人を探す旅で人を知る
王都グレアリングに来た青年。行方不明の”兄”を探すため、情報が集まる場所『解決屋』を訪れたのであった。
「すみません。この人、知りませんか? 僕の兄なんです」
「ん? ああ、この人か。おーい! グレイヴ、こっちに来てくれ!」
「なんです」
「この人が、この人探しているんだってよ。この人は、この人の兄なんだってさ」
「この人、この人うるさいな。えーっと……」
僕が差し出した写真に、青年が目を落とす。
顎をさすりながら、ゆっくりと思い出そうとするように口を開く。
「ああ、名前は……ゼファーさんだったかな。一度、俺たちのパーティーに加わってくれた人なんだよ。二刀で、ズバズバっと切り込んで、魔物の注意を引いてくれるから助かったよ。もしかして、この人の行方を追っているのかい?」
僕は頷いて、言葉を返す。
「そうなんです。ゼファーは僕の兄なんです。実は数年前に、突然家を出ていってしまって」
「はぁ、そうなのか。彼の過去について訊こうとしても、笑ってごまかしてさ。後ろめたさ、みたいなのを感じて、質問するのはやめたよ」
写真を、服の内ポケットにしまう。
僕は如何にも冒険者といった出で立ちで、背中にバッグを背負いながら兄を追っている。
腰には、黒い短剣。
目の前の青年は、これまた如何にも狩猟者といった感じで、背中に槍が見える。
彼は解決屋のハンターだと、誰もが自信をもって答えるだろう。
王都グレアリングに本部を置く『解決屋』は、魔物退治を生業とする組織である。
また、解決屋にはもう一つの顔があり、それは情報屋でもあるということ。
まさに何でも解決します、という場所だ。
「他に兄が語っていた情報はありませんか?」
「いやぁ……そういえば、近々エンタープライズ王国に行くって言ってたぜ」
「エンタープライズ王国? ああ、グレアリング王国を魔物の集団から守ったっていう国ですか」
「ああ、そうだ。得体の知れない国だが、そこにいるかもな」
「ありがとうございます! 僕、エンタープライズに行こうと思います」
「達者でな。お兄さんに会えたら、グレイヴが感謝してたって伝えてくれ。アンタのおかげで……姉の病気、治せたって!」
「わかりました!」
青年が手を振り、解決屋の外まで見送ってくれた。
僕も手を振り返し、別れを告げる。
後ろで、解決屋の扉が閉まった。
相変わらず、人通りの多い道で真っ直ぐに歩くのが困難である。
狩猟者の人間が集まり、ドワーフが大きな荷物を背負っていたりで行く手を阻まれる。
人間の半分ほどしかないドワーフなので、足元にも注意を払う必要がある。
邪魔だなぁと不満に思っても、王都では仕方のないことだと受け入れて、僕は武器屋に向かった。
武器屋の店主は顎髭が特徴のドワーフで、僕と目が合うなり、商品を売りつけてくる。
僕は丁重に断り、代わりに短剣を渡した。
刃を研いでくれ、と注文すると、金銭を要求される。
バッグから銭袋を取り出し、銀貨を一枚払った。
それと、研磨に希望も追加した。
「僕、これから長旅に出るんです。それで、抜群の切れ味にしてほしいんだ。いくら時間がかかっても構わないから、お願いできないかな」
「ああ、いいぜ。腕が鳴るな」
「一刺しで、人を殺せるほど磨いてほしい」
店主は眉をひそめる。
「こいつは、魔物用だ。人殺しの道具じゃねぇよ」
「す、すみません。その、分かりやすく伝えたいなぁと思って」
「ま、それぐらい研いでやるさ。楽しみにしとけ」
王都を出て、最初の夜。
誰かが焚火をした跡のある洞穴を見つけ、そこで身を休ませた。
グレアリング領の地図を広げ、目的地のエンタープライズ王国を確認する。
エンタープライズというのは急に現れた国で、全ての種族を受け入れる国と言われている。
一か月ほど前、グレアリング王国は大量の魔物に襲われた。
原因は不明とされ、解決屋を中心に調査が行われたそうだが、その後の展開は分からずじまい。
その魔物の大群は、王国の兵や狩猟者を集めても抑えきれなかった。
そんなとき、現れたのはエンタープライズ王国の王と兵士だという。
エンタープライズの登場で一気に巻き返し、襲ってきた魔物を全滅させた。
グレアリングの民は、そんなエンタープライズを一目見ようと二日間の旅を続ける。
