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3.血液

 玄関前でぐっと伸びをして扉を開けると、奥の方で男女の言い争う声が聞こえた。どうやら客室で誰かがケンカしているらしい。

 幽玄と深雪は頻繁に火花を散らしているので、また喧嘩してるのかとゆっくりと覗き見れば、高校生ぐらいの女性が幽玄に土下座していた。


「だから俺は違いますから。頭をあげて下さい」

「ほかのところも同じ方法で追い出されたんです! 騙されませんよ! お願いします、私の依頼を受けて下さい!」


 女性は床に頭を擦り付け、幽玄に必死に頼み込んでいるようだ。違和感があるが先程から帰宅に気づいた幽玄がチラチラと助けを求めてきて不快だ。そろそろ中に入ったほうがいいだろう。


 海荷は鞄をソファに置き、二人に近づいた。


「どうしたんですか」

「どうやら俺を海荷と勘違いしているようなんですよ。不在だと説明したら、突然こんなことに」

「ふむ……」


 ここは幽霊専門の相談室だ。そもそも人間がここへ来たことなど無く、彼女が第一号である。普通なら門前払いするところだが、このタイミングとは何かがあるのかもしれない。


「話だけでも聞きましょう。幽玄さんは夕食でもとってきて下さい」


 幽玄は少々不服そうな表情を浮かべたが、分かりましたと頷いて部屋を後にした。


「どうぞ、お座りください。依頼を受けるかどうかは話を聞いてからですね」

「え、えーと?」

「申し遅れました。私が二階堂海荷です。宜しくお願いします」

「あ、貴方が海荷さんですか? てっきり大人な男性を想像してました。ちょっとがっかりですね!」


 笑顔で凄いことを言う女性だ。事実ではあるが、はっきりそう言われるとココロに矢が刺さってしまう。涙が出そうになるのを、ぐっと堪えた。


「……すみませんね、チビでデブで。取り敢えず依頼内容を聞かせてくれますか?」

「分かりました! どこから話せばいいのかなぁ」

「出来るだけ詳しくお願いします」


 彼女は紅茶で喉を潤すと、ゆっくりとした口調で話し始めた。


 事の起こりは半年前。彼女は交通事故で首から下が動かなくなり病院で治療を受けていた。治る見込みは薄いと言われ、生きる希望を失いかけ、それでも諦めずにいられたのは、ほぼ毎日面会に来てくれる幼馴染の男性がいたからだった。

 彼は面白くもない自分の話を笑顔で聞いてくれる優しい男性であり、彼女は彼のことが好きだった。しかし、彼はある日ぴたりと姿を見せなくなった。


 翌日、彼女は不思議な夢を見た。白い空間の中で少年とずっと見つめ合うというだけのヘンテコな夢。最後、少年は彼女に小さな声で元気でねと言うと光の粒となり消えたという。はっと我に帰るとそこはいつもと変わらない病室のベッド。その時は変な夢だなと思っただけだったのだが、身体を動かすと下半身に力が入るようになっていたのだ。


 リハビリの後、医師も驚くような速度で回復した彼女は、男性を探すことにした。しかし、手がかりと呼べるものは見つからず、学校で弁当を食べながら悩んでいると、ある噂が耳に入ってきた。


『ネガイさんにお願いすると、なんでも叶うらしいよ』


 彼女は男性がそれに頼ったのではと考えた。男性はオカルト好きなところがあったようで、実行している可能性も大きかったのだ。ではそれを実行したとして、なぜ男性は消えたのか。ネガイという噂には続きがあり、あまりに規模の大きい願いゴトだと、代償として連れ去られてしまうらしいのだ。


 善は急げと、ネットを駆使して裏世界のことを知った彼女は幽霊探偵事務所のドアを叩いたのだが、門前払いをくらう。どこも同じで今は忙しい、他をあたってくれと放り出されたという。


