1.少女の相談
1
洋館が鬱蒼とした林の中に寂しげに建っている。外壁には蔦が絡みつき、塗装も所々剥がれていた。しかし、何処か清潔な印象で廃墟ではないかと聞かれれば首を傾げるだろう。どうしてこんな立地にと言わざるおえないが、何か特別な理由でもあったのだろうか。
その洋館の一室。客室と呼ぶべき場所に二人の人物がいた。
#
「はぁ、今日は長かった。こんなにお喋りな幽霊は久しぶりだな」
ラジオから流れる音楽を聴きながらどんよりとした薄暗い部屋で、紅茶を飲む。仕事終わりには必ず飲むようにしているのだが、今回は少しだけ苦味が強いように感じた。ラジオからは陽気な音楽が流れ、気分を高揚させてくれる。それだけが救いだった。
ふと机の上を見れば、長崎名物カステラと書かれた箱が置かれていた。誰が置いたのか、大体の検討はついている。ちらりと隣に意識を向けると、紺のスーツを着こなした二十代の優男がこちらに微笑みかけていた。
「お疲れ様です。最近はめっきり相談者も少なくなりましたからね。余計に長く感じるのでしょう。あ、お土産のカステラです」
「幽玄さん、突然現れないで下さい。びっくりしますから。カステラは嬉しいですけど」
幽玄はすみませんねぇとペコペコ頭を下げた後、海荷の隣に腰を下ろす。
「外から見えたもんですからつい、ね。それで本日はあれが最後の相談ですか?」
「予約は最後でした。でも終わるまで一時間ほどありますし、飛び込みもOKしようかなと」
「ご一緒しても」
「勿論いいですよ。しかし、幽玄さんはウチの式神さんですから遠慮する必要はーー」
「彼女がうるさいですから」
困り顔の幽玄が言う彼女とは、この家に住み着いている座敷童子のことである。童子といえど子供ではなく、年若い女性の姿をしている。いつも着物を着ているので、和風美人という言葉が似合う人物だ。
彼女は気難しい性格をしており、特に幽玄とは仲が悪い。少しのことで怒らせてしまうので、そこを心配しているのだろう。今回、幽玄は勝手に旅行にも行っているので、余計顔向けしづらいのかもしれない。
「……お土産はあります?」
彼女の分のお土産を買っていないとなると、機嫌はすこぶる悪くなると思うのだが、幽玄は親指を突き出しにっこりと笑った。これで夜中、罵声を聞かずに済むことだろう。
海荷は胸を撫で下ろした。
「……なら大丈夫ですね。カステラをつまみながでも待ちましょうか。大きい音は立てないのように、彼女が起きてしまいますから」
「心得てますとも」
お土産の蓋を開け、適当な皿とフォークを壁際にある棚から取り出し、盛り付ける。幽玄は紅茶が苦手なので、緑茶を湯飲みに入れて彼の前に置いた。
しばらくの間、二人で世間話をしつつ待っていると、玄関にぶら下げている鈴がチリンと鳴った。数秒後、ゆっくりと扉が開き部屋に入ってきたのは小さな女の子だ。ウサギのぬいぐるみを大事そうに片手に抱えて、真っ直ぐとした目でこちらを見つめている。歳は4、5歳といったところだろう。髪は二つに縛られている。
ここで注意しなければならないのは、見た目に騙されないことだ。幽霊というのは姿が幼くとも年数がたっていれば、精神的には大人と変わらない。下手に子供扱いすると、怒られる可能性があるのだ。
「こんばんわ……」
「美しい幽霊さんですね。どうぞゆっくりとして行って下さい。ココア飲みますか?」
「はい。ありがとうございます」
ソファに座った彼女に暖かいココアを差し出すと二、三回ふぅっと息を吹きかけた後、小さな口で飲み始めた。
彼女が落ち着くのを待って、ここへ来た理由を聞くことにした。
「ではご相談内容を」
「実はーー姉に会わせてほしいです。死んでから長いことこの世にとどまりましたが、目的も無くなりましたし、最後に一目でも逢いたいんです」
宝石のような純粋な眼が海荷を貫く。前のめりになるほど必死な姿に、思わず頷きそうになったのを必死に堪えた。
この場所の意味を勘違いしているようなので訂正しなければならないのだ。
「貴方はここがどういう場所かわかって言っておられますか? 残念ながらそういう案件は取り扱っていないのですよ。幽霊がたわいのない世間話をして、未練をなくして頂くのがここの目的でして」
「分かってます。しかし、専門の幽霊探偵に門前払いを受けまして。他にも色々と回ったんですが、どれも同じ答えで追い返される。そしてたどり着いたのがここだったのです。御願いします、どうか姉に会わせていただけないでしょうか」
切実にお願いする彼女の姿は、どこか痛々しい。さらに幼い子供というオプションまでつけられては、こちらも断りにくい。だがここに訪れるまでに、門前払いを受けているというのだから不思議だった。
幽霊探偵とは、名の通り幽霊の依頼を受け報酬を受け取り、それを生業としている怪異祓いたちの事だ。海荷のような話を聞くだけ、というのは怪異祓いの業界では大変珍しく、殆どは名前の通り怪異を祓って報酬をもらうか、危険も少なくある程度稼ぐことができる幽霊探偵をしている。大元は同じなのだが、稼げるのは圧倒的に後者の方だろう。たった一年働いただけで、一戸建てを一括で買えるほど稼げるのだから。
依頼を断ることは殆どなく、来るもの拒まずの彼等だ。相応の理由があるという事が、分かる。
まずは其れを知らなければならないと、滝のように流れる汗をハンカチでせっせと拭き取りながら、重い唇を強引にこじ開けた。
「その答えというのをお聞きしても?」
