二の巻
三月の、京都の山は寒い。
コートを着込んでも凍えてしまう。
迷宮の中に居る時には本当に気温を意識しないで済むのだけれど、外はまだ冬の寒さをしている。
「空気がひやこいなぁ……」
「まだ寒いねぇ」
思わず出た、と言う風に繚華ちゃんが呟き、私もそれに応じる様に言葉を重ねる。
大江山中腹の有る迷宮を出て、すぐ脇の買い取り所の建物で買い取りをして貰う。
毛皮が二十八枚、肉が百八個だった。
あたしは肉を持ち帰るとして、毛皮の買い取り額は一人頭三千六百円になった。
肉も全部売ってしまえる二人は一万四千四百円。
中学生のバイト代として高いと思うし、大量の肉を買わないで済むのは家計として助かる。
買い取り金額はIC免許にチャージして貰った。
何日か前に見たニュースで氾濫が災害認定されるかも知れないとニュースでやっていた。
我が家は保険に入っていたが、氾濫は災害認定されていなかった為に一切保障されなかった。
国の援助が出れば良いのだけど。
全国七ヶ所で同時に周辺の農作物が全滅した影響が大き過ぎたと思う。
溢れた兎は山を越えて数㎞範囲の田畑を食い荒らした。
経済的な意味でも野菜の高騰はお財布を直撃してしまったし。
「赫里ちゃん、いっぺん帰ったらどこぞへ行かはる?」
珪子ちゃんのお誘いに少し考えて断る事にする。
「ん~、今日は行かんとく、なんか頭ん中せわしない事成ってるし」
「そっか~、あんまりカリカリしたらあかんよ? ゆっくりお風呂入って力抜きなね?」
「かんにんな? 明日はちゃんとするさかいにな?」
繚華ちゃんを含めた皆に頭を下げる。
皆もあたしの言葉に頷きを返してそれぞれの家の方面のバス停に移動する。
「赫里ちゃん、そないにストレス溜めてるん?」
「そないなつもりは無かったんやけどなぁ……、いらちなっとるんかなぁ……」
萊ちゃんの質問に答えると溜息が零れてしまう。
「そんで? 何を考えて怒り出した訳?」
「なんや途中から「あんたらのせいでこない苦労する羽目に成ったんや」って兎にムカムカしてきてもうて……」
あたしの言葉に納得した様に頷く。
「そら家が農家のシーカー皆思とる事やな」
「でも、薙刀振り回してる時にそないな事考えとったら危のうて。反省せな」
繚華ちゃんのフォローに応じると反省と自己嫌悪が沸いて気持ちがどん底に落ちてくのが分かる。
切り替えて対策を講じるまでなんも前に進まないのは分かってるけど、気持が落ち着きの無い事になってる。
そうこうする内にバスが来たので大人しく、揃って乗り込む。
バスの中はガラガラで、二、三人しか乗ってない。
迷宮の間引きにシーカーが通う様になってから出来た路線だし当たり前かも知れないけど。
街の人には分からないかもだけど、農業は生きる為のベースで、シーカーは氾濫を食い止めるのに必要不可欠な存在になった証拠なんだと思う。
でないと、京都市とも離れた山にわざわざ路線バスを通したりなんてしないだろうし。
氾濫した兎達は山を越えて広範囲に移動する。
後の調査で兎が移動した経路の植物は素通りして、人が育てた作物だけを食い荒らした事も政府が慌てた理由だ。
野草や花には見向きもしなかった。
TVでは「田畑に被害が少なく、森林に被害が終始していたら政府は動かなかっただろう」と批判する様な変な日本語で解説していたのを覚えている。
窓から見える山の緑の横を通りながら、あたし等を乗せたバスは狭い道をくねくねと下り街に戻って行く。
イライラの原因から意識を反らそうとあれこれ考えると繚華ちゃんに話し掛けられる。
「南雲×稲月、今一番燃えると思わへん?」
「え~? 私は南雲は岡松の方がハマるんと思うんやけど」
「赫里ちゃんはどう思う?」
先月買うのを我慢した薄い本の話題だった。
皆してあたしの雰囲気とか空気とかを混ぜっ返したいんだと分かった。
「あたしは~、南雲×柊×岡松かな~?」
「赫里ちゃん、カップリングで三人は邪道なんと違う?」
「え、でもあたしあの三人がドロドロに絡んで――」
「赫里ちゃん! それ以上は駄目やって! ここバスの中!」
皆が空気を換えようとしていたのに乗って、前提をひっくり返す特盛を投げ込んだら怒られた。
「ええやん、推しがドロドロに成ってはる所、皆も好きやんなぁ?」
皆の顔を流し見すると揃って赤い顔してそっぽ向いてる。
やっぱり図星だった。
