妖怪ふとん掛け 2
「ふぁーぅあ。」
ぼくは、あくびをした。
眠くて眠くて、仕方がない。
配布されたプリント資料に目を通そうとするけれども、
細かい字がまるで踊っているみたい。
ちっとも焦点が合わないんだ。
ああ、本当に眠ってしまいそうだ。
こんな寝不足になった原因は、わかっている。
ぼくは昨夜の出来事を頭の中で反芻しつつ、後悔した。
ぼくの部屋には今、ふたりの妖怪が棲み着いているようだ。
ひとりは、妖怪ふとん掛け。
ふとんを掛けずに寝ている人に、気付かれないようにそっとふとんを掛けて去ってゆく、
小さなおじいさんの姿をした妖怪だ。ぼろぼろの腰巻のような布を身につけている。
もうひとりは、妖怪ふとん剥がし。
布団をかぶって寝ている人に、気付かれないようにそっとふとんを剥いで去ってゆく、
小さな可愛らしい女の子の姿をした妖怪だ。白い清潔そうな着物を着ている。
妖怪たちは、昨夜ぼくの部屋でふとんを巡ってバトルを繰り広げ始めた。
「ふとんは体に掛けるものじゃ。そっと、やさしく、温かく。それを剥ぐとはけしからん。」
「はっ。とんだ冗談を。度を越して寝汗などかかぬよう、剥がしてやるのがわらわの親切じゃ。」
ふとん掛けは親切な優しい妖怪だと思うが、
ふとん剥がしの言い分も、一理ある。
それに、ふっくらほっぺが可愛らしい幼い女の子の妖怪だ。
どちらか一方に味方するのは気が引けた。
でも、今夜は冷える。ふとんを取られたままでは、とても眠れない。
仕方なくぼくは、
ふとんを取り返すべく参戦することにした。
妖怪ふとん掛けと妖怪ふとん剥がしは、
互いにふとんの端を掴んで取り合いをしている。
「むむー。」
「ぬぬー。」
両者は一歩も譲らない。
ふたりに引っ張られたふとんは、まるで空飛ぶ絨毯のように宙に浮かんでいる。
ぼくは、ぼくのふとんを、ぼくの力で取り戻すため、
ぼくの、ぼくによる、ほくのための必殺技を繰り出した。
「秘技 ファイナルクラウディググランドスカイジャンピングアターック!!!」
適当に名付けた技を出来る限り小さい声で叫びつつ、渾身の力を込めて
舞うように宙に浮かぶふとんの真ん中に、飛び込んだ。
おそらく、ふたりの体の大きさを考えれば、ぼくの重みでふとんは床に沈むだろう。
そのタイミングを逃さず、勢いでふとん掛けの方に向かって転がれば、
巻き込まれた布団がふとん剥がしの手を離れ、
ぼくの体に巻き付くだろう。
そして、ふとん掛けにちょっとだけふとんを掛けてもらえば、
この勝負、ふとん掛けの「勝ち」になるという計算だ。
なんだかんだ言って、ぼくはふとんを掛けてもらえたほうが、ありがたいのだ。
ところが、
「なにぃー!!!」
ふとんに身を躍らせた瞬間、ぼくの体は天井のぎりぎり近くまで跳ね返された。
危ないところだった。
天井に後頭部が直撃するところだった。
しばらく、ポヨンポヨンとふとんの上ではね返っていたぼくだけれど、
なんとか無事に床に転がり落ちて、立ち上がった。
それにしても、この妖怪たち、思っていたより強いのでは?
確かに、見かけは弱そうな小さな老人と幼児だけれど、
夜中に他人の家に誰にも気付かれずに入ってきている時点で、
立派な妖なのだ。
力だって、人間よりもずっと強いのかも。
そうなると、
ぼくには、固唾を呑んで闘いの行方を見守ることしかできないのだろうか・・・・・・。
否!!!!!!
ぼくは、今度は立った姿勢のまま、ふとんにそっと片足をのせた。
布団の張り具合を確かめ、意を決してもう片方の足も持ち上げてのせる。
案の定、ぼくの体はふとんの上でグラグラと揺れた。
転びそうになるところを、両足でバランスをとって、そっと飛び跳ねる。
体がふわりと宙に浮く。
少し勢いを付けすぎた。危ない危ない。
もう一度、跳ぶ。
今度は、完全に勢いをコントロールできていた。
ぼくの体は、ちょうどいい高さで上昇を終え、下降した。
そして、ふとんに着地した瞬間、また上昇。
楽しい。
まるで、空気が入ったビニール製のふわふわトランポリンのようだ。
あの、中に入って遊ぶ飛び跳ねるアトラクション。
ぼくは、楽しくって、楽しくって、目が回るまで飛び跳ねた。
翌日、目が覚めたら、部屋には真っ二つに裂けた布団があった。
1枚は、ぼくのお腹のあたりに掛かっていて、
もう1枚は、足元に丸まって寄せてあった。
今夜のふとん、どうしよう。
家に帰ったら、母さんが新しいふとんとお小言を用意してくれていた。
その後、ふとん掛けとふとんはがしの姿を見ることは、二度となかった。
数年後、ぼくは数学オリンピックで金メダルを取った。
ノーベル物理学賞を受賞したのは、その数十年後のことだった。