道中は魔物が多いため、みな武器や回復薬を購入していく、と店主が話していた。
準備を怠らなければ、とりあえずエンタープライズまでは辿り着けるらしい。
なぜか、ここ最近になって、新都リライズから商人が増えた。
そのおかげで、人の足で踏みしめた獣道が大きくなっていた。
しかも、魔物が近寄れないよう聖水が振り撒かれている。
というわけで、安全に進むことができた。
昔は、遠く長い一本の道しかなかった。
しかし今は、近道ができている。
それも危険が少ない道。
開拓者と商人に感謝しながら、横穴で就眠した。
森を抜け、落ち着いた平原に出る。
木陰を飛び出し、さんさんと輝く太陽の光が全身に降り注ぐ。
見渡せば、前方に広がる緑の大地。
その緑を割るような一本の獣道が奥へ奥へと続いている。
道を追うように目を向けていくと、うっすらと塔のようなものが見えた。
情報通りなら、あれがエンタープライズ。
塔の下に、村も見えた。
息を大きく吸いこみ、地面を蹴って走り出す。
あそこにゼファーがいると考えただけで、足が前へ突き出た。
目的地が見えれば、疲れ切った旅人は途端に息を吹き返す。
昔聞いた商人の話が、本当だったと思い知らされた瞬間だった。
村を横目に通り過ぎ、エンタープライズ城を目指して駆け抜ける。
六角形の塔が、天を衝くようにそびえ立っていた。
なんて大きい城なんだ。
近づくたびに、どこからともなく湧いてくる魅力が心臓の鼓動を速めた。
あれは、エンタープライズの国民だろうか。
見慣れない服を着た人間が、剣で素振りしている。
あの装備……確か、ビジネススーツと呼ばれるものではないだろうか。
リライズのドワーフは、それを身に着けて働いているという。
不思議そうに眺めていれば、相手も訝しそうな目で見つめてきた。
素振りを止めた男の傍を走り抜ける。
走り抜けた先にも、素振りをしていた人間がいた。
汗を流しながら素振りしている者、中には向かい合わせになって訓練している二人組もいる。
兵士なのだろうか。
「あの、商人さんですか?」
「え、いや……旅人です」
目の前に現れたのは、四十年は生きているであろう顔立ちの男性。
さっきの人間とは違った服装だが、これもまた見慣れない衣服だ。
黒い服、肩に白い縦長の布、小さな首飾り。
髪を後ろに撫でつけ、穏やかな表情を浮かべている。
とても話しかけやすく、親しみやすい顔だ。
男が誇らしげに胸を張って、口を開いた。
「ここは、エンタープライズです! 私の名は、ノウアと申します。案内は、私にお任せください! 誰よりも、ここを愛しておりますので、知らぬ場所などございません!」
「あ、あえ……」
いきなりの威圧するような紹介で、だらしなく返事してしまった。
だが、重要な単語は聞き逃さなかった。
ここは、エンタープライズ。
あなたの名前は、ノウア。
「あの、今夜だけここに泊まることはできませんか?」
「もちろんかまいませんよ! というより、今夜だけでいいんですかな? 何日でも宿泊してくれていいんですよ?」
「いえ、今夜だけで結構です」
彼は残念そうに口をすぼめた。
そんな彼に、写真を見せる。
そう、この前も見せた写真。
「実は、兄を探していまして。この人なんですけど」
写真には、僕と妹と兄の三人が嬉しそうに肩を並べている。
「この人」と言いながら、写真に指を置いて示す。
「兄の名前は、ゼファーっていうんです。心当たりはありませんか」
「ああ、ゼファーさんですね。思い出しましたよ!」
ノウアが腕をエンタープライズ城に向けて、俺を歩かせる。
横に並んで歩くノウアは話を続けた。
「近くに村があったでしょ。そこの村娘さんが言っていましたよ。彼のおかげで、村長が回復したって。お兄さんは旅の薬師だったようですね」
「旅の薬師……です。兄は薬の知識が豊富で、病人を治していました」
「ほう、やはり素晴らしいお方だ。ここにもやってきて、私にも尋ねてきましたよ。エンタープライズに、病人はいないのかって。その時は病人がいなかったので、宿泊して、すぐに出ていかれましたよ」
「どこに行ったとかは聞いていませんか!」
食いつくような態度に急変し、ノウアは一歩後ろに退いた。
自分でも驚くような変化で少し反省し、今度はゆっくりと問いかける。
「どこかに行く、っていうようなこと、話していませんでしたか?」