そう思うと自然と笑いが込み上げて来て、気分も何となく明るく成った気がする。
照れ臭くてお礼は心の中に納めた。
それからはBLトークからそれぞれの恋バナに話題が移って根掘り葉掘りお互いに質問合戦になった。
アニメの誰々君が良いとか、コーヒーショップの店員さんがイケメンとか色々と。
二十~三十分位バスに揺られてあたしの家の近くのバス停に付いた。
「また明日なぁ」
バスを降り際に皆に手を振って友人達を見送る。
二人を乗せたバスが走り出してから溜息を吐きながら我が家に入る。
古い日本家屋の玄関に荷物を置いてリュックからタッパーを出して台所に向かう。
「ただいま、お母さん、これ今日の分ね」
そう言ってタッパーに詰めた兎肉をテーブルに置く。
料理をしていたお母さんが振り返ってあたしの顔を見て、テーブルの上のタッパーを見る。
「おかえり赫里、はばかりさん。今日もたっぷりね、助かるわぁ」
「本当はもう少し多く捕れたかも知れないんだけどね」
「どうかしたん?」
「途中で兎にイライラして来てもうて、皆で『今日はこの辺で止めとこ』言う事になってん」
「あぁ、赫里はまだ怒ってるんね」
「うん、自分でももう落ち着いたと思ってたんやけど……」
「仕方が無いて、赫里の進学がバタバタしたんも氾濫のせいやからね」
「日本中の受験生が皆同しやって、分かってるんやけどなぁ」
「赫里ももう高校合格したんやし、イライラしいひんときばらずきばりや?」
「そうする、シャワー浴びても大丈夫?」
「ええよ、風邪引かん様にな?」
そんな母とのやり取りをして自室に荷物を置きに戻る。
自室のドアを開けてリュックを部屋の片隅に置く。
繚華ちゃんの部屋程女の子女の子してないけど、それなりにカラフルな部屋。
そんな部屋に場違いに武骨な代物が床に設置されている。
薙刀を膝丈の槍掛けに納める。
薙刀を納めて一礼してからコートを脱ぎ、着替えを持って風呂場に行く。
脱いだジャージを洗濯機に入れて脛に当てていたサッカー用のプロテクターを外す。
浴室に入って熱いシャワーを浴びて汗を流して、強張った筋肉をマッサージする。
泡を洗い流して鏡越しの自分の体を観察する。
少し筋肉質に成ったのか、腰の括れが際立ってきたのは気のせいじゃないと思う。
スタイルが良く成ったと思うと頬が自然とにやける。
「でも、気ぃ付けんとお腹に線が出来ちゃうかも……」
腹筋が割れて似合う娘と似合わない娘が居ると思う。
私は似合わないタイプだから気を使う。
もう少し身長が有れば似合うのだけれど。
汗を吸った裏側のスポンジを水洗いして水気を絞る。
汗臭いプロテクターを付けるつもりは無い。
薙刀の脛当てだと兎の突撃で竹板が割れてしまうから、今は安価で手軽な物を使用してる。
プロテクターの無い所に当たると青痣に成るから備えはちゃんとしてる。
シャワーを止めて脱衣所で水滴を拭ってから化粧水を肌に入れ込んで、乳液を肌に馴染ませてく。
迷宮の空気が乾燥しているからか、そんな空気の中で汗をかきながら薙刀を振るってるからか油断するとお肌がカサカサになっちゃう。
これ以上引き離されるのは乙女心としても出来ないもの。
「髪切ろかな?」
鏡に映る胸元まで有る自分の髪を見ながら悩む。
萊ちゃんみたいなショートカットは似合わなそうだし、繚華ちゃんみたいなスーパーロングなんて背伸びしても似合わなそうだ。
女子中学生には自分に似合う髪型を判断するのもなかなか難しい。
溜息を吐いて、モコモコした部屋着に着替えて2階の自室のベッドでゴロゴロする。
漫画を枕元に山積みにして読み耽る。
最初はなかなか集中して楽しめなかったけど、途中からは引き込まれる様に物語に没頭していった。
男の子同士の友情と友情の裏に見え隠れする慕情にトキメキを覚える。
「なんで男の子の友情ってこんなに熱いんだろう? 女の子の友情って賑やかだけど、こう言う雰囲気にはあまり成らないよね?」
とは言っても漫画だし誇張して盛り上がる様に描いてるのは分かってはいるのだけど。
漫画に目を落として続きを読んで行く。
時折すれ違う二人にヤキモキし、誤解が解けたり友情を確かめ合ったりする所で思わず足をバタバタさせてしまう。
「赫里~、ご飯よ~、降りてらっしゃい~」
階下からお母さんの声が聞こえる。
頭の中を空っぽにして気分転換は出来たと思う。
「は~い、今行く~」
ベッドから降りてお母さんに声を掛けて急いで階段を降りて行く。