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「美里さんだけど、もう少し薬増やそうか」

「はい。あまり、良くない状態ですね」


 私の提案に3F病棟看護師の杉原由衣すぎはらゆいはわざとらしいほどにため息をついてみせた。彼女は感情を大きく表現しがちでそれがたまに鼻につく事もあるが、ため息をつきたいのは私も同じ気持ちだった。

 美里芳江みさとよしえ。年齢は75歳。高齢化社会となった日本において、75歳はまだ元気な年齢かもしれないが、それでも老齢だ。身体にいろんなガタが来るのは当然の事だ。


「出来る事を、続けていこう」


 それが私の口癖だった。

 内科の医師として病院に携わって15年。まだまだ医師としてはこれからだが、当然無駄にただ病院に居座り続けたわけではない。多くの生と死を目の当たりにし、自分が出来る事は何か、役目は何か、ずっと自問自答を続けながら患者と関わってきた。

 出来る事。死から生へと快方へ向かった患者もいる中、抗えずに死へと終わりを迎える患者もいる。しかし、助けるという事は、ただ命を救うだけの事なのか。その解は、決して単純ではなく、未だにはっきりとした答えに行き着けてはいない。ただ、支柱として一つ大事にしているもの。自分の向かう先がブレないように鼓舞するため、気付けば私はこの言葉をよく心で唱え、口にするようになった。


「はい」


 私の言葉に杉原は大きく強く笑顔で頷いた。

 素直な子だ。確かまだ28だったか。 愛嬌もあって患者や他の看護師からも評価は高い。歳が離れている事もあり彼女を意識した事はないが、男性人気も高いそうだ。


“お前、杉原とかどうなんだよ?”


 同僚からそんな言葉をかけられる事も度々あった。仕事上で彼女と関わる事は確かに多いが、あくまで仕事上において良い関係程度にしか思っていないので、特に何もないと答えると、たいがいおもしろくないという顔をされるのがオチだった。

 私としては意味のない質問をするなという気持ちだったが、どうにも私の感覚はどこか周りと少しズレているのかもしれない。







「ご臨終です」


 決して言い慣れたい言葉ではない。だが今日も一人、命の灯が消えた。

 ベッドの上で静かに横たわる老人に向かって告げる。梶井元保かじいもとやす。83歳。


“ほんとは早く妻の所に行きたいんだが、頑張れる限り頑張らないと、あいつは多分怒るだろうからね”


 そう言って穏やかな笑顔を浮かべているのが印象的な患者だった。

 手術後入院ししばらくは安定した状態だったのだが、次第に容態は悪化していき、意識もしっかりとしていない状態が続いていた。そこからはあっという間だった。


「悲しいですけど、これでやっと奥さんの所に行けると考えたら、幸せなんでしょうかね」


 杉原はそう言いながらも、どこか悔しそうな表情を見せた。


「……そう思いたいね」


 亡くなる直前、杉原はいち早く彼の状態を確認し連絡を回してくれた。彼女の対応に問題はない。命というのは、こちらの意思や行動だけではどうにもならない時も多い。そんな事は彼女もよく分かっているだろう。そして、分かっているからこそ辛く思うのだろう。


「あまり受け止めすぎるなよ」


 そう言って軽く彼女の肩を叩いた。


「ありがとうございます……」

 

 優秀な看護師だが、あまり感情に引っ張られすぎるのは危険だと思っている。なにせ我々は救う側だ。常に患者の傍に身を置き尽力する事が使命ではあるが、使命を果たす為には己をしっかりと支えなければならない。その為に割り切り、捨て去らないといけない部分もある。杉原に関しては、その点だけが心配だった。


「お疲れ様です」


 病室を出ると声を掛けられた。声の方を見ると、杉原と同じ病棟看護師が立っていた。

 彼女は確か――。


「坂井くんか。お疲れ様」


 坂井里奈さかいりな

 彼女も梶井さんの傍でよく動いてくれた。看護師としての力量としては杉原以上で的確で申し分がない。

 彼女はすっとお辞儀をした後、ちらっと梶井さんのいた病室を見た。


「ん? どうした?」


 そう問いかけても坂井はしばらく視線を病室に向けたままだったが、


「……いえ」


 聞こえるか聞こえないほどの声でそう言い残し、彼女はナースステーションの方に戻って行った。


 ――よく分からんな。


 技量は申し分ない。ただ、杉原と比べると明暗、陰と陽という表現がぴったりとはまる。


『仕事以外の話、彼女とした事ないんですよね』


 杉原だけでなく、他の看護師からもほとんど同様の言葉が出てくる。プライベートが謎で、話を聞いていると、仕事以上の関係性を彼女自身あまり望んでいないらしい。

 決して見映えが悪いわけではない、というか美人の分類ではあるが、表情も感情も薄くそんな態度もあってどうしても相手に冷たい印象を受ける。チームワークも大事となる仕事なので、その点空気を悪くしたり仕事に支障が出るような事がなければいいがと心配しつつも、今の所技量のおかげか彼女のせいで何かトラブルが起きたと言う事は見聞きした事はなかった。

 別に私自身もあまり職場の人間と深くプライベートな付き合いをしたいとは考えないので、坂井とのコミュニケーションで困る事のほどはないのだが、あまりに人の温度を感じないので時折不思議に思う事はあった。

 

 ――しかし、今の反応はなんだったんだろう。

 

 相変わらずいつも通り表情は崩れていなかった。ただなんとなくどこか、不快といった印象だった。

そこにいる、何かを見て。


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