「そうですなぁ……ああ! 確か、新都リライズ第0番街に向かうと言っていましたよ。有名なスラム街ですからね。今も苦しんでいる人がいるかもしれない、と。あの方の正義感は、本物ですな」
「新都リライズの第0番街……」
その場所を忘れないよう、何度も脳内で反芻する。
新都リライズ、第0番街、新都リライズ、第0番街……。
ノウアは、そんな僕を気にすることなく、城内を案内し始める。
中の様子を説明されたが、寝る前にはほとんどを忘れていた。
ただ頭の中で、場所の単語だけが踊り続けた。
エンタープライズを出て、新都リライズへと向かう道を往く。
グレアリング領からリライズ領へと足を踏み入れるわけだが、その境界には街がある。
サカイメの街と呼ばれ、ドワーフや人間が入り乱れていた。
早朝に出発したので、今は頂点に太陽が位置している。
さて、ここまで来たのはいいが、一つ問題を抱えていた。
新都リライズ第0番街が、どこにあるのか知らないのだ。
喧噪が響き渡る街の中で、誰に尋ねようか真剣に悩んでいた。
人は全員、忙しそうに働きまわっている。
まさか、こんなに余裕のない街だとは思わなかった。
辺りを見渡しながら、さまよっていると、ある建物を見つけた。
壁に貼られた看板。
サカイメの解決屋だ。
木製の扉を押し開けると、中もまた騒々しい。
誰か話しかけやすそうな人、いないかな。
「おい、お前さん。何かお探しかい?」
「え、そうなんです」
「だったら、ここを出た方がいい。解決屋はパニック状態で、とてもお前さんには構ってくれるとは思えないぜ」
そう教えてくれたのは、やんちゃそうな顔の青年。
蒼い髪の隙間から覗く瞳に説得させられ、この人の言う通り外に出た。
青年は大剣を背負っており、とっつきにくい見た目だが、どこかしら漂う優しさを感じ取った。
ということで少し勇気を絞って、彼に場所を訊いてみる。
「あの、僕、グレアリング王国から来たんですけど……」
「だろうな。一目で分かる」
「え?」
「リライズに住んでりゃ、この騒ぎに乗じるように文句の一つや二つは垂れるだろうからな。お前さんは、この状況を見ても当然だと思って受け入れている。だから、分かるのさ」
「リライズでは当然じゃないんですか? 旅商人さんの話では、毎日を楽しそうに生きている連中が多いって……」
世界を渡り歩いてきた商人に言わせると、グレアリングは気品があり、比較的静かな環境。
対してリライズは、とにかく煩い。
その代わり、生活は充実していて明るい連中が多いと聞いた。
「この前、新都リライズが崩壊してな。機械が大暴走したんだよ。リライズ領のあちこちは、混乱を起こしている。いつもの仕事ができないとか、身内が死んだ、とかでな」
「新都リライズが崩壊した? 技術がとても優れていて、誰もが住みたいと憧れている新都が?」
「そいつは昔の話だ。サカイメの街以外、全ての都市は破壊されたからな。今は、エリシヴァ女王が秩序を正してくれているおかげで、いくらかマシにはなってきたが……どこも手一杯だ」
「じゃあ、第0番街も……」
「第0番街は、ほとんど変わってない。あそこは、新都リライズに見捨てられた街だからな。なんていうか、変な話だよな。新都の技術を共有しなかったから、今回の混乱に巻き込まれなかったってのはさ」
見捨てた街に、技術を導入しない。
そのおかげで第0番街は助かったようだ。
皮肉な話というべきか。
「僕は第0番街に行きたいんです」
「第0番街に? あそこはなんもないぞ」
「行方不明の兄が、そこにいるかもしれないんです」
「お前さんの兄貴が?」
写真を取り出して、青年に渡す。
すると、それをじっくりと見て驚愕の声を上げた。
「グリーングラス・ゼファー! 解決屋のハンターだ」
「知っているんですか!?」
「この前、第7番街に行く電車が、魔物に襲われたことがあったんだ。俺はハンターとして、魔物を退治しようとしたんだが、途中で負傷してな。その時、倒れた俺を庇ってくれたのがゼファーさんだ! 俺を守った後、双剣で魔物を一掃してくれたんだ。それに、回復薬もくれた。あの人には、とてつもない恩がある! 俺も、あんなすげぇカッコイイ人になりてぇよ!」
場違いなまでに、目をキラキラと輝かせている。
この街で純粋に生きているのは、彼だけのように思えた。
