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九話-再会と危機の先に

――どういう状況?


 山に入ってすぐ、少年は後悔した。そして、混乱していた。


 少年が見たのは、微笑の化物と紅南が親しげに会話する様子だった。その隣では、会話に参加していなさそうな、目隠しをした子供が2人を睨んでいる。


――全然追い払えてないじゃん


 少年は化物を追い払ってるという楽多の言葉を思い出し、彼に念を送る。きっと紅南の家の近くでは、楽多がくしゃみを繰り出していることだろう。


 しかし、ここにいない人物を恨みがましく思っても何も始まらない。

 どういう状況であれ、これは少年にとって好ましい状況ではない。

 一度姿を隠して、しばらくは状況を見るべきだ。


 そう判断し一歩下がろうと試みるも、枯れ葉のせいで足音が響く。

 3人が一斉に少年の方に向き直った。


 少年は山に入る前に様子を確認するべきだったと悔やんだ。

 家の影とか、もっと死角になる場所を選んで、まずは身を潜めるべきだった。

 山の下に目をやると、ちょうどいいところに物置きがある。中には農具らしきものや、黒い布が掛けられた物体なんかが雑多に置かれていた。

 絶対に、細い幹しかない森よりも姿を隠すには適している。


 いずれにせよ、今から移動したところで意味はない。

 少年は諦めて後退をやめた。


――どうしようか


 紅南や子供はともかく、その横にいる化物は普通に戦ったら敵わないだろうと少年は直感していた。

 最初に戦った化物や、力自慢という楽多よりずっと筋肉質で背も高い。

 右腕がないようだが、それはどれだけハンデになってくれるか。


 彼らが人間を餌と呼んでいたことから考えて、仮に彼らが人間だけからエネルギーを得ていた場合、彼はいつも腹いっぱいに人間を殺しているのだろう。

 少年の分析は所詮推測の域を出なかったが、これが事実だとすればなおのこと彼とは対峙したくない。

 それに、彼と紅南が一緒にいるという現在の状況は、最悪の結論を導き出さざるを得なくなる。


 どうか敵対的でありませんようにと願った少年の思いが通じたか、化物からその微笑が消えることはなかった。

 その笑顔自体は、決して安心できるものではなかったが。


 紅南は、少々戸惑っているようだった。

 少年がしっかり目を合わせてきたので四方を見渡すものの、彼女の周囲にも姿を隠すところはない。そもそも姿を隠すには遅すぎる。


 彼女が何らかの動きを見せる前に、少年は自身を鼓舞する意味も込めて極力凛々しい声で叫んだ。


「そこで何をしてるの!」


 紅南は体を強張らせ、引きつった苦笑を浮かべる。

 逃げられないことを受け入れると、少年とは反対になるべく明るい声で返答した。


「あ、あのね、これは違うの。ただ、色々お話を聞かせてもらってたの」


 それが問題だと言っているのだ。少年はそんな文句を、すんでのところで飲み込んだ。

 下手な口論に持ち込むよりはより価値のある情報を引き出したほうがいい。

 隣の化物の口端が、さらに引き伸ばされたのも気になる。


「何の話を」


 少年の問いかけに、紅南は必死に手を動かして釈明しようとする。少年はその様子を冷たい眼差しで見つめていた。

 同時に少年は、その隣の化物に動きがないか、子供の動きに変化はないか――、つまり、前方にのみ注意を向けていた。


 だから、背後から近づいてくるものには、すぐに気づくことができなかった。


「だめ!」


 紅南の叫び声と、彼女の視線が自分の後ろへ向いていることで、少年はようやく背後から近づく影の存在を知る。


 影は少年に飛びかかり、首元を狙って腕を振りかぶる。

 新たな化物。




――まずい


 少年は、とっさに出した壁をできる限りの速度で化物に対し放った。

 大きな鉄球がぶつかったような音がして、乾いた森に霧が舞う。


 わずかな間の出来事だった。


 一瞬目を瞑ってしまった少年が次に目を開けたとき見たのは、ハリケーンに曝されたような木々と地面のみ。


――いない


 化物の姿は、ない。


「ちょっとアスカさん! あれ、例の歯向かったっていう人間じゃねぇの!?」


 少年の後方から声がする。


 再び紅南らの方に目を向けた少年は、その声の主が確かに自身を襲った化物だと確認した。アスカと呼ばれたのは紅南の横で固定された笑みを浮かべ続けていた化物だ。

 叫ぶ彼は、全く水に濡れた様子がない。


 紅南は少しだけ少年の方に近づいて、2人を振り返って少年と同じ表情をしていた。


――避けられた? 完全に?


