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“呪われた病棟”
そんな不吉な言葉が病院内で回り始めていた。
周りの医師からも「内科病棟大丈夫かよ」と冗談交じりで絡まれたりもしたが、何とも言えない表情とパッとしない返しで相手を心配させるだけだった。
「一体なんなんだよあの影は」
坂井と会って再度井口さんが亡くなった時の話をした。彼女はまた真面目な顔で話を聞いていた。
「移動した、って事でしょうかね」
三竹さんについていた影が井口さんの所にいた件については坂井も不思議そうな顔をしていた。
「でも、おおよその事は分かったような気がします」
「なんだって?」
坂井の言葉に私は驚いた。私の中でもいろいろな仮説を立てた。しかし何せ非科学的な事が起こりすぎていて、結論にまるで自分自身納得いかなかった。
「川田先生だって、薄々感づいているはずです」
「感づいているって……分からないよ。何も」
「影の事は考えから外してください。一旦必要ありません」
「……どういう事だ?」
「状況を整理して下さい。それだけでもなんとなく見えてくる事があります」
「見えてくるもの……」
「影は、補強材料に過ぎません」
坂井は一体何を言っているんだろう。彼女はおおよそと言いながら、ほとんど真相に行き着いているのだろう。
「影に、注意してください」
彼女はまた、私にそう言った。
*
「最近立て続けで、大変ですよね」
「そうだな。良からぬ噂話まで出回っているようだし」
「呪いの病棟、ってやつですか?」
「幼稚だが、言いたくなる気持ちは分からなくもないな、この状況じゃ」
「ですよねー」
杉原はまた芝居がかった大袈裟な困り顔をしてみせた。
おもしろおかしく語られる程度の噂であれば問題はない。だが、この病棟にいたら呪われるだなんて、入院患者にとっては悪影響な話だ。
「じゃ、私巡視行ってきまーす」
そう言って杉原は病室の方へ歩いて行った。私はその背中をじっと見送った。
「お疲れ様です」
後ろで坂井の声がした。ナースステーションで他の看護師達に挨拶をしている所だった。今日はあがりの時間だ。しかし坂井は更衣室の方には行かず、私の方へと歩いてきた。
「すぐに出てこなかったら来てください」
足を止めることなく、すれ違いざまそれだけ言って彼女は病室の方へと歩いて行った。
すたすたと歩く彼女は、病室への中へさっと入った。その病室は、先に杉原が入っていった場所だった。
出てこなかったらと、坂井にはそう言われていたが、ただじっと遠くから見ているのももどかしく、私は二人の入った病室の方へと近づいた。
二人は今一体何を話しているのか。気になりながら病室の方へ近づくと唐突に、
「邪魔すんじゃねえよ!」
凄まじい杉原の怒声が聞こえた。聞いた事のない彼女の声に一瞬怯んだが、尋常ではない事態に慌てて病室へ飛び込んだ。
中へ入ると、杉原がひたすらに怒鳴り散らしていた。視線の先には坂井が立っていた。杉原と対照的に坂井は冷静に杉原を見ていた。
二人の間には、影がいた。影は四体。やはり増えていた。そして影は更に輪郭をはっきりとさせ濃くなっていた。
部屋の患者達は急な事に驚き戸惑っていた。特におそらく杉原が見ようとしていた田口さんという女性の患者は気の毒なほどに狼狽していた。日頃は小姑のように嫌味を言う患者だが、今日の彼女は怯えた小動物のようで隣で声を荒げる杉原に身体を震わせるばかりだった。
「どういうつもりかは知りませんが、あなただったんですね」
その声に呼応するかのように、影達が杉原を一斉に指さした。
“影に注意してください”
坂井は度々そう口にした。そして私も気付いているだろうと。
そうだ。私もいろんな仮説を立てた中で、おそらくという思いはあった。
誰が患者達を殺していたのか。そして影達は何者なのか。
坂井が言った通り、状況を整理してくると見えてくるものがあった。
「田口さん。すみませんが、ベッドから降りてもらってもいいですか?」
「え? な、なんなのこんな夜中にギャーギャー騒いだり、ベッドから降りろだの。ちょっとちゃんと説明――」
「早くしてください。殺されますよ」
「こ、ここ、殺され……?」
鬼気迫った坂井の様子に田口さんは素直にすっとベッドから降りた。田口さんに対して坂井は頭を下げ、おもむろにベッドのファスナーを開け、カバーの中に手をつっこんだ。そしてほどなくして、つっこんだ手を引き抜いた。
「これを仕込んだのは、あなたですよね?」
坂井の手には、小袋のようなものが握られていた。それを見た杉原はさっきまでの勢いが嘘のように鎮まり、引き攣った表情を見せた。
「そしてあなたがさっき唱えていたのは、呪詛ですよね?」
杉原は何かを思いっきりぶちまけたい、今にも爆発しそうな感情を抱えながら、しかし追いつめられ何も言い返す事が出来ないといったように歯をぎりぎりと噛み締め坂井を睨みつけた。
何故、影達は増えたのか。
影は死者。
殺された者達。
同じ方法で殺された者達。
坂井が小袋の紐を解き、手の平を添え袋の口を下に向けた。
ころっと、小さな木箱が出てきた。
「浅い知識ではありますが、だいたいこの中に入っている物が何かは想像がつきます。おそらくは全てあなたの一部でしょう。髪の毛、爪、血液。そして巡視と称した呪詛周り。犯罪として立証するには難しいでしょうが、患者の迷惑行為としてあなたを排除するには十分な材料ですね」
呪詛。呪い。
影達は、呪いによって杉原に殺された者達。
仮説を立てた時に私も思った事は、影が現れ死人が出る時、必ず杉原もその現場にいたことだ。
今この田中さんの周りには四体の影がいる。
つまり、井口さん・水無月さん・白川さん・もう一人の犠牲者。思い返せば、白川さんの時点で影は教えてくれていたのだ。
“次に殺されるのはこの患者だ。自分と同じように”
影に注意しろ。影は死してなお現世に残り、死を止めようとしてくれていたのだ。それを私は死神だなんて……。
“ア……ダ”
三竹さんの病室で影を通り抜けた時に聞こえた声。
『アイツダ』
教えようとしてくれていたのだ、きっと。自分達を殺した悪魔の存在を。
「どうして……」
しかし、悪魔は思ってもいない人物だった。
経験も人望も申し分ない杉原。つくっている部分もあるが、その愛嬌をそこまで嫌味に感じる事もなかった。仕事の関係として、信頼出来る人間だった。
だが、今目の前にいる杉原は全くの別人だ。
鬼。
およそ人の顔ではない、禍々しい顔だった。
その顔が、私の方をぎっと睨んだ。そして鬼の形相のまま、にたあっと口角をあげた。