それは空気の読めない馬鹿かもしれない。
みんなが大変だってときに笑っていられるなんて狂気だ、と思う人もいるかもしれない。
でも、目の前で熱く語る男には明るい未来が待っている。
そんなふうに思えてしまった。
嫉妬心ではないと思うが、自身は羨ましいと感じてしまう。
「お兄さんを追うんだろ?」
「はい……」
「リライズ領の地図は持っているか?」
「持ってないです」
「じゃあ、これをやる。あ、ちょっと待ってくれよ。えーと、ここが第0番街だな、っと」
地図を広げ、第0番街の位置をペンで丸く囲う。
ほらよ、と渡し、彼は満足そうに微笑んだ。
戸惑いながらも、お礼を伝える。
「ありがとう、ございます」
「いいって、いいって! 今、俺にできることはこれぐらいしかない。あと、ゼファーさんに会ったら伝えてほしいことがある」
「なんですか?」
「助けが必要だったら、このナイリウスに頼ってくれ、ってな。あと……めちゃくちゃ感謝していたってことも伝えておいてくれ。俺はもう、あの時の俺じゃない! そう言い放っておいてくれ」
両肩をガシッと掴み、青年が顔を近づけてくる。
気迫に押され、僕は何度も首を振った。
わかった、わかった、と。
「そろそろ、出発します」
「おう! 道中、気を付けてな。第0番街までの道は、あんまり整備されてないから、魔物が襲ってきやすい。ちゃんと警戒しろよ」
「はい、ありがとうございます。お世話になりました」
手を振って、ナイリウスという青年と別れた。
しばらく歩き続けていたが、耳に街の騒音が未だ張り付いている。
地図を広げ、現在地をだいたい把握し、第0番街を意識する。
そうすることで、騒音が少し紛れた。
リライズ領には、特徴的な舗装された道がある。
ここは、車と呼ばれる乗り物が通るための道だ。
今は、どこにもその車とやらは見当たらない。
新都へ行けば、飽きるほど見られるだろうか。
そんなことを考えながら、第0番街へと続く道を進んだ。
ナイリウスの言った通り、道がろくに整備されていなかった。
道の途中から、周辺の地面と同じになり、魔物も頻繁に襲ってくるようになった。
というわけで、逃げるようにして、古びた街に入る。
街は半ば廃墟といった家の集合体で湿っぽく、酸っぱい臭いが鼻腔を刺激する。
思わず、鼻の穴が小さくなり、眉も額の中央に寄ってしまう。
これが新都リライズに見捨てられた都市、第0番街。
薄い鋼板でできた建物を背に、住民はじっと座っていた。
前を通る僕を虚ろのような眼球でジトッと見つめる。
陰湿な視線に、僕は怯えながらも前に進んだ。
前に進んだ、といっても行く当てがない。
サカイメの街とは違って、静かではあるものの、話しかけにくさは度を越えている。
このまま、目的の人物と遭遇しないか祈ったほどだ。
そして、僕の不運が発揮された。
「とまれ! そこの男!」
「とまれ!」
「とまれ!」
両側の細い通路から、少年少女合わせて六人が拳銃を持って、僕を囲った。
銃口の先には、僕がいる。
体格差は僕が勝り、短剣を扱う技術も僕の方が上だ。
しかし、数で攻めてこられると分が悪い。
おまけに相手は子どもだ。
子どものドワーフ。
殺して、窮地を脱したとしても、後味が悪すぎる。
背の高い少年がリーダーだろうか。
その少年は銃を突き付けながら、質問を投げる。
「ここへ何しに来た、人間」
「人探しだ。僕の兄を探して、ここに来たんだ!」
問われて、すぐに口が回った。
命乞いのように、目的を喋る。
すると、真正面のリーダーが更に質問を重ねてきた。
「兄だと? 本当の話か? お前は新都リライズから、盗みを働きに来たんじゃないだろうな!」
「それは断じて違う! 兄の名前は、グリーングラス・ゼファーだ! 行方不明の兄を追って、ここまで来たんだ!」
少年少女は銃を構えて、にじり寄ってくる。
一呼吸するたびに、距離が近づいてきた。
頼む、信じてくれ。
リーダーが口を開きかけた瞬間、右の建物から女性ドワーフが出てきた。
少年らとそんなに変わらない背で、彼女は上げた腕を下ろす。
それを合図に、銃口は一斉に下を向いた。
「よしな! そいつは怪しい奴じゃない」
「母さん……」
察するに、少年らの産みの母親が現れたようだ。
「さ、あんたらは他に行きな」
「うん」
