2.学校
サクラが急かしてくれたおかげもあって、ナオトたちは焦ることなく学校に到着することが出来た。
張り出されたクラス分け表を見て二人は互いに目的地が同じであると知り、一緒にざわめく校舎の中を歩いていった。
人は多かったが、その波をかき分ける必要はなかった。というのも、やはりサクラの格好が目立ったからだった。
いくら校則改変で制服の組み合わせが自由になったとはいえ、実際にあるのはリボン着用の女子がネクタイをするくらいだった。
そんな中、まさか異性の制服を着る生徒が現れるとは誰も──教師すらも予想していなかったようで、入学式の最中にも関わらずチラチラと視線を送ってくる者もいた。
式を終えて教室に戻ることになり、出席番号順の列が崩れたのをいいことに、ナオトはサクラを追いかけてその肩を叩いた。
「よう、サクラ。入学式お疲れさん」
「お疲れって、ナオも出てたじゃないですか。おかしなことを言いますね」
「んじゃ俺もお疲れさんってことで」
「むむ……それもそうですね。では私も改めて、お疲れさまでした」
サクラは眼鏡のフレームに中指を添えてその位置を正した。
そんな二人を初対面のクラスメイトたちは不思議な生き物を見るような目で遠巻きに眺める。
他の女子たちもなかなか声をかけづらいようで、どこかソワソワとしながら視線をさまよわせていた。
元男子校の共学化初年度ということもあって女子の入学者は少なく、クラスにはサクラを含めて五人しかいない。
ナオトとしてはこの輪の中にサクラが入りそびれることがあってはマズいと感じていた。
ナオトは小声でサクラに尋ねる。
「率直に聞くけどさ、お前ここでやっていけそう?」
「……自信満々には頷けませんね。こうなることは予想してましたが、皆さんの視線が刺さるようです」
「だよなぁ」
「だからと言うわけではありませんが、ナオが一緒のクラスで良かったです」
「うーん。それもいいのかどうか」
「? 悪いことじゃないのでは?」
「いや、うん。悪いこたぁないんだろうが……」
ナオトは米神を押さえながら周囲を見渡す。一番近くにいた女子と視線がかち合い……どうしようかと迷った末にそらされてしまった。
ナオトは頭を掻いて進行方向に向き直る。するとその袖をサクラが引っぱった。
「そんなに心配しなくても交友関係は自分で何とかしますし、私は大丈夫ですよ。ナオは自分の新生活を心配した方がいいです」
「ほーう。言うなお前」
「本当のことです。思ったことを包み隠さず口にする貴方のその性格は、ともすると敵を作りやすい」
「これでも批判とかのネガティブな意見は一呼吸置いてから口にするよう心がけてるつもりなんだが」
「ええ、そこは私も心配していません。ナオはそういったことにはとても慎重です。でも……」
「でも?」
「そうじゃなくても敵を作ってしまうことはあるので」
「ふーん?」
「ふーんって……あの、そういうの分かりません?」
「うん。さっぱり分からん」
「……はぁ。むしろ私の方がナオの心配をしなきゃいけないのかもしれませんね」
「えー? 俺がされる側?」
ナオトはわざとらしく眉をひそめて首を傾げ、その後数秒とせずに破顔した。
「ま、お前がそう言うならあんま過剰に心配しないようにしとくよ」
「そうしてください。他の子と一緒で私は全く構わないんです」
「んー。分かった」
そうして話していると、いつの間にか教室に到着していた。二人は手を挙げて「じゃ」と言うとそれぞれの座席に着いた。
このあとは担任の到着を待って高校最初のホームルームである。
教室のドアを開けた教師は教壇に立つとクラス全員を見渡して……やはりサクラの格好に驚いたようだった。