 途方に暮れて、ふらふらと歩いていたところ森の中に迷い込み、ここに辿り着いたようだ。


「もう頼れるところは、ここしかないんです……」


 うな垂れた彼女には、先ほどまでの気迫を感じることは出来なかった。しかし、こちらも一つ依頼を受けてしまっている。ここは相談室であり、依頼を受けて解決することは例外なのだ。前回が特別だっただけで。


 また例外を作れる要素があるならば、それは彼女が海荷の欲しているものを提示できるかどうかである。


「分かりました。しかし、貴方の依頼を受けるとしてもタダでとはいきませんよ? 」

「お金ですか。でしたら大丈夫です! これでもコツコツと貯金をしてたんですから! 20万くらいなら余裕でだせますよッ」


 彼女は鞄から札束を出し、胸の前に掲げる。たしかに大金であるし、通常ならこれで良いのだが海荷は別のものを欲していた。


「いえ、私が欲しいのはお金ではなく貴方の血液です。もしそれを頂けるのであれば、依頼をお受けいたしましょう」


 ごくりと唾を飲み込んだ。何故なら彼女の血液を手に入れることが出来れば、海荷の目的に一歩また近づくことができるのだ。手汗が多くなるのは、許しいていただきたい。


 彼女はしばらく悩んだ後、小さく頷く。どうやらお金より、血液のほうが安上がりではないかと考えたようだった。


「分かりました! どうぞ好きなだけ、頂いちゃって下さい! 」

「契約成立です。では遠慮なくいただきますね。出来るだけ痛みがないようにするので術を使用します。手の平をテーブルの上において下さい」


 席を立ち、棚の引き出しから試験管を一つ取り出した。途中、手汗で落としてしまいそうになりながらも、どうにかもちなおし、席に座ると術を一つ構築した。


 ぐっと握った右手に、意識を集中させる。身体中の血液をそこに集めるようイメージし、力を込めた。すると、右手を包み込む灰色の煙が出現し、握りこぶしの中へと吸い込まれて行く。


 全ての煙が中へと入ったのを確認し、ゆっくりと開くと、人差し指ほどの長さを持った針が乗っていた。この術は物質を形成するものであり、怪異祓いが創り出すことで、特殊な性質を持って生まれてくるのだ。


 今回は痛みを消す性質と血を吸い出す性質を持っている。血液を貰う場合は、最適といえるだろう。

 目を見開いて驚いている彼女には悪いが、躊躇なく手の平の中心に針を刺させてもらった。針の中は空洞になっており、上から血液が流れ出してくる仕組みになっている。しかし、このままだと垂れ流しになってしまうため、ほんの少し操作をし、血液が試験管の中へと入るようにした。

 赤黒い液体が宙を舞う姿は、なんとも表現しづらい。


「はぇー」

「怪異祓いですから、このくらいの事はできますよ」

「凄いですね! 想像していた以上ですよ!」


 彼女が目をパチクリさせている間に、必要な量を頂いた。目の前で試験管をゆっくりと揺らすと、照明に反射した液体が、妖しく光った。若い女性というだけあり、艶がある。


 作り出された針は役目を終えると、霧状になって消えた。元々海荷は術を維持することが苦手で、数回に分けてしようと思っていたが、一回で済んだのは運が良かったのだろう。すっと胸を撫で下ろした。


「これで報酬はいただきました。依頼、お受けいたしましょう。見習いの身ではありますが、少しでもお役に立てるよう、頑張らせていただだきます」

「え、あ、こちらこそ宜しくお願いしますぅ」


 お互いに深々と頭を下げた。チラリと彼女の手を見ると、小刻みに震えていたのは恐怖からだろうか。


「あぁ、それと……」

「なんでしょう!」

「お名前と電話番号をお聞きしても?」

「勿論ですよ。そうでないと連絡の取りようがないですし、依頼人と言われるより名前で呼ばれた方が嬉しいです」


 彼女はニッコリと笑うと、差し出した紙にすらすらと名前と番号を書いて行く。失礼だが意外にも達筆であり、素人目にも美しいと思える字であった。


 今更だが彼女の名前は、 『遠野 鏡』という。駅近くにある森山高等学校の二年生、それなりに楽しく学生生活を送っていると笑っていた。行方不明になった彼、『結崎 塔矢』 も同じ学校であるようだ。


