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十話-停戦

――彼ら……?


 少年は重い体を少しだけ起こして、そこにいる人たちの様子を確認した。


 コテツと紅南。どちらも「仕事を終えた」という感じではない。

 アスカは――確かに一仕事終えた顔に見えなくもないが、言い方からして彼自身のことではないだろう。


 皆の動きが暫時止まったのち、コテツは首を鳴らして立ち上がった。

 袂から水が滴るのを面倒そうに絞りながらアスカに詰め寄る。


「おい、終わりってどういうことだよ。こいつの許可さえ取れりゃいいんだろ」

「ふふ」

「……何がおかしい」

「おかしいですよ」


 アスカは心底楽しそうに笑ってみせた。声に出して笑ってみせたのち、最後に少しだけ本心からの嘲笑を見せた。


「だって、あなたは許可を取って何をするんです?」

「はぁ? そりゃあ……」


 着物の少女を、攫う。


 同じ答えを同時に導き出して、3人はアスカの言わんとするところを悟った。


 離れたところにある木に少女がぶつかった痕跡は残っているが、そこに彼女の姿はない。

 着物の明るい色も、どこにも見当たらない。


 少女がいなくなっている。


――『彼ら』も仕事を終えたようですし


 アスカの台詞に出てきた「『彼ら』の仕事」、それはここから少女を連れ去ることなのだと、この場にいる誰もが理解した。


「いつの間に」


 誰ともなく発した言葉に、アスカは木にもたれる少年を示して満足そうに笑った。


「水使いの彼に、全員の注意が向いている瞬間です。彼はなかなか良いフォローをしてくれました」

「――は?」

「おや、違いましたか? 最初にそちらの方を向いていたので、てっきり」


 最初に、向いていた?