リーダーが俺の傍を通って、背後に去っていった。
他の少年と少女も同じように消えていく。
母親はあちこちが痛んだ衣服を、パンパンとはたき、埃を落としていた。
「あの……助けていただき、ありがとうございます」
「うん? 助けるのは当たり前じゃないか。あんた、グリーングラスさんの弟なんだろ?」
「あ、兄をご存知なんですか!」
「忘れるわけないよ、あの薬師を。うちの息子や娘が、元気に走り回れるのも、あの人のおかげさ」
ポケットから煙草を取り出し、指の先端から魔法で火を放つ。
火に当てられ、煙草の先が赤くなり、彼女は唇で加えた。
目を閉じて、息を吐くと煙が舞い上がる。
味がまずそうな表情を浮かべていた。
「あの人はねぇ、命の恩人さ。薬なんて貴重なものを、惜しまず子どもに与えてくれた。それに、嬉しそうに治療もしてくれた。最初はね、金銭でも奪ってやろうって思ってたんだけどさ、その場で子どもが倒れてね。アタシらを救ったところで、得られるものなんて何もない。なのに、病人は助ける、とかなんとか言って、結局お世話になってしまった。あんな良い人を襲おうとしたこと、みんな後悔してた」
「あんな、いいひと……」
「助けた後も、アタシと話して、すぐ去っていった。グリーングラスさんは本当の神様だよ」
魅力のある笑顔になって、嬉しそうに煙を吹かした。
母親は、空へと昇っていく煙を眺める。
煙はやがてバラバラに小さくなって、しまいには目に見えなくなっていた。
探し人は神様とまで言われ、無自覚に自分と比較してしまった。
そして、自身を卑下する。
僕には、これといった技術や知恵を持っていない。
家が豊かなわけでもない。
探し求めた人が傍にいるわけでもないのに、鼻をへし折られた感覚だ。
「アンタ、よくここまで来たわね。そんなに会いたいの?」
「突然、家を飛び出したものですから。理由が気になって……」
「理由ねぇ。複雑な理由なんてものは感じなかったわ。良い意味で単純な人だと思う。きっと、世界中の病人を助けたいっていう気持ちが、原動力になっているはずさ」
「そうです……か」
曖昧な返事をして、口を閉じた。
彼女の話を聞いて、ようやく心が打ちのめされた状態だ。
旅の途中でも、自身と比べることはままあった。
そんな感情が出てきた瞬間、無視を決め続けようとしていた。
なのに、ちょっとだけ探し人に触れてしまう。
挙句の果てに、自分を責める。
比較を止めようと思っても、つい比べてしまう自分に呆れ果てた。
一種の中毒状態に陥っている。
名づけるなら、他人比較中毒。
過度な喫煙や飲酒と同じようなものだ。
「あの、兄がどこに行ったとか聞いていますか?」
「神の都ユニヴェルスって言っていたわ。今頃、あそこで難民たちの病気を治しているんじゃないか」
デザイア領の南に位置する、神の都ユニヴェルス。
この世界を創生したとされる神マーテラルを主神とする宗教の総本山である。
神都の独立が保証されているため、戦争で国を追われた者などが難民キャンプをつくっている。
現在、最も医者の需要が高まっている場所だろう。
「ユニヴェルスに行くんでしょ、アンタ。だったら、今日はここに泊まっていきなさい。汚いかもしれないけど、我慢してね」
「ありがとうございます」
……はぁ、はぁ、いま、どこだろうか。
脇腹からの出血が酷く、手で押さえても止めどなく溢れる。
手のひらに吹き出す血は生暖かい。
視界は、ぼやけてきた。
僕、もう……。
リライズ領とデザイア領の境界に、キセノン山地がある。
上へ上へと登っていくたびに、気温が下がっていく。
呼吸をするたびに、喉が凍てつく寒さだ。
デザイア領に踏み入れば、そこは霜と雪の世界。
キセノン山地から、ルシフェルゼ山へと名前が変わり、魔物も一変する。
第0番街からキセノン山地へ向かう道中で旅商人と出くわし、防寒着を購入した。
そのおかげで、凍え死ぬ恐れはなくなった。
だが、油断が危険を招いた。
魔物は隠れるようにして避ければ、問題ないとばかり思っていたため、ここに見合った装備を整えていなかった。
結果、狼型の魔物が引っ掻き攻撃を放ち、脇腹を負傷した。
食い込んだ爪が激痛を訴えてくるが、歯を噛み締めて耐え抜く。
それから、隙を突いて魔物の首に短剣を刺しこんだ。
黒い剣身が丸ごと肉に埋まり、勢いよく引き抜くと魔物は倒れた。
