風が吹いたら桶屋が儲ける
誰にだって好きな人っていう概念はいると思うのだけど私のそれは実に厄介で、なんと女の子だった。
私が女の子であることを念頭に置けば、その厄介さは存分に伝わるだろう。
とどのつまりは風が吹けば桶屋が儲かるように、私は同性の子を好きになったのだ。
「で、そこのところをどう思いますか?」
ある日の放課後、高校生になって六時限目という概念を目の当たりにして空腹の切迫性を切に感じ始めた頃、私は幼馴染で何でも気軽に話せるマミコに恋の相談をした。
「……………………」
マミコは深海に潜む触手めいた謎の生物を冷静に見据える目で八秒ほど私を見つめてから空を仰いだ。
残念ながら六時限目を待つ今、教室で空を仰いでも薄汚れた天井しか見えないのだけど、そこに空があるみたいにマミコは深く息を吐いた。
「……うん、きっと風が吹けば桶屋は儲かると思うよ」
「えっと、主題はそこじゃないよ?」
「きっとバタフライ効果が良く分からない現象を発生させて、その恋も叶うよ」
「いや、意外と主題を気にしてくれてるのは嬉しいんだけど、安普請と安請け合いの違いを明確にしようみたいな話じゃないんだよ」
五時限目と六時限目の間、僅かな休憩時間で多くの生徒は人それぞれに行動する。
トイレに行ったりジュースを飲んだりわいわいがやがやと騒いだり本を読んだりいちゃついたり、およそ須らくの行動がたった一つの教室で行われているのは厳然たる事実なのだけど、そこで交わされている私とマミコの会話には可能性としての広がりが乏しい。
「えとね? つまりは私は同性の子を好きになっちゃって、そこはかとなく悩みを抱えているのだけど、そこのところはどうなんだろう? っていう疑問をぶつけてるんだよ?」 僅かな休み時間を浪費しないように説明すれば、マミコは廊下に目を走らせてわいわいがやがやを流し見し、次いで天井を仰ぎ薄汚い様を干渉し、それから窓の外の乾燥肌みたいな青空を見やってから私を直視した。
「うん、夕方からは雨が降るね」
「……う、ううん、そういうことは聞いてないよ?」
そう答えるとマミコはまたもや視線をあちらこちらに向けた。
いやはや全く、長い付き合いから期待はしていなかったけど、それでも呆れるほどにマミコは相談の相手に向いていなかった。
お茶を濁すどころか、茶葉を盛大に撒き散らすようだ。
マミコは昔からそうだった。
直球を打つのではなく、バットも振らずに「いやいや、今のは振るべきじゃなかった」とストライクを見逃して言い訳をするような。
一体全体、どうしたってそんな相手を好きになってしまったのだろう。
ただの授業である体育のバスケットで息が切れるほど走り回っている姿を見た時? 夏休みの工作で周囲から笑われているのに直向きに教師の評価を待っている姿を見た時?
如何ともしがたい。
私はつつがなく、誰彼なしにマミコを好きになってしまったのだ。
マミコはふらふらと視線をさまよわせている。その姿は、私の詰問めいた質問を回避する時間はあと何秒だろうと思案しているようでもある。または何も考えておらず、ただただ時間が過ぎるのを待っているようでもある。
果たしてそこに、私はいるのだろうか。
私の言葉は届いているのか?