「はい。貴方は業が深すぎると、言われました」
さらりと出た言葉に、海荷たちは目を見開く事しか出来なかった。
#
「幽霊探偵が断ったのも分かるというものです。あれ程の業を背負って普通に彷徨っていられるのは不思議なくらいですよ。でも良かったんですか? 受けてしまって」
「今回は特別です。私としても寄り道をしている場合ではないのですが、あまりにも依頼人が不憫でね。ここを頼るしかないとは、よっぽどの事です。あぁ面倒くさい」
彼女ーー田中ユリエさんは海荷が依頼を引き受けるというと、御礼をいって帰っていった。
なぜ幽霊探偵さえ受けなかった依頼に頷いてしまったのか、海荷自身もよく分かっていない。少女が不憫だったのもあるが、それが理由かと言われれば首を横にふる。提示された報酬が魅力的だったのもあるだろう。だが別に心の奥底にある何かが自分を動かしたのだと、理解はしていた。納得はできていないが。
さて、行動を開始しなければならない。
幽玄には貴方は背負いすぎです、と注意されたがこれが海荷の性分なのだから仕方がない。心配事が一つあるとすれば、この家の座敷童子さんに知られたら雷が落ちるというコトだろうか。
考えただけで全身に鳥肌が立ち、足がぷるぷると震えだした。
「深雪さんには怒られるでしょうね」
「間違いなく拳骨が落ちますよ。はぁ……取り敢えずは怪異祓い支部に行きましょう。あそこなら日本中で起こった事件を隅から隅まで記録しているばずです」
「それは私が。幽玄さんは式神さん達から少しでも情報を集めて来てください。古株の式神からの方がいいかもしれません。依頼人の様子から考えても何十年も前の事でしょうから」
「分かりました」
簡単に予定を立てていく。行動を開始するのは明日からだ。それまでにたっぷりと睡眠をとらなければならない。
海荷はソファから立ち上がると、食器を持って出口へと向かう。
ふとある事を思い出し、ソファでブツブツ呟いている幽玄に伝えた。
「暫くは相談室は休業にします。では、お休みなさい」
「お休み。よい夢を」
扉をゆっくりと閉じて、リビングへと向かう。明日から大変だぞと自分に気合を入れた。たとえ見習いでも出来ることはしてあげたいと。
#
背もたれに体を預け、ゆっくりと息を吐いた。上着を脱ぎ、シワがついてしまわないよう丁寧に畳んで隣に置き首元を楽にする為、ネクタイを軽くゆるませる。
「珍しい事もあるもんです。あの子が他人の為に動くなんて。報酬につられた可能性もなきにしもあらずですが」
幽霊相談室ではあのような依頼は受けないようにしている。専門外であるという事もあるが、海荷が見習いであり探偵たちの仕事を奪う事にもなるからだ。今回は特殊な案件だが、基本追い返している。
海荷は面倒ごとを嫌っているし、自ら渦の中へと飛び飲もうとはしない人間だ。幽玄はそれをよく知っている為、ふしぎであった。
「確実に報酬につられたんでしょ。そういう子よ、あの子は」
ふわりとした薔薇の香りとともに幽玄の背後に現れたのは、紅い着物を羽織った背の高い女性だった。幽玄としては突然の事だったため、反応が遅れ、ソファから飛び上がってしまう。
「隠れてコソコソしてるとはいい度胸じゃない。大事なことは私に報告する事、契約書にも書いたわよね。それを早々に破るとは、勝手に旅行に行ったこと、目を瞑ろうと思って居たのに残念よ」
艶のある桃色の唇から、甘い息が薄く漏れる。彼女こそが二人が恐れていた座敷童子、その人である。手入れされている事が分かる黒髪は、串で一本で纏められていた。
大層ご立腹のようで、熱いオーラを纏っているのではと錯覚した程だ。その証拠に幽玄の冷や汗は止まらない。どうすればいいかと瞬時に考え、お土産の事を思い出し、カバンから慌てて取り出した。
「も、申し訳ありません! お詫びと言ってはなんですが、これを……」
差し出されたお土産を受け取ると、座敷童子の深雪はニッコリと笑った。最悪の事態は回避できたようだ。
「お土産は用意していたようね。うむ、許してしんぜよう」
「ははっ、有難う御座います」
わざとらしい……と白い目を向けられながら、幽玄はソファに座りなおす。深雪もその隣に腰かけた。
「で、話は戻るけど此処は元々そういう目的で
作られたはず。間違った判断ではないでしょ。今回は特殊だけど特別おかしい事はないと思うわ」
幽玄もそれは知っている。しかし、設立当初から今回のような依頼は、受けないようにしていたのだ。しっかりとした理由もあるし、わざわざ本職のほうに喧嘩を売ってまで、受けるような内容には思えない。それに本職すら良い顔をしなかったのだ。見習いの海荷の手に負える可能性は、ゼロに近いだろう。
「なに浮かない顔してんのよ。なるようにしかならないわ」
「ですが……」
「あぁもうじれったい! 気合いを入れてやらないといけないようね」
痺れを切らした深雪の手が、幽玄の顔に覆い被さる。徐々に力が加えられていき、あっという間に頭から鳴ってはいない音がした。そういう人物だとは知っていたが、こんな場面で制裁を与えられるとは、予想外である。
僅かでも励ましてくれると期待した、幽玄がバカだった。
「え? ぎゃぁああああああああああ」
静かな森に汚い声がこだました。指の隙間から見えた、深雪の美しい笑顔はトラウマになるだろうと確信した。
……海荷の式神なんだから、しっかりしなさい。
きっとこの優しげな声は、気を失う瞬間の幻聴だ、そう思った。