 ちらりと窓の外を見ると、太陽が沈みかけている。ここは森の中で、灯は少ない。それに彼女は女性であるし、そろそろ帰ってもらったほうがよいだろう。それに少し気になることがあった。


「遠野さん、今日はここで終わりましょう。外も暗くなって来ました。何か情報が入りましたら、連絡しますので」

「分かりました!」


 元気よく立つ彼女を玄関まで送り届ける。

 玄関を出ると鏡はぺこりと頭を下げた。


「今回は有難うございました」

「いえいえ。遠野さんも大変だと思いますが、頑張って下さい。ついでと言ってはなんですが、下までお送りしますよ。山道はきけんですから」

「大丈夫です! これでも方向感覚には自信があるんですから。帰り道もバッチリ覚えてますよッ」

「ならせめて、これを」


 流石に手ぶらで帰らせるわけにはいかない。森の夜はなにかと物騒なのだ。玄関先に置いてあった懐中電灯と魔除けの鈴を、鏡の手に握らせた。


「ふわぁ。ありがとうございます」

「お気をつけて」

「はい! ではッ」


 鏡は大きく手を振って、夜の闇へと消えていった。海荷にできるのは、彼女の無事を祈るのみだ。むわっとした風が身体を撫でた。

 夜とはいえ夏真っ盛りである今、ふっくらとした体型の海荷はすぐに汗をかいてしまう。洗い物を出すとき、深雪に小言を言われるのは確定だろう。


 はぁとため息を吐いて鏡という少女の事を考えた。偶然たどり着いたと言っていたが、洋館の周りには人避けの術を張り巡らしているし、山を下ると小さな村があるだけで、彼女が通っているであろう学校は、バスを乗り継いだ街の中にあるのだ。ここへたどり着いた彼女が、一般人である可能性は低い。そんな人物の依頼を軽々しく受けてしまって良かったかと、今更ながら後悔していた。


「でもこればっかりは仕方がない。良くも悪くもタイミングが良すぎたんだ」


 手に入れられた血液を取り出して、試験管の中で軽く回す。これは目的のためのピース。もっとも入手難易度の高かったものだった。対価を提供したと思えば、少しは心が軽くなるのかもしれない。


 ぐっと伸びをして、館の中に戻る。涼しい室内がとても恋しかった。


 扉を開けるとふわりとした冷たい風が、身体にぶつかった。クーラーをガンガンと効かせた室内は、天国ではないかと思ってしまう。しかし、ソファーに座った幽玄の睨みで蜘蛛の糸は切れてしまった。

 不機嫌な理由は何となくわかる。海荷が依頼をもう一つ引き受けてしまったからだろう。


「また依頼を受けたんですか……。どうするのです、ただでさえ不慣れな人探しをしている最中にもう一人を探すなんて。無茶ですよこんなの」

「聞いてたんですか?」

「深雪さんに聞きました」


 後ろを向けば、ドアからひょこっと顔を出した深雪が、手を振って奥へと消えていった。


「ま、どうにかなりますよ。最初の依頼の方は手掛かりになりそうなものを見つけられましたし」

「ほう……。どれどれ」


 ポケットに入れていた記事のコピーを、幽玄に見せた。立っているのが苦しくなってきたので、ソファーに座る。力を抜くと、ギシッと音が聞こえたが、きっと気のせいだろう。


「確かに依頼人の名前と顔写真は一致してますね。私が古い式神などに聞いた話とも大体同じ内容です」


 古い式神とは先祖代々、その一族に従うことを選んだ者たちだ。因みに幽玄は海荷が呼び出した初めての式神である。


「大体とは?」

「依頼人の姪を知っている方がいたんですよ。自分の主人が通っている学校の教師をしているとかで、周辺調査をした時に似たような事件に巻き込まれた親族がいたと」

「それは幸運でしたね。田中さんの依頼は結構早く肩がつきそうです」


 背もたれに体重をかけて、天井に向かって伸びをした。慣れない人探しは、思った以上に精神に負担をかけていたようだ。


 さてこれからどうするかと考えるのだが、良いものは思い浮かばない。取り敢えずは田中の姪が務めているという学校に行くことになるだろう。学校に侵入するのだから、変装は必須だ。だが心配する必要はない。怪異祓いの術の中には、軽い暗示をかけるものがある。それを使用すれば制服を着るだけで、余程のことがなければバレてしまう事はない。なお、調査に必要なものは深雪が入手してくれる手筈になっている。