 十分な余裕はなかったが、水を放つ速度は最大だったつもりだ。

 それなりの大きさもあった。かなり距離も近づいていた。

 それなのに難なく避けられた。


 少年は初めて明確に恐れらしい恐れを感じる。


 当の化物はアスカに向かって叫び続けた。


「いや、コスパ悪いって! あんま旨そうじゃねぇし。もっといいとこ見つけたから、そっち行こうぜ!」

「ふふ、彼は特に餌として用意したわけではありませんよ、コテツ」

「え? 違うの?」


 コテツと呼ばれた化物は、キョトンとしたあどけない表情で問い返す。

 アスカは、「勝手にやってきて怒鳴ってきただけです」と少年にとっては面白くない解説をして変わらず笑い続けた。


 ともあれ、コテツもアスカもすでに少年から興味を失っているようである。

 意図せず危機を脱した少年が一度まばたきする間に、またコテツの姿はなくなっていた。


「……おい、こいつはよく見たら『ぷれい』じゃないか?」


 木の陰。着物の少女がコテツの腕の中で声も出せずもがいている。

 絶えず変わる状況に紅南と少年が動けずにいる中で、コテツは相変わらずアスカにばかり話しかけた。


「これなら相当な手柄だろ? おい、こいつを連れて帰るってのはどうだ。旨そうだし」


 屈託ない笑顔を見せるコテツに、アスカは状況に不釣り合いな口調で優しく諭す。彼の左手は、紅南の方を指していた。


「ふふ。コテツ、彼女を攫うなら紅南の許可を取ってください」

「はぁ!? 何それ? アスカさんの考えてることはよくわかんねぇよ」


 コテツはコロコロと表情を変え、「アスカさんには逆らいたくないしなぁ」とたまにぼやきながら頭を抱える。

 急に話を振られた紅南も、しどろもどろになりながら何をどう処理したらいいのか必死に頭を働かせた。


 先に答えを出したのはコテツだった。

 ひとしきり悩み終えて一息ついたとき、コテツの顔には笑みが広がっていた。


 瞬間、重い風の音が響く。


「力ずくでも許可は許可だよなぁ?」




 血の香りが漂う。

 鮮血の滴る両の手で、紅南がコテツの突きを受け止めていた。


「――は?」


 コテツのみならず少年も目を見開いていた。少女ももがくのをやめて、紅南の方にしっかり顔を向けている。


 アスカだけが、落ち着いた眼差しで成り行きを見守っていた。

 彼は呆れた顔をしながら、止める素振りも見せなかった。辺りを少し気にして、深く嘆息する。


「――ハハッ! 何お前、なんで反応できんの? いいね、面白い!」


 ひとまず今の状況を飲み込んで、コテツは盛大に笑ってみせた。

 紅南はひたすらコテツを睨み続けた。両手にかける力が強くなる。


「その子を離して。なんでこんなことするの!?」


 紅南にしては鋭い声に、コテツの表情は歪み、やがて彼は驚嘆と歓びを込めて嗤い声を上げた。


「なんでって、俺たちはお前らを支配するために来たんだよ! 『こいつを離せ』? いやだね! お前ら――」

「知らない!」


 コテツの嗤い声が止まる。言葉を遮られて、彼は目に見えて不機嫌になった。

 紅南は目に涙を溜めながら、真っ直ぐにコテツを睨みつける。


「餌だとか、支配だとか、そんなの私知らない!」


 コテツは紅南の話を聞いていない。

 再度振りかぶってとどめを刺してやろうとするも、紅南はコテツの手を離さない。もう片方の手は少女を抱きかかえているために塞がっている。


 コテツの力が強くなっていよいよ紅南の手から逃れるというときだ。


 紅南はほんの一瞬、少年の方を伺った。


 木がひしゃげてしまった異様な景色の中佇む少年の方。


 急に向かれてぎょっと身構えた少年だったが、紅南はそれ以上何をするでもなかった。