しかし彼は顎に手をやり何か考え込んだ後、一つ咳払いをして何事もなかったように挨拶を始めた。
続いて生徒一人ひとりの自己紹介も行われ、その際には案の定サクラに「秋なのに桜かよ」とヤジを飛ばした中学生気分の抜けない男子もいたものの、彼はサクラの絶対零度の視線を受けて大人しく黙り込んでいたので問題はないように思われた。
──のだが、試練はさっそく翌日にやってきた。
それは生物教室に移動する時のことである。
まだ一人きりのサクラの隣にナオトが立ったのを見て、昨日サクラに睨まれた男子が聞こえよがしに呟いたのだ。
「あいつらホモじゃん」
思わず立ち止まってしまったナオトたちの耳にちらほらと笑う声が届く。
正直ここまで子どもな態度だと呆れのため息しか出てこない。
ナオトはそっと隣に目をやり、てっきりサクラならこのくらいは大丈夫だろうと思っていた彼は、その表情を見て心臓を握りつぶされる思いにさいなまれた。
眉間に深いしわを刻む彼女の口から漏れたのは、強く歯を噛みしめる音だった。
軽口を叩いた男子への苛立ち。
受け流せない己への憤懣。
ナオトを巻き込んでしまったことへの心苦しさ。
サクラは怒りと悔しさを織り交ぜた遣る瀬無い表情で、ただその場に立っていることしか出来なかった。
そこに、ハスキーな声の持ち主が底抜けに明るい調子で駆け寄ってきた。
「アキハさん! アタシも一緒に次の教室行っていいかな!?」
サクラに声をかけたのは数少ない女子のクラスメイト、その一人だった。
「は……はい。それはもちろん……」
「そしたら早く行っていい場所取っちゃお~!」
「え、っと……あの……」
「ゴーゴー!」
突然のことに驚くサクラは彼女に腕をグイグイと引かれて教室を出ていった。
二人が廊下の向こうに姿を隠す直前、助け船を出してくれた女子がナオトを振り返り小さく頷いて見せた。
それは入学式を終えて教室へ戻る際、ナオトと目が合った女子だった。
ナオトは彼女に頷いて返し、少し間を置いて二人の後を追うことにした。その間も例の男子は周りの空気が悪くなるのも構わずに何だかんだとくだらないことを言っていた。
いい加減、呆れ果てていたナオトはくるりと体を反転させると、渦中の男子に指を向け、次いでそれを窓の外へと払った。
「中坊は自分の教室に帰ってくれないか」
低く、暗く。
だというのに絹のように柔らかで、言葉尻の吐息さえも耳に届くほどの澄み渡った声。
温度や感情の片鱗もないナオトの声は廊下を歩いていた他クラスの生徒さえも立ち止まらせ、その背筋を凍らせた。
それを正面切って聞かされた彼の生徒は言わずもがな……息を詰まらせて椅子から転げ落ちる始末である。
「……っと。悪い悪い」
ナオトは打って変わって三白眼を細めてクラスメイトに微笑みかけ、口の前に人差し指を立てる。
「俺もこういう怒り方したくないからさ、あんま変なこと言わないでくれ。お願いな」
彼は教室をぐるりと見渡し、雰囲気を凍り付かせてしまったことを詫びてその場を後にした。
彼の後ろ姿が廊下に消えると、クラスメイトは一様に肺の空気を空になるまで吐き出し、安堵に胸をなで下ろした。
そんなことはつゆ知らず、ナオトはサクラが他人の目を引く現状をどう打開するかを考えていた。
それは授業中でも休み時間でも、ホームルームが終わった後の清掃の時間でさえも頭の中をぐるぐると回っていた。
その苦悩が解決したのは、件の女子と仲良くなったサクラが彼女と一緒に下校して行く姿を見た時だった。
二人の後ろ姿は男女が連れだって歩いているように見えた。
「……貯金は全然余裕あるし、思い立ったが吉日だよな」
ナオトは掃除を終わらせると風のように教室を去り、一度帰宅してまとまった金を財布につ突っ込み、百貨店へと向かった。




