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「先生の困ってる顔が、かわいくて」
「……は?」
杉原の答えは全く素っ頓狂なものだった。
杉原は気味の悪い笑顔をはりつけたまま喋り続けた。
「ずっと好きだったのよ、先生。私なりになんとか懐に入れないかって頑張ってみたけど全然ダメ。先生病院の事以外全然興味ないんだもの。諦めきれなかったし、悔しかった。だからちょっと困らせてやろうと思って。タイミングを調節するのは難しかったけど、鬱陶しい患者を適当に選んで呪いをかけた。川田先生と私の勤務時間が一緒になるタイミングで呪いを注入していってね。思ってたよりうまくいって良かったけど」
くくくくと杉原は笑った。目の焦点があっていない。明らかに異常だ。
「だからか……」
坂井がぼそっと呟いた。
「なんだ坂井?」
「三竹さんと井口さんの時、影が移動した時がありましたよね」
「あ、ああ。それが?」
「彼女は今、”鬱陶しい患者を適当に選んで”と言いました。つまり、三竹さんもやはり呪いの対象ではあったんですよ。だから影達は彼の死を予測した。しかし実際はおそらくその後に呪詛を吹き込まれた井口さんの方が先に死を発動した」
「そういう事だったのか……」
鬱陶しいという選別基準も恐ろしいが、ほとんど無差別的に呪いをかけ患者を殺すという発想と行動。
狂っている。しかもその理由が私への歪んだ愛情ゆえだ。救いようがない。
「何よ、あんた達」
すっと杉原が笑顔を消した。
「随分仲が良さそうね」
じりじりと杉原がこちらに歩み寄ってくる。間に挟んだ影達を気にもせず突き抜けて来る。ぬるぅっと影から顔を出した。凄まじい形相に血の気が引いた。とても同じ人間とは思えないものだった。
「坂井さあん? あんた仕事一筋な顔して、ほんとはあんたも川田先生の事が欲しいんでしょう? 興味なさそうな顔して、川田先生は鈍いから気付いてないかもしれないでしょうけど。あなた、普段と全然顔も雰囲気も違うわよ?」
「何を言っているの?」
「私の事、滑稽だと思ってるんでしょ? 惨めだと思ってるんでしょ? 何自分だけは違うみたいな顔してるのよ。本当はラッキーだと思ってるんでしょ。これがきっかけで! 先生と近づけるって!」
「そんな事思ってないわ」
「鬱陶しいんだよ! お前自分の事特別だと思ってんだろうが、ただのはみ出しもんじゃねえか! 馴染めてない不適合者なだけじゃねえか! 見下してんじゃねえよ!」
杉原はポケットの中から何かを取り出した。
「お、おい杉原……!」
杉原が手に握っているのは鋭利なカッターナイフだった。
「やめろ。落ち着け。そんなもの出してどうするつもりだ」
もはや影がどうとかそんな状況ではない。一触即発。
杉原の刃が向くのは、私か坂井の二択だろう。このままでは下手をすれば死人が出る。
「どうするって、さあ、どうするんでしょうね?」
だらんと顔を歪に横に傾けながら杉原がこちらに向かってくる。手にしたカッターナイフをおもちゃのようにぷらぷらさせながら。
「杉原。頼む、落ち着いてくれ」
「落ち着くぅ? 私のどこが落ち着いてないんですかぁ?」
駄目だ。会話に応じられる状態じゃない。トランス状態のように、杉原は正常な意識をもはや失っている。
――隙をついて抑えつけるか?
体格差や力ならこちらに分はあるだろう。
だが正直、怖気づいている自分がいる。こんな状態では逆に刺されて無様に終わるだけかもしれない。互角、下手をすればそれ以下だ。
――どうする、どうする……。
「大丈夫ですよ」
「えっ?」
「大丈夫。呪いを暴かれた時点で、彼女は終わっています」
坂井は確信のこもった声でそう言った。しかし、彼女の言葉をよそに杉原はなおもこちらに迫ってきている。
「そんな事を言っても、このままでは……」
やられる。そう言おうとした時だった。
影達がぐるっと一斉にこちらに振り返った。
影なのにこちらを見ている事が自然と分かった。いや、正確には杉原の方を見ている事に。
「何?」
私達の視線に違和感があったのか、杉原は足を止め後ろを振り返った。
「あ、あ、ああ」
杉原は驚愕した。彼女にも見えているようだ。なら無理もない。
影はもう、影ではなくなっていた。そこには、まるで生きていた時同じ姿の四人がいた。
井口さん。水無月さん。白川さん。そしてもう一人、おそらくこの患者が一番最初の犠牲者だったのだろう橋本さんの姿があった。気難しく、頑固な老人だったが感情表現が下手なだけでそれが分かると可愛げのある爺さんだった。
四人は皆じっと杉原を睨んだ。どれも憎悪に満ちた表情だった。
『ユルサナイ』『ユルサナイ』『ユルサナイ』『ユルサナイ』
四人の声が重なる。
『コロス』『コロス』『コロス』『コロス』
次の瞬間四人が一斉に杉原に飛びかかった。
「いやああああああああああああああああああああ!」
坂井が劈くような悲鳴をあげた。飛びかかった四人はそのまま杉原の身体にずぶずぶと入り込んだ。
「おぐ、ぶおおえお」
四人を取り込んだ坂井はたまらずその場に倒れ込んだ。嗚咽をもらし、床に吐瀉物をぶちまけていた。
しばらく苦しみ続けた杉原だったが、やがてその動きが止まった。私はただ、呆然とその場に立ち尽くしていた。
「先生」
横から坂井の声がした。
「人を呪った末路は、悲惨なものですね」
床に崩れた杉原の姿を見る。その姿は確かに普段の生き生きしたものとは程遠い、見るに堪えない悲惨な姿だった。