 ただ、再びコテツに向き直ったとき、そこには覚悟の色があった。


「私は仲良くしてた」


 呟きとともに、彼女の姿が変わる。


 髪が白に変わる。

 額から1本の角が伸び、申し訳程度の文様が浮き出る。


 その様は、他の化物と類似していた。


 少年と少女の息を呑む音が重なる。

 紅南は堰が切れたように、単なる理想などではなく、怒りと悲しみの折り混ざった悲痛な感情をありったけ乗せて、腹の底から叫んだ。


「私たちは仲良くできるの! 戦わないで笑えるの! だったらその方がいいじゃん!」


 コテツの手は逃さない。しっかりと両手の中に捕らえて離さない。

 紅南は化物の瞳で、変わらずコテツを睨み続けた。


「その子を離して」

挿絵(By みてみん)




「おいおいおい。聞いてねぇよ」


 コテツは紅南ではなくアスカを睨んだ。

 アスカの表情は読みにくい。ひと目で嘘とわかる優しい笑顔は、複雑な感情を内包しているようでもあり、単に無関心のようでもあった。


「アスカさん、知ってたのか」


 アスカは「私と紅南の仲ですからぁ」などとのたまって取り合わない。


 コテツはアスカの意図を読み取ることを諦めた。

 紅南の正体などはものともせず、緩めた手の力を一気に後方へと働かせる。

 アスカの問答に若干の気を取られていた紅南は、ここに来てコテツをあっさり自由にしてしまう。


「まぁいいや。こいつに許可させりゃいいんだろ」


 「てかこいつも連れて帰ればいいんじゃねぇの」と言いながら、彼の爪先は紅南に真っ直ぐ狙いを定められている。

 紅南はコテツの回答にひどく絶望を見せた。


「な、なんで!? こんなことしないで、みんな――」

「しつこいな。なぁ、お前もわかるんじゃないか? 俺たちには餌が必要なんだ。あと手柄。だからこいつを連れて帰る。いいな」

「いいわけない!」

「あっそ」


 コテツは紅南の答えを最後まで聞かずに手を振り下ろした。答えはわかっていた。もし予想が外れていたとしても、彼にとって問題ではなかった。


 そして、彼女の回答を見越して行動した者があと2人。


 着物の少女は、コテツの動きの中に、わずかに拘束が緩む瞬間を見つけた。

 小さい手で彼の片腕を抉り、か弱い顎で最大限の力を込めて噛みついてやる。


「このクソガキ――!」


 当然少女の攻撃に化物に通用するような力はなかったが、コテツはただ気に食わなかった。

 紅南への攻撃は途中で止まり、少女は10メートルほど先の木に勢いよくぶつけられてぐったりと動かなくなった。


 少年は、少女がコテツの手から離れる瞬間を見逃さなかった。


 頭に血の上っているコテツが、また攻撃に出る前に。自分が気づかれる前に。かつなるべく彼の近くで。


 高く飛んだ少年は、コントロールできる最大の水量を頭の上から一点に最大速度で放った。


 ゴワッと滝のような音がする。地面は滝壺のように大きく凹む。少年の支配から解放された水は、斜面の下へと落ち葉を押し流す。


――当たった


 今度は確実に。水の中に入る彼を確かに見た。


 少年は確信を抱きながら地上へ降り立ち、拍手と打撲音を耳にする。

 腹と背に、ほぼ同時に鈍い痛みを感じて、少年は自身が蹴り飛ばされたのだと認識した。


 少年は水の多量生成と全身の痛みで動くに動けない。紅南は水の中にへたり込んで呆然とし、コテツはびしょ濡れになりながら膝をついている。

 3人が聞いたのは、唯一最初からすべてを知っていたのであろう人物の声。


「さぁ、終わりにしましょう! 『彼ら』も仕事を終えたようですし」

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