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「ナースコールが鳴って行ってみたらさ、誰もいないのよ。あれって思ったんだけどさ、そこってこの前亡くなった加藤さんの部屋だったんだよね」
「うえーベタだね」
「ベタでしょ? 思わずベタじゃんって言っちゃったもん」
ナースステーションのパソコンを借りてカルテの記載をしている後ろで看護師達の談笑が聞こえる。聞きながら思わずふっと笑いそうになる。
彼女達は屈強で頼もしい。慣れなのか麻痺なのか。死が常に隣接している空間ではこれぐらいでないといけない。
――そういうのはないけどな。
怪談のシチュエーションとして病院はよく出てくるが、ずっと病院に身をおいているのに私は一切そういった類の事を経験したことはない。否定する気も肯定する気もないが、こういった類の経験をしている者は実際少なくない。
「川田先生」
ふわっと横から笑顔で杉原が覗き込んでくる。
「杉原か。お疲れ様」
「先生、ちゃんと休んでます? こんな時間までしっかりカルテチェックして、尊敬は絶えませんけど」
「ちゃんと仮眠はとってる。パフォーマンスは落とさないように気を付けてるさ」
「さっすが。まだまだ尊敬が足りなかったかな」
「医者なら当たり前の事だ。杉原こそ、しっかり休めてるのか?」
「大丈夫です。しっかり睡眠はとってますし、休みの日は結構はじけてますから」
「うまくやってるならいい事だ」
「心配してくださってどうもです」
不規則なシフトの中、労働内容もきつく厳しい。そんな中で順応し働き続ける事は容易な事ではないが、彼女の笑顔はいつもそんな辛さを一切見せないものだ。
「ちょっと回ってきますねー」
そう言って杉原は巡視に行った。私もカルテの方に向き直る。しばらく作業を続けひと段落した所でパソコンから離れた。
「さて」
今日はそろそろ帰るか。杉原にはああ言ったものの、年齢を重ねるごとにやはり体力ももちろん、回復力も落ちてきている。しっかりと身も心も休ませなければ。
杉原が巡視に回ってくれているので必要はないが、なんとなく一回りだけしておこうと思ったので病棟をぐるっと歩いて回った。
夜の病棟は静かだ。日中は患者も起きており、看護師もひっきりなしに動き回っている。
静かな病棟の中に自分の足音が響く。寝静まっている病室をすっと覗き確認していく。穏やかではあるが、いつ何が起きるかは分からない。容態が急変するなんて事はざらだ。仕事柄、常に自分の中に僅かながらでも緊張感を持って臨んでいる。
――ん?
なんだ、今の。
通り過ぎそうになった病室にもう一度足を戻した。
四人部屋の病室。患者はそれぞれのベッドに寝そべっている。
――気のせいか?
夜だからもちろん部屋の中は暗い。暗がりの中でそんなふうに見えただけかもしれない。
一人の患者のベッドの横。なんとなく影のようなものが立っているように見えた。もう一度私は同じ場所に焦点を合わせる。
何もない。何もなかった。だめだ。いよいよ疲れが来ているのかもしれない。
ぐるっと一通り病室を見て回った所で、ナースステーションに戻ってきていた杉原やほかの看護師に声をかけ、その場を後にしようとした。
ピーピーピー。
途端ナースコールが鳴り響いた。ランプが点滅している部屋番号を確認する。
――え?
その番号を見た瞬間に、背中にうすら寒いものを感じた。
「先生!」
杉原の声でハッとなり、慌てて私も病室に駆け出した。
呼び出しのあった番号は、先程私が影のような者を見た患者が寝ているベッドだった。