「あのさ、風が吹いたら桶屋が儲かるって、どういうことなんだろうね?」
何とはなしに話題を振ったら、マミコが鋭い視線を向けてきた。
そういう仕草にどきっとする。垂れ目なのに鋭い二重で視線の鋭さを主張するところとか、明確な意思表示めいたところとか、つまり私はマミコが好き。
「風が吹いたら桶屋が儲かるっていうのは、とどのつまり、埃が舞ったら巡り巡って私が今この瞬間、とてつもなく突拍子もなく「ひゃー」って歓声を上げることだよ」
「あー……とどのつまり、有り得ないことが起こるってことだね」
「そういうこと」
じゃあ、その歓声を上げさせましょう。
私はぐっと身を乗り出し、マミコの頬に手を添える。なめらかな肌と産毛の感触を掌に存分に感じながら周囲のはっとした空気を得て、はっきりと言う。
「私はマミコが好き」
瞬間、空気の凍った感じを得た。
たった三十人くらいしかいないのに三十人くらいが息を張り詰めれば空気だって凍る。 一世一代の発言だったのだけど、マミコは微笑んだ。
「とどのつまり、桶屋が儲かる?」
「……………………」
ふっと空気が揺らいだ。
とどのつまり、マミコは私の告白を桶屋が儲かるように冗談めいたものにしたのだ。それが教室の空気を弛緩させたのだ。
あーあ。
ほんと、あーあ。
私ってば顔を真っ赤にして崖から飛び降りる勢いで言ったのに、その言葉は教室の空気さえ凍結させたのに、マミコの言葉でありふれた冗談にされてしまった。
私ってばほんとにマミコが大好きなのに!
叶わぬ恋に枕を濡らしたのは数知れないのに!
朝から何も食べられず空腹で胃がきりきりしてからの告白だったのに!
全てを捨てる思いだったのに!
放課後、ありきたりな下校風景が私の目をよぎる。
あはは、うふふ、きゃはは、失恋を経た私の目には全てが空虚に映る。
さてさて、どのように帰ろうか。唇を噛み締めながら涙を堪えて帰ろうか。はたまた舌打ちでもしながら帰ろうか。真っ青に染まる空を眺めながら帰ろうか。周囲の冗談めいた、または本気めいた嘲笑を一身に浴びながら帰ろうか。
あーあ。
下駄箱の自分の靴入れを開けて下履きを取り出したら妙にこもった汗の臭いがしてやけに嫌になる。
普段は気にしないことが気になって嫌になる。
で、とどのつまりは桶屋が儲かる。
「風が吹いたら桶屋が儲かるって、つまりは何で?」
いつものように、いつもじゃないように、マミコは私と並んで下校する。
「風が吹いたら塵が舞うんだよ」
一世一代の告白を流された私はぶっきらぼうで、素っ気ない。
「塵が舞ったら?」
並んで歩くマミコは同じく素っ気ない。
「盲人が増えるんだよ」
「目の見えない人ってこと? 塵のせいで?」
「そういうこと」
「で、盲人が増えたら」
「三味線が売れる」
「……んっと、どうして?」
「昔々の盲人は三味線弾きって慣習があったからだよ」
「目が見えない人は三味線を弾いたってこと?」
「んん、そういうこと」
「そしたらそしたら?」
「猫が減っちゃう」
「…………うん、それは悲しいね。私は猫が大好きだよ」
「知ってるよ、常々猫に触れ合おうとして引っ掻き傷が後を絶えないもんね」
「どうして猫が減っちゃうの?」
「三味線の皮に猫が使われてたからだよ」
「……残酷。とてつもない時代があったんだね」
「そう、そして桶屋が儲かる」
「猫が減ったから?」
「ネズミが増えて桶を齧る」
「とどのつまり、桶屋が儲かる?」
ふう、と私は息を吐く。
「そういうこと」
分かれ道が近付いてきた。
私とマミコは分かれ道で別れて、今後の行く末はどうなるのかが分からない。
このまま別れる?
いや、とどのつまり、桶屋が儲かる。
分かれ道の切っ先で、私は真正面にマミコを見据える。
「とどのつまり、私はマミコが好き」
マミコは視線をさ迷わるけど、最終的には私に視線を合わせる。
「……とどのつまり、ミチコは私が好き?」
「好き、好き、大好き」
風が吹いたら桶屋が儲かる。
とどのつまり、真正面から見据えるマミコの顔が真っ赤に染まったので大満足。
風が吹いたら桶屋が儲かる。
とどのつまり。私は幸せ。
「ひゃー」
マミコの歓声を聞けたしね。