 少年は大きく目を見開いた。


 斜面の下にある、姿を隠すのに適した物置き。

 そして、そこにあった黒い布。


 あれは農具か何かに布がかけられていたわけではなかったのか。おそらく衣服。

 大きい黒い布をまとって、ずっとあそこから様子をうかがっていたのだ。


 少年は体を動かした。まだ回復しきってはいないが、多少動きやすくなっている。

 物置きの方に体を向けると、やはりそこに黒い布などはなかった。


「ちなみに、彼女を追いかけようというのはおすすめしませんよ。特に紅南」


 アスカはすでに少年に背を向けて紅南の方に向き合っていた。ニコニコと一層の笑顔の中でも捕食者の瞳は変わらない。

 紅南は化物の姿のままで、どうすることもできず座り込んだままだった。


「紅南、私たちに着いてきますか?」


 返事をできない様子の紅南を見て、アスカは助け船を出す。

 紅南はアスカの瞳をしばらく見つめて、フルフルと首を横に振った。

 アスカはそれに対して喜びも悲しみも見せることはなく、ただ「そうですか」とだけ呟いた。


「また会いましょう、紅南」


 そう再会を予告したアスカは、コテツを呼んでともに去っていった。止める間もなく、姿が見えなくなる。


 文字通り嵐の後のような森の中に、紅南と少年は2人きり残された。




「おい、勘弁してくれよアスカさん」


 コテツはアスカの背中に声をかける。

 アスカは少し速度を落として、「おや、どうかしましたか?」ともう全て忘れてしまったかのような態度をとった。


「どうかも何も……何だよあの女。水使いも、なんで一緒にいるんだよ。『彼ら』ってやつも……もう訳わかんねぇよ」

「紅南はともかく、あの少年については私も存じ上げませんねぇ。そもそも一緒にいたわけではありませんし」


 コテツは不審がる目でアスカを見る。

 こればかりはアスカも真実を言ったに過ぎないのだが、コテツからすればアスカの発言はどれが真実なのか、もはや推し量ることができなくなっていた。


 穴が開くほど見つめられて、アスカは一応天を睨んでみせる。


「そうですねぇ、水を扱う能力というのは聞いたことがありませんし。ヒントになりそうなものといえば、あの和服くらいですか。和服――」


 和服、という言葉に、アスカは急に押し黙る。


 コテツが彼の顔を覗き込むと、その笑みはより不気味なものになっていた。

 それも心から面白いと思ったときの笑みだ。


 アスカはコテツが覗き込んでいるのに気づいて、すぐに普段通りの笑顔を返す。


「人間を助けるために時を超えてきた、救世主かもしれませんね。ロマンチックで素敵じゃないですか」

「はぁ?」


 アスカはそれ以上何も語らなかった。


「絶対そんな顔じゃなかっただろ」


 コテツの反論にも応じない。

 コテツは深く深くため息をついた。アスカが気まぐれなのは今に始まったことではない。彼はそういう化物(ひと)だ。


「じゃあ、『彼ら』について教えてくれよ。何か知ってるんだろ」

「いえ、彼らには、これ以上ご迷惑をおかけできませんので」

「迷惑だぁ? ……あぁもういい、話す気がないんだな。だったら紅南って女のことを教えてくれ」

「んー、だめです。でも一つだけ言うなら、まだ傷つけないでくださいね」

「はぁ? なんでそんなにあいつに――」


 2人は、“拠点”――紅南の家の近くまで来て、立ち止まった。正確には、コテツが立ち止まったのでアスカも一応歩を止めた。


「なぁ、やけに肩入れしてて嫌な予感がするんだけどさ。まさかその紅南とやらに情報漏らしたりしてないよな」


 恐る恐るといった感じの問いかけに、アスカは曇りのない笑顔を向ける。


「紅南は事情を知っていてもいいでしょう? 情報漏洩とは考えていません。本当に漏洩していたのは、あの少女に対してです」

「なっ……余計ダメじゃねぇか!」


 コテツは顔を歪ませて、打開策を絞り出そうと頭を捻った。


 紅南、着物の少女。さらに彼らを介して水使いや『彼ら』にまで情報が漏れたっておかしくはない。

 これは重大な事故ではないか。

 このまま帰ったら何を言われるか、何をされるかわかったものではない。


 アスカは全く困った様子もなく、ニコニコと動かないでいる。


「おい……おい、俺はもうひと仕事してくるぞ」

「おや真面目ですね。私はすぐにでも戻りたいのですが」

「もう勝手にしろ。付き合いきれねぇよ」


 コテツはそう吐き捨てて、拠点に背を向けるやいなや山の下へ降りていった。


 アスカは笑顔で彼を見送った。

 早く拠点に戻って、やることを終わらせて、また紅南に会いに行く。

 そんな計画を妄想して、ほくそ笑みながら拠点へと帰っていった。




 残された紅南と少年は、しばらくの間動けないでいた。

 少年の荒い息遣いの他に聞こえるものはない。


 紅南が動き出そうとしたのと、少年が体勢を変えて彼女にしっかり対峙したのは同時だった。


「あ……だいじょ」

「どういうこと」


 紅南の心配する言葉は遮られる。

 紅南は怯えるように肩をすくめた。その額にはまだ角が残っている。


「……隠しててごめんなさい。それに――、逃げたり、冷たいこと言って、ごめんなさい」


 少年からの返答はない。言いたいことがありすぎて、何から言えばいいかわからなかったためだ。


 改めて考えれば、わかりそうなものだった。


 少年と初めて会ったとき、生身で化物に対峙していた。

 傷は、きっと巻物がなくてもすぐ治っていた。


 化物は対話可能だと知っていた。頑なに彼らを傷つけようとしなかった。

 彼らを「人」と呼んだ。そして化物が複数人存在することを知っていた。だから「さっきの人たち」と呼んでいた。


 やけに炎が大きかったのも、それに対して体力を消耗しなかったのも、人間じゃないからかもしれない。

 何より、正体を探られることを拒んだ。


 まだ、きっとある。

 見落としていること。忘れていること。

 余りあるほどに、ヒントは溢れていた。


 しかし、姿が変えられるなんて聞いていない。普通に「こちら側」に紛れているなんて、聞いていない。

 あくまで彼女は人間であって、せいぜい化物と手を組んで悪巧みをしている、くらいを疑うのが妥当じゃないか。


 そんなことを考えながら、少年は口を閉ざしていた。

 彼女を責めればいいのか、自身の甘さを責めればいいのか、あるいは侵略という冷静さを欠く状況を恨めばいいのか。


 紅南は少年の言葉を待っていたが、反応のない少年の様子を見て、ゆっくり立ち上がる。


 少年は慌てて叫んだ。まだ立ち上がることはできない。


「また逃げる気!?」

「違うよ! あの子を助けないと」


 紅南の瞳は真っ直ぐで、強い意志が見て取れる。

 あの子とは、着物の少女のことだ。追いかけてはいけないと釘を差されていたのに。


 いや、それ以前に。


「まだ話は終わってないよ」


 少年は冷たく言い放つ。


 彼にとってあの少女は赤の他人だ。

 紅南が本当に子供を助けに行くか否かはこの際問題ではない。紅南が本気で子供を助けに行こうとしていたとして、それを許す義理はない。

 問題は、紅南がまた監視下を逃れるということだ。


 紅南は少し迷って、大人しくその場に正座した。


 少年はそれを見て深く呼吸する。まずは、最初に確認しなければならないこと。


「君は襲ってきた彼らの仲間なの」

「違う!」


 彼女の返答に迷いはない。少年はひとまず息をついた。


「じゃあ、支配とか侵略をするつもりはない?」

「あるわけない!」

「……人を食べたことはある? 僕たちのことを餌だと――」

「そんなわけないよ!」


 食い気味な彼女の返答にも、少年はまだ多少訝しむ視線を向けていた。

 解かれぬ警戒に、紅南は必死で弁明する。


「本当に、餌だとか、何の話かわからないの。私は14年間ここで過ごしてきたけど、誓って誰かを襲ったり食べたりなんてしてない!」

「……村の人たちは君の正体知ってるの」


 ゔっと紅南は顔を引きつらせた。


「……知らない」

「なんで隠すの」

「だ、だって。きっとみんなにとって怖いんだろうなっていうのは私にもわかるし。お母さんにも言っちゃだめって言われたし」


 少年は改めて紅南の姿を見た。

 額の中央から伸びる長い角も、先が赤く染まった白髪も、顔に広がる赤い文様も、口から覗く牙も、すべて人間のものではない。


 態度のせいもあって恐ろしさはないが、それはこの状況下こその価値基準であって、平時であれば確かに怖いものに違いないだろう。


 少年は警戒を緩めた。

 彼女の様子があまりにも普通すぎて、警戒するのが馬鹿らしくなってしまった。


 それに、目の前で縮こまるこの化物は、疲弊した今の少年でも簡単に叩き伏せられそうだ。

 警戒するまでもない。


「知ってること、全部話してもらうよ」


 木にもたれ掛かりながら腕を組んで睨む少年に、紅南は上目遣いに首肯した。

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