「サポート頼みます。私一人では直ぐにぼろを出してしまいますから」

「もちろんです」


 幽玄は任せといて下さいと胸板をぽんと叩いた。


「話は終わった? お客さんが来てるんだけど」

「最近多いですね」

「あ、海荷はもう依頼を受けてはいけませんよ」

「わかってますって」


 苦笑いを浮かべながら、深雪が連れてきたお客さんを迎える。彼女の後ろに隠れるようにして立っていたのは、小さい影。最初の依頼者である田中ユリエだった。


「こんばんわ」

「こんばんわ。丁度いいタイミングで来られましたね。依頼の方に進展がありましたよ」

「ほんとですか!」


 嬉しそうに笑顔を浮かべるユリエに座ってもらう。簡潔に内容を説明すると、ユリエは自分の姉に子供が出来ていた事に、驚いた様子だった。


「私の姪……」

「良かったら一緒に来られますか? 明後日くらいに調査に行こうとおもっているのですが」

「いえ……私は幽霊ですし、予定もありますので」

「そうですか、残念です。次はいつ来られますか?」

「金曜日の夜に、伺おうと思います」

「分かりました。あ、一応連絡が取れるようにこれを」


 財布から取り出したのは、長方形の黒い紙。赤い線で模様が描かれており、少し不気味である。これは携帯がない時代に、怪異祓いが互いに連絡を取れるようにと開発されたもので、少しの霊気を送り込めば、長時間使用可能というすぐれものだ。未だに使用しているのは余程の機械音痴か物好きな人物だけ。因みに海荷は後者である。


「お札? ですか」

「電話みたいなものですよ。霊気を送れば私につながるようになってますから。何かがあった時のために持っておいて下さい」

「分かりました」


 ぺこりと頭を下げるとユリエはスタスタと部屋を出て行く。ドアの前で鉢合わせになった深雪にお菓子のお土産を貰って嬉しそうにしていたのが印象的だった。


「あれだけ嬉しそうにされると、作ったかいがあるわね」

「手作りクッキーですか。いいですね」

「大丈夫。二人の分もちゃんと用意してるから」


 おぉと声を上げながら、紅茶の入ったカップを一つ追加する。

 テーブルの上に置かれた皿には香ばしい匂いのクッキー。ごく自然に海荷が手を伸ばすと、隣に立っていた深雪に叩き落とされた。突然のことに顔を上げると、眉を寄せた深雪の顔があった。


「海荷、分かっていると思うけど食べすぎはダメだからね」

「もちろんですよ。ハハハ」


 眼下には溢れる脂肪の塊。もう直視せねばならないだろう。自分が太っているという事実を。最近になってダイエットなるものを始めてみた海荷だが、成果は出ていない。深雪がヘルシーな料理を提供してくれるものの、外で食べているのだから、当然といえば当然である。きっとこのクッキーもカロリーが少なくなるように作られているのだ。弱い自分に喝を入れるように、腹の肉をくいっと抓った。


 時刻は午後八時。この日の夜はこのまま穏やかに過ぎて行くだろう。残り少ない時間の中でこの空間に居られるというは、とても貴重なだと海荷は思っている。幽玄と深雪の三人で一緒に過ごせる時間は長いようで短い。今この瞬間を精一杯楽しもうと、クッキーに手を伸ばした。


「美味しい……」


 思わず出た言葉に深雪と幽玄はにっこりと笑みを浮かべていた。


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