緊張がほどけ、痛みはより過激さを増してきた。
手で思いっきり傷口を押さえ、呼吸を整える。
額から汗が流れるほど、辛く苦しい痛み。
足を引きずるようにして、その場を離れる。
手からはみ出した鮮血が、足元の雪を溶かした。
白一色だった地面は、赤い点々で彩られる。
それから、しばらくの時が経ち。
いつもなら難なく進める勾配の急な坂に、僕は苦戦していた。
意識も半分以上おぼろげで、真っ直ぐ歩いているのか不安だった。
閉じそうになる瞼を、何度もこじ開ける。
ぼ、ぼくは……あいつを……。
口に出そうとしたセリフが脳内に浮かんだ後、発声することなく前のめりに倒れた。
意識が消えていく代わりに、痛みがだんだんと引いていく。
そのまま、すぅっと天にまで召されそうな心地よさに包まれる。
これが……最期。
耳元に雪を踏みつける足音……。
「きみは……。死ぬなよ、すぐに助けるからな」
瞼が開く。
濃い緑色をした布地の天井が見えた。
一度、瞼を閉じ、もう一度、瞼を開く。
その動作だけを繰り返して、ようやく自分が生きていることに気が付いた。
床が冷たい。
だけど、あの雪山より遥かに暖かい。
上半身を起こし、改めて見渡す。
どうやら、ここは誰かのテントのようだ。
ということは、神都ユニヴェルスか。
背中に背負っていたバッグは、壁に立てかけてある。
体を動かそうとした瞬間、脇腹に電撃が走った。
そうだ、僕……魔物にやられたんだった。
視線を、右脇腹に向ける。
服をめくると、包帯がされていた。
傷口から漏れた血が、包帯ににじみ出ている。
「気が付いたかい? よかった、君が助かってくれて」
誰かが入口から顔を出している。
まだ意識がぼんやりとしているせいか、顔の輪郭が捉えられない。
自分より、少し年上のような雰囲気だ。
「あなたが、助けてくれたのですか?」
「ああ、そうだよ。雪山で君が倒れていて、私がここまで運んできたんだ」
男の落ち着いた声が、耳へ滑らかに入った。
「少し落ち着いたら、私に会いに来てくれ。近くの崖で待ってる」
そう言い残して、彼は入り口の布を下ろした。
分解された意識が戻りつつある今、さっきの男の顔が眼前に浮上してくる。
朧げな顔に、眉や前髪、鼻、口がくっ付いていく。
そして、ハッと思い至り、声を上げてしまった。
「あっ!? あの、男は……」
すぐに立ち上がり、バッグをよそに短剣だけを抱えて、外に飛び出す。
息が荒くなり、脇腹の痛覚が叫びだしても止まることは考えなかった。
あの男が言っていた崖に行くんだ!
「ようやく、ようやく……見つけたぞ」
「君はシドルファス家の長男……フュージア君、だよね?」
男が振り返りながら、僕の名前を告げた。
次に男は、片手に構えた短剣に注目する。
「やはり……私を殺しに来たのか。妹の復讐をしに」
片手で握っていた短剣を、両手で持ち直す。
なんで、こいつは刃を突き付けられていても落ち着いているんだ。
ますます、怒りが沸騰した。
「……ああ、そうだ! 妹を殺したあんたに、復讐してやる! そう誓って、家を飛び出し、名前も知らない人物を追ってきたんだ!」
脅すために、剣を振るう。
それを目の当たりにしても怯えるどころか、一歩近づいた。
「許してくれとは言わない。言う権利なんてあるはずがない。私が殺したのも同然だからだ。今も、ずっと悔やんでいる。全ては、私の責任だ。思い上がっていた私が悪かったんだ」
二ヶ月前。
自分の家に、男が上がり込んできた。
辺りを見回し、ベッドで苦しそうに寝ていた妹を発見した後、即座に駆け寄った。
床にバッグを置き、中から薬を取り出す。
そして、妹を診察した。
この男は、村に在留している医者だ。
僕や妹は医者と仲が良く、一緒に写真も撮ったほどだ。
「熱はある。上気道に異常か?」
「ゴホッ、ゴホッ!」
「大丈夫だ、私がいる。風邪の可能性が高いな。この薬を飲んでくれるかな?」
妹の瞼が少し開き、医者が握る小瓶を確認する。
しばらく間を置いて頷き返した。
「偉いね。誰か、水を持ってきてくれませんか!」
「なら、僕が持ってくる!」
母親は隅で心配そうに妹を見つめているだけだった。
僕は桶に貯まった水を確かめる。
もう、ほとんど空だった。
コップを桶に入れて、傾けながら水をすくう。
