突き返すこともできず受け取ってしまった命名紙を持て余して、空は部屋の暖かいところに戻っていった。紅南は興味深そうに半紙を覗き込むが、空が顔を向けてきたのでとっさに目をそらす。


 空は紅南とちょうど話しかけづらいくらいの距離をとって、目宮さんを見つめることにした。紅南も目宮さんの方に顔を向けながら時折横目で空の様子をうかがっている。

 停滞した空気はさっきとは違う意味で、そのものの重みで歪んでしまいそうである。


 薄暗くなった部屋で黙っていると、世界に自分と自分しかいないような気分になる。空はまだ自分の周囲に歪みが残っているような感覚に襲われて、何もないところを手で払った。


――居場所を与えてもよい


 大宮仁志の言葉が今さら空の頭の中を巡る。


――よろしくな! 空!


 命名紙を静かに横に置いて、息をつく。警戒の棘が煙となって闇になっていく。

 沈黙が続くほど、空の意識は意思と関係なく深いところに追いやられていった。




「ね、ねぇ。お話の続きとか、しなくていいの?」


 そう切り出したのは紅南だった。

 日がほとんど落ちて薄暗くなった部屋で、寝ぼけ眼の空の黒目が横を向いた。深呼吸の後、半分だけ覚醒した状態で、なるべくいつも通りの声で返答する。


「いいの? さっきの大宮仁志って人がまだ戻ってきてないけど。いつ戻るかわからないよ」


 紅南は力強く首肯しようとして、動きをぴたりと止める。赤茶色の瞳が薄闇の中を四方に舞って、苦笑とともに着地した。


「あんまりよくないかもしれない……」

「だろうね」


 正体がバレたら躊躇なく消されるのだろうことは想像に難くない。

 紅南は頭をひねり、なけなしの反論を試みた。


「でも、大宮さんたちの能力とかなら今でもお話できるよ」

「じゃあ話してみて」

「物が消せるの!」

「それだけ?」

「それ以外はよくわかんない」


 新規の情報が全く含まれていない発言に、空は反射的に舌を打つ。次の話題を探すためまた頭をひねり出した紅南を見かねて、期待のこもっていない声で話題を提供してやった。


「じゃあこの人の能力もよくわからないんだろうね」

「わかるよ! すごく遠くを見れるって言ってた!」

「遠くを見るたびに倒れる能力? 使えないな」

「……そんな言い方ないよ。大宮さんたちの家の方を確認してくれてたの」


 紅南は悲しみを前面に出してはいるが、怒りに似た感情が声色に表れていた。空は口をつぐんで、暖まりかけていた部屋は冷たく逆戻りする。

 責めるような視線に対して、空の謝罪はない。

 それでも言い返されもしなかったので、紅南は一つ瞬きをして雰囲気を元に戻した。廊下を見ながら発した声は十分に高く空気を揺らす。


「ね、もしかして仁奈たち、家に帰ったんじゃない? 全然戻ってこないよ」

「だとしたら止めるべきだったね」


 空の声には一切の興味がこもっていない。紅南が立ち上がっても、空はそのまま動かない。


「追いかけよ」

「行かない。そんな義理はない」

「義理とかじゃないよ」


 紅南の声は再び低く怒るようになる。先の指摘で耐性のついた空は、紅南の変化に動じないようにそっぽを向いた。


「君だけで行ってくればいい」


 空のその言葉は、紅南にとってある意味で衝撃的なものだった。


「いいの?」


 幽霊でも見るような目で問う紅南は、今すぐに部屋を飛び出すことはしなかった。空はあらぬ方向を向いたまま返事をしない。自分でも驚いたように目を見開くも、それは紅南には見えていない。

 紅南は気が急いて、早急な返事を求める。


「ねぇ」

「……もういいから」


 紅南と目を合わせないまま、空が返答する。「今だけは」というなけなしの抵抗が小さく付け足された。


「本当にいいの? 本当にいいんだね?」

「いいってば。しつこいな」

「でも」

「君が一人になって何をしようが、僕に害がなければいい。君のことは保留にするって話だったし。それが延長されるだけ。それに、僕に彼らを追う義理はない。どうなっても関係ない。これで納得する?」


 紅南は釈然としない表情だった。肯定の言葉が得られず、空は少し紅南の方に顔を向ける。


「そんなに監視されたい? 何か証拠づくりでもしたいの?」

「そんなんじゃないけど……。ちょっとびっくりして」

「じゃあ早く行きなよ」

「……行ってほしいの? そんなにここに残りたいの? 別に、悪いってことじゃないんだけど、ちょっとびっくりして」

「それは――」


 空の返答が止んだ。動きを止めて何もない地面をただ見つめる。灰色の景色がストーブの熱で揺れて秒針の音を溶かしていく。


「わざわざ僕が危険なところに繰り出すメリットはない――」


 それらしい理由を述べかけて、空はまた押し黙った。紅南は怪訝な顔をしながらも確実に扉へと近づいて行く。


「じゃあ、行ってくるね? 目宮さんのこと、よろしくね」


 紅南の最終確認に、空は一瞬考えて、一度だけうなずいた。

 それを合図に紅南は外へ出た。空が頭を動かした頃には冷気のほかに痕跡は残っておらず、数秒後には家の外で物音がしていた。




 紅南の足音らしき音がなくなったことを確認して、空は自身の膝に顔をうずめた。柔軟剤のほのかな香りは温もりを与えてはくれない。


(僕は彼女に出て行ってほしかった? ここに残りたかった?)


 実感のない感情に一層顔をうずめる。なぜだろうか、と朦朧と頭を回す。


(僕がついていくメリットはない。それに――、この場所から離れたくはない。わざわざ危険なところに繰り出すメリットはない)


 状況を整理しながら、自分の香りを見つけてその中で首肯する。

 ついていくメリットはない。それは、先に紅南に説明した通りだ。部屋を出ることにはデメリットしかない。敵の脅威に自ら向かうのは愚かな行為だ。

 しかし、自分がついていかない理由は、彼女に出て行ってほしい理由にはならない。


(それに、それに……)


 もっともな理屈を求めて、草を掻き分けるように脳内を歩き回る。行けども行けども景色は変わらず、秒針が半周もする頃には、その行動の真意は生い茂る木の実からの逃走なのだと理解せざるを得なかった。立ち止まり、見て見ぬふりをしていたそれらを読み解く。


(一人になりたかった)


 それが、確かに自分の心の声だった。

 一人になれる機会はこれまでに何度もあった。安心できる場所で落ち着いて……、という条件は初めてだとしても、それが彼女を追いだした理由だったか自信を持ってうなずくことができない。


(なんで?)


 疲れていたから、一人になりたかったんだっけ。束の間の休息を味わいたくて、一人になりたかったんだっけ。あるいは、あるいは――。


(なんで一人になりたいんだっけ)


 木の実は開けることができても種を割ることができない。硬い殻に傷もつけられないまま、意識が再び遠のき始める。


 抵抗空しく暗闇の内側から睡魔が包み込む。危機感を安堵の色で塗り潰しながら、黒い手は彼を堕としていった。

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