第12色
第12色
二つ目。
そこは、先程立ち寄った所とは関係が無く、もしくは密接に関係している存在。もう誰も来ない、誰も見ない場所。かつては、きっと喜怒哀楽に満ちた賑やかな建物だったろうに。それは取り残され、それは弄ばれ、それは恐れられ、それは忘れ去られ、それは邪魔物にされ。
今では大きく平坦な、何も無い、まっさらなただの空き地。どこにも見る影は無い。あの頃の面影は無い。明るい未来を照らす光も、暗い陰を落とす輝きも。ただ照りつける陽光と、昇る陽炎が戯れているだけ。けれど、確かにここに在った。
「ここって」
「知ってるんだ、カナエ。私は今の今まで思い出しすらしなかったのに」
何年前だったか、取り壊された学校が近くにあったことは知っていた。けれど、優季もカナエも幼少期に費やした場所はここでは無かった。ここは、優季達がその歳になるより前からこの姿だったのだから。
思い出なんか何も無い。在ったのかも理解らない。ただ、伝聞として、空想としてそうだったらしいことを知っていた。今まで目に入りすらしないくらいに。
イノリの顔は酷くしおれていた。寂しい、というのもあるのだろうが、一番色濃く出ているのは『ムナシイ』ただそれだけ。
ここで起きた事も、ここで笑った事も、ここで泣いた事も、ここで苦しんだ事も、何もかも消えて、無くなって。ここと同じように全て風化して。
ここから逃げ出した事すら失くなったみたいで。
――――――ホント、いやになるなぁ。
まるで全てを否定されるみたいに。今まで通りに。いつも通りに。普通に。
イノリが存在していた事は、きっと、どこにも無いのだと。そう、証明されているみたいに。胸が苦しくて、痛くて、張り裂けそうで。
なのに何処かほっとする。胸を撫で降ろす自分がいる。あんな事は無かったのだ、と。最初から無かった。何もかも無かった事なのだ、と。
そうやって自分から逃げ出した。自分の存在から逃げ出した。
『せっかく手に入れた虚像と一緒に、そのまま漂っていれば良かったんじゃないかな?』
これは、誰の声だっただろう。誰の言葉だっただろう。そんな事すら、失くしてしまった。
半分どころでは無かった。全部だ。全部だった。イノリは自己すら捨て、逃げ出した。身に纏っていた一切を捨てて。
……それを責めることも、褒めることも、出来ない。誰にも出来ない。誰も、してあげなかった。誰も気にも留めなかった。
『イノリはえらいよ、がんばってたよ!』
消えかけの声が、聞こえた気がした。泣きながら言っているような声。
でも、今なら理解る。これを創り出したのはジぶンダト。今度は頭が痛む。割れそうなくらい痛む。否定してきた事実が痛む。証明されてしまった現実が痛む。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。
「いたいよ……」
「イノリちゃん?!」
「ちょ……っ!!」
ふらっと崩れるイノリを、地面スレスレで二人が抱きかかえる。ぐたりとした身体に力は無く、浅く速い呼吸音が小さく漏れているだけだった。突然の事態に優季は困惑する。声を掛けてみるも、返事は無い。イヤに軽い身体が、手の震えで揺れる。小刻みに上下するイノリの頭が、そのまま優季の脈拍を加速させる。頭はカラッぽだ。目の前の事態に付いていけない。いつも、同じだ。
「脱水……熱中症?」
迂闊だったとカナエは空を睨む。既に夏が過ぎたとはいえ、この晴天で子供を歩かせるのは無謀だった。悔やんでも仕方が無い。いや、悔やむべきはそこでは無い。イノリを、一人の子供として見ていなかった自分を悔やむ。あんな事を言っていながら、何も理解ろうとしなかった。これじゃ、私も周りと同じだ……。ギリッと歯を食いしばり、冷静さを取り戻す為に周囲を見る。
「自販機ぐらいあっても良いじゃない……!」
――――――ここに来る道にそんな物は無かった。見落とした? 十分にあり得る。今までイノリすらまともに見てなかったのだから。
もたつく事すら今は惜しい。それなのに、カナエは動けなかった。果たして、どう動けば正しいのか。その後に付いてくる責任からは、逃げられない。全てを捨てないと、現実からは逃げられない。イノリみたいに。そうなる勇気は、持っていない。
「カナエ。常温で良いのなら、優季の荷物に小さな水筒があるわ」
落ち着き払った声が、カナエの心を鎮める。水面を撫でる風のように。おかげで思考が晴れた。熱に浮かされていたのはカナエもまた同じだった。結局この厄介者が、ここでは一番涼し気な顔をするのだ。
「……あった」
水の入ったペットボトル。ラベルには天然水と書かれている。コンビニ等で売っている小さい方。コンパクトなのは良いが、コスパで考えてみると大分損している気分になる、あれ。優季が持っていたショルダーバッグに、それが入っていた。
「持ってるなら早く言ってよね!」
半ば八つ当たり気味に言い、キャップを捻じ切るように開け、イノリにぶちまけた。そして無駄に凝った衣服のボタンをいくつか外し、やっと動くようになった手足を総動員させてゆっくりと抱き上げる。後は日の当たらない、涼しい所に連れて行くだけ。
それだけしか出来ない。
「救急車とか呼んでも無駄なんでしょう!?」
誰にともなく言う。そうして走り出そうとしたカナエに、優季が、優季とは違うあいつが待ったを掛ける。
「身体、揺らさない方がいいのなら私が運ぶけれど」
「〜〜〜〜〜〜!! お願い!」
イノリを任せて、カナエは休めそうな所を探す。なるべく涼しくて、リラックス出来て、水分と塩分をちゃんと取れるところ。わかっている。これは一度に望むことでは無いと。一つずつ然るべき対応が出来る様にするべきだと。それでも、カナエはそれを望んだ。祈った。だから、きっとそこを選んだのだ。イノリを助ける為の場所を。
イノリの存在を証明する場所を。
「すいません!! 誰かいませんか!?」
チャイムを鳴らし、なるべく落ち着こうと思いながらも大きな声が喉を突く。きっと聞けば驚くだろう慌て様に、自分でもどうかと思った。そう自嘲する間に、玄関が音を立てて開いた。
「ど、どうしました?!」
「大丈夫ですか?!」
出て来たのは若い夫婦。その慌て様に、カナエは思わず気が抜ける。へたり込みそうになる足に力を入れ、壁に手を付いて息を整える。状況説明は丁寧に。意思疎通は慎重に。
タイミング良く、では無いだろう。恐らく狙って、優季達が追いついた。ぐったりとした少女に驚き、二人は慌てフタめきながら家へ招き入れた。
三つ目。閉まっていくドアには、"TAKI"の文字が吊り下げられていた。