ギリギリ、コップ一杯分の水を入れることができた。
急いで、妹に手渡し、錠剤を飲ませる。
「どうだい?」
妹はゆっくりと医者に顔を向け、にっこりと微笑んだ。
「よかった」
僕が安堵した瞬間、再び妹は激しくせき込み始めた。
喉を押さえて、ゴホゴホと酷くせきをし続ける。
僕も医者も仰天し、息を吞んだ。
医者は、すぐに妹を寝かせて、体のあちこちに視線を右往左往させる。
「こ、これは風邪ではないのか!? しっかりと意識を保つんだ!」
「ゴガッ……」
嫌な音が混じった咳をし、妹は手のひらを眺める。
その手には、吐き出した血がべっとりと付着していた。
「喀血だと? 気管支拡張症か!? いや、それにしては変だ。心配するな、次の手だ」
今度は取り出した注射器で薬品を取り込み、虚弱した腕に刺す。
中の液体を全て流し込むと針を抜いて、腕を消毒をする。
「これで咳を和らげる。負担は軽くなったはずだ」
「ぜーぜー」
医者はズボンや服の袖をまくり上げると、驚きで見開いた。
「皮膚が、黒くなっている……? 見たことも聞いたこともない病気だ……」
「先生、妹は助かるのか!?」
僕が切羽詰まったように問い詰めると、医者は深く頷いた。
「大丈夫だ。こうなれば、万能薬を使う。どんな病にも効く秘薬だ。君、水を持ってきてくれないか」
「分かった」
すぐに台所まで走り、空になった桶を持って、村の井戸に向かった。
地下水を汲み上げ、水で満たした桶を抱えながら走る。
こんなに必死になって走るのは、人生で一度あるかないかだ。
家の扉を開けて、僕は叫ぼうとした。
「持って、きた、よ……」
桶が手から離れる。
桶は倒れ、水が床に広がっていく。
母親はひざまずいて嘆いていた。
医者は妹の手を握り、顔を俯けて肩を震わせている。
「アロラ、アロラ……」
神にすがりつくような声で、妹の名前を唱えた。
何度も何度も。
普段なら優しい笑顔を向けてくれるはずの妹は、今は動かなかった。
枕に頭をのせて、空虚な瞳で天井を見上げている。
これっぽっちも動く気配はない。
糸が切れた人形のように、僕の体は崩れ落ちた。
口を大きく開けて、僕は慟哭した。
そうだ、この医者が妹を殺したんだ。
ぽっかりと空いた空虚が、医者への恨みで満たされた瞬間だった。
「あの後、私は逃げるようにして村を出た。いや、逃げたのだ、君から。君からの信頼を裏切った。恨まれるのも当然だ。私は師匠のもとで、様々な知識や技術を学んだ。医学について、嫌というほど学び、そのうち自信過剰になってしまった。もう、師匠の教えを得なくても、世界中の病人を救えると傲慢になった。相手が何者でも困っている人は助けるという信念を持った。そして師匠の忠告も無視して、私は外に飛び出したのだ」
ゼファーは、右の手のひらを見つめる。
存在感が弱々しく、僕以上に力を失っていた。
とても、旅で聞いた狩猟者とは思えないほどである。
「そして、最悪の結果に遭遇してしまった。これは、私の思い上がりが招いたことだ。私が悪い。……逃げて、本当にすまなかった」
「逃げて、すまなかった、だと……? ふざけんなよ! あんたを探すために、どれだけ歩いてきたと思ってんだ!」
両手の握力が強くなり、短剣の切先が定まった。
切先の向こうに、ゼファーがいる。
「返す言葉もない。だから、君の望みを受け入れる。私にできることは、これだ」
ゼファーは腕を広げ、全てを受け入れる体勢になった。
隙だらけで、何もかもを諦めたような顔だ。
どうぞ、お好きな場所に剣を刺してください、という意思が伝わってくる。
「……やってくれ」
彼は、鈍い光を反射する短剣から目を背けなかった。
王都グレアリングで研いでもらった短剣は旅を経て、ボロボロに刃こぼれしていた。
自分が長距離の旅をしてきた証だ。
僕がここまで来た意味を思い出せ。
こいつを殺してやるんだ、妹を殺した報復なんだ。
剣で、人を殺すのは簡単だ。
魔物を殺してきた自分にとって、動かない人間を刺すことなど造作ない。
短剣の重さを、手全体で確かめる。
風が吹いて、ゼファーのボサボサ髪が揺れた。
難民キャンプ近くの崖で、二人は対峙する。
しかも、一人の男は短剣を構えている。
そんな光景を見て、釘付けになっている人々がざわめいていた。
「君の手で、わたしを……ころしてくれ」
ああ、やってやる!
