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姉とスイカとクシャッとした顔

作者: 輪島仁

二人とも、静かだった。

油蝉の容赦ないわめきに、耳が痛む。強すぎる日差しにあぶられた空気は、吸っているだけでも息苦しい。

そんな夏のことだった。

縁側に並んで座り、まだ幼い姉弟がスイカを齧っていた。姉の方は黙々とスイカを口に運んでいるが、弟の方はまったく口をつけず、じっと自分のスイカを見下ろしている。

「お姉ちゃん」

目を伏せたままで、弟が呟いた。

「僕たちもう、姉弟じゃないの?」

聞いてしまってから、弟は顔をクシャッとして涙を浮かべた。

姉は皮だけになったスイカを皿に戻して、立ち上がる。

「早く食べちゃいなよ。スイカ、温くなるよ」

縁側から去ってゆく姉の足音。弟はクシャッとした顔のまま、ほんの少しスイカを齧った。何もかけてないのに、塩の味がした。

忠志は授業をさぼり校舎を歩く。理由はない。

不良にさぼる理由を聞くなど、猫になぜ寒い場所が嫌いか、と尋ねるようなものだ。

人目のない場所ほど、不良には居心地がいい。忠志は、大概は非常階段にいく。これにも理由はなく、強いて言えばそこからの眺めが子供のころを思い出すからだろう。

今から思えば、あの時代が一番幸せだった。

両親は離婚せず、姉と自分の四人家族。特に姉とは仲がよく、自分はいつも後ろを追いかけていた。姉は頭の出来がよくて、何か尋ねればいつでも、何でも答えてくれたものだ。例外はただ一度、最後に二人でスイカを食べたあのときだけだ。

……何にしろ、もう昔の話だ。

あれから電話も手紙もない。田舎だったのでケータイやメールもなかったし、互いに幾度か住所が変わり、もう調べても解らない。

だがそれで良かったのかもしれない。少なくとも忠志の側からみれば、今の自分を姉が喜ぶとは思えなかった。

最上段から見下ろせば、踏み潰せそうに小さな街だ。眺めるほどに、そのせせこましさに嫌気がさす。

唯一の開けた場所は学校のグラウンドと、真四角をした公園ぐらい。そこもアスファルトばかりで土が少なく、油蝉の合唱も聞こえない。

夏の日差しがつくる陽炎をぼんやりと眺めていた忠志だったがふと、視界の遠く、公園に泊まっている銀色のヴァンから視線を感じた。しかし気になって注視しようとした途端、ヴァンは発進して去ってゆく。遠ざかってゆく車影に疑問を覚えながらも、忠志はそのまま忘れることにした。きっとタバコでも吸っている途中で偶然に目があったけだ。

それでもなぜか落ち着かず、このまま授業どころか学校そのものをさぼることにした。

街にでた忠志は、そのまま当てもなく歩く。学校はもとより、最近は家にも居づらい。残業の多い父とは顔を合わせる時間帯があわず、もはや家などただ寝るための場所だ。そのためかだいぶ慣れたこの街も、心のどこかが「他所の地だ」、と言っている気がした。

もしも、と時折、思う。もしも自分がついていくのを選んだ相手が母だったら。あるいは姉とともに一緒にいたら。

……それでも、こんなに虚しい思いを抱えていたのだろうか。

その時、忠志の後ろから声をかける者がいた。

「忠志?」

その瞬間、胸を一突きされたような懐かしさに打たれた。まさかと思いながらもふりむく。

「……姉さん?」

女性がいた。

記憶にあるよりも背丈が高く、しかし面影は確かにあった。

夜気の流れる街に、街灯が並ぶ。白く照らされたアスファルトに黒々と影を落としながら、忠志は目をぎらつかせて歩いていた。見る者がいれば明らかに昼間の、それもつい数時間前までの忠志とは別人と思ったかもしれない。

――私、結婚するんだ。

久々に現れた姉がそう口にしたとき、忠志は凍りついた。肉親として祝福すべきところだが、家族だったはずの人間が再び遠のいてゆく喪失感のほうが先に立った。

始めからいつかは別々の人間として、別々の家族を作るのが運命づけられているのが兄弟だ。頭では理解しても、心はそれを拒否していた。

結果として逃げるようにその場を去った忠志は家に帰ることもなく、数時間にわたって街を彷徨っている。

胸中に暴れる感情をぶつける方法はいくらでもあった。いつもなら喧嘩でもして過ごす。

だが忠志の何かが歯止めをかける。暴れようとするたび、去り際の姉の悲しげ顔がちらついた。昔はあんな顔をしなかったのに……。

ふと、忠志は目をあげた。停止した銀色のヴァンに体を預け、男がひとり、こちらを見ている。誠実で芯の強そうな男だ。忠志が睨み付けると、男は怯えるどころか逆に近づいてきた。

「忠志君だね」

男は覚悟を決めた顔で声をかけてきた。

「私が――君のお姉さんの、婚約者だ」

その瞬間、忠志は、ものも言わずに相手の顔を殴りつけていた。


数時間後、知らせを受け取った姉が忠志たちのところに駆けつけてきた。

喧嘩のあとでぼろぼろになった忠志は、姉の婚約者と肩を組んで、互いに痛む体を支えあって歩いていた。姉はその姿を見るなりその場で立ち止まり、「馬鹿!」と泣きながら叫んだ。

「なんで喧嘩なんてするのよ!」

忠志は、なぜか笑い出していた。

「大丈夫――これが最後の喧嘩だから」

そういえば、姉が自分の前で泣いたのはいつ以来か。両親の離婚が決まったあのときもこらえていたのに。

ああ、と思った。ずっと無理していた姉が、やっと無理せず泣ける相手を見つけたのだ。

「姉さん――僕たちまだ、家族かな」

姉がもう一度、馬鹿、と優しく答えた。

顔をクシャッとさせながら。

この街ではない、どこか遠くで。懐かしい蝉の合唱が、聞こえた……。


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