足を前に出して、僕は切先を……下ろした。
手が震え、涙がこぼれ落ちる。
あらゆる重さから解放された心情だった。
「こんな、良い人を……殺せるわけないだろ! ずりぃ、ずりぃんだよ……!」
喉を縮め、嗚咽をこらえる。
それでも口から涙声が漏れ出た。
ゼファーの顔をまともに見れない。
「旅で僕は……あんたに助けられた人から、あんたへの感謝を何度も聞いた。そして、助けられた! 実の兄だと偽って、情報を聞いていたら、みんな感謝していたんだ。こっちは憎くて憎くてたまらないってのに! あんたのことを命の恩人だとか、本当の神様だとか……感謝だけじゃなくて尊敬までされていた! 僕だけがおかしいのかと思っちまうじゃねぇか! ずるいんだよ! 僕をめちゃくちゃにして!」
「フュージアくん……私は、良い人なんかじゃない。善人ではない。悪人なんだよ、私は」
「自分で決めつけんじゃねぇ! そいつが良い奴か悪い奴かなんてな、他人が決めるもんなんだ! 僕は、あんたのことを……善人だと認めてしまった。殺そうとした相手に助けられるなんて、情けないったらありゃしない! あんたを殺す旅が、あんたを生かすための旅だったなんて……この畜生!」
地面に向かって叫び、どうしようもない怒りを自分にぶつけた。
そして短剣を強く握り締め、ゼファーに突き出す。
「殺されるってのに、黙って突っ立ってないで、少しは抵抗しろよ! 相手が何者でも、困っている人は助ける信念を持っているだって? なに言ってんだよ! 自分自身も助けられない人間が、そんなもん貫き通せるわけないだろうが!」
一歩一歩地面を踏みしめながら、ゼファーに近づく。
途中、柄を逆手に持ち替え、剣の切先を下にした。
握っていた短剣を、ゼファーの胸に押しつける。
「こいつを奪って、自分を助けろ! 助けろよ……」
懇願するように、声を絞り切る。
言葉の最後はもう、声すら出ていなかった。
膝から崩れ落ちて、僕は泣いていた。
短剣は、自分の手にはない。
既に、彼が肌身離さぬよう抱えていた。
「私は……生きていいのか?」
「人に聞くんじゃねぇよ……そんなの。ただ、あんたが死んだら、僕は困る」
「困る……か」
腕をゼファーに掴まれ、僕は立ち上がった。
「私は困っている人を助けると言ったんだ。約束は守る。これは……フュージア君が持っていた方がいい」
僕の手に、短剣を握らされる。
これまで散々握ってきたはずの柄なのに、真新しい触感があった。
それは、とても心地が良かった。
魔物を殺し、人を殺すための短剣は別の何かに生まれ変わろうとしている。
「君に助けられた命で、これからもいろんな人を助けようと思う。これが罪の償いになればいいが」
「妹はどうしようもなかった。もう……終わったんだ。あの時、一生懸命に助けてくれようとしたあんたが、犯してもいない罪なんて背負わなくていい。ありがとう、ゼファーさん。本当にありがとう」
感謝と共に、体中を這い回っていた毒が抜けていく。
僕は短剣をもとの鞘に納め、止まらなかった涙をぬぐった。
ゼファーもまた、目に溜まっていた涙を指で払い、目を細めて笑う。
不機嫌だった空の雲は、僕たちのために太陽光を通してくれた。
やがて、難民キャンプ全体にも光が差し、温かな空気を生み出している。
僕は一つ、お願いをしてみた。
「ゼファーさんに付いていってもいいかな? 僕も医学について学びたいんだ」
「もちろんかまわないけど、何かあるのかい?」
「妹を襲った病気を治せるようにしたい。もう二度と、病気で死なせるわけにはいかないんだ」
「私も同じ想いだ。あの病の調査をしながら、病人を救うんだ。もしかすると、その過程で治療法が見つかるかもしれない。協力しよう、フュージア」
グッと握手を交わし、視線を交差させた。
二人は、テントに戻りながら言葉をやり取りする。
内容は、旅で知ったゼファーのこと。
僕に託された伝言や感謝を伝えると、彼は照れくさそうに微笑する。
「助けが必要になったら、ナイリウスに頼ってくれ、って。俺はもう、あの時の俺とは違う、と」
「そうか。彼も頑張っていたんだな。用事が済んだら、サカイメの街に向かおうか」
「その後は、エンタープライズにも行こう。あそこの料理は凄かった。自分が貴族になった気分だったもん」
「はは、すごい国だよ、エンタープライズは。あそこは全ての種族を受け入れる国と言っている。なんというか、私に似ている国だ。いつか、あそこに住んでみたいものだな」
こんな会話ができるなんて、過去の自分は信じないだろう。
未来の自分は、どうだろうか。
僕はどうなっているのだろうか、ゼファーと一緒に旅をしているのだろうか。
僕の歩んできた旅は、とても良かった。
ゼファーに助けられた人から聞いた情報が、僕を変えてくれたから。
これが……人を探す旅で人を知る、ということだ。
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