第16話
沈黙が流れていた。重い、三人を取り巻く空気が重かった。その重さに負けじと露ちゃんが小声で口を開く
「遅れているんです……それも大分」
それだけで何のことか理解した。と同時に新太郎に対して怒りが爆発した。
「新太郎! あんた何やってるのよ。露ちゃんの体を何故大事にしなかったのよ」
こんなのは殆んど男の責任だ。女は受け身でしかないのだから……
「ごめん。普段は気をつけていたのだけど、つい盛り上がってしまった時があって、多分その時かと……」
「露ちゃん。どのぐらい遅れてるの?」
言い難いことだろうけど露ちゃんは正直に答えてくれた。それによると、両家から交際を許されたすぐ後だと推測した。無理はないけど……
「先月、なかったのです。そして今月も今まで……」
「市販の検査薬は使った?」
二人共その質問に首を縦に振る。そうか、今や結構正確に判定出来るそうだ。
「それで、どうするの? それを決めるのは二人よ。でも仕方ないか、まだ高校生と大学生だものね。生活の基盤なんてないしね」
結論は見えている。母体に悪かろうが、それしか選択がないと思った。新太郎も静かに頷く。その時、露ちゃんが、意を決したように
「産みます。産ませて下さい。折角、新太郎さんの子を授かったのです。大切な命です。この身に変えても産みたいです」
正直、驚いた。まさか、そんな選択をするなんて思わなかった。むちゃくちゃだと思った。
「露ちゃん。それがどんなに大変か判ってるの? 自分だけじゃ済まないんだよ」
わたしは、ここは本音で言わさして貰う。すると新太郎が
「露子の決意が固いので、何度も言ったのだけど……それに母体にも悪いし」
全く、肝心の犯人が良く言うわと思った。
「兎に角、ちゃんとお医者さんに見て貰わないと本当のことは判らないでしょう。それに本当だったら予定日なんかもあるしね。露ちゃんが本当にその気なら、それも大事よ。それに、生まれて来た子は私生児にする訳。そんなことも大事なのよ」
わたしは、思いつくままに言ってみたが、その他に色々と考えなければならない事は沢山あった。
「兎に角、明日でも医者に行って来なさい。全てはそれからだわ。新太郎、ちゃんと付き添ってあげるのよ。いいわね」
そう言ってとりあえず二人を帰した。誰も家にいない時で良かったと思った。でも本当にどうしよう。母体の為なら産んだ方が良いに決まってるけど、どうなのだろう。大学の進学のことだってあるし、その他諸々のことがこれから待っている。考えるだけでも憂鬱になった。
翌日、新太郎に付き添われて、産婦人科の門を叩いた。その結果七月の二十日が予定日だと言われたそうだ。現在二ヶ月に入ったばかりだという。やはり当たってしまった……
「どう、お医者さんの診断を聞いても意志は変わらない?」
わたしの質問に露ちゃんは固い表情で
「変わりません。どうしても新太郎さんの子が欲しいです」
そこまで言うのは天晴だと思った。わたしなら堕ろすと言ってしまうかも知れなかった。
「判ったわ。露ちゃんの気持ちは判った。じゃあ新太郎はどうなの? ハッキリ言いなさい」
新太郎は暫く下を向いて考えていたが、こちらも意を決した感じで
「露子と結婚する。そして正々堂々と子供を産んで貰う」
こちらもハッキリと決断した。ならばこれからは環境を整えることになる。尤もこれが一番難しいのだが……本当にどうしよう……頭の中で天使が飛び回っていた。
そんな沈黙が支配している時に突然「りりりり、りりりり」と鈴虫の声のような音が鳴り響いた。すかさず露ちゃんが
「あ、わたしです。携帯の着信音です」
そう言って電話に出た。初めて聞いたが変わった着信音だと思った。一度聞けば忘れない。兎に角、筋を通さねばと思うのだった。
まずは萩原家からだと思った。「大学に入ったら一緒に住めば良い」などと言っていたくらいだから、案外認めるかも知れない。問題は飯島家の方で、莫大な露ちゃんの資産はそっくり生まれて来る子にやがては受け継がれる訳だからいい顔はしないと思った。これをどう崩すかが大事だ。結婚するとなったら、いつ頃だろうか? 余りお腹が大きくなってはマズイのでその前が良いと思った。すると三月頃かと見当をつける。
そんなことは、わたしが考えても仕方ないのだが、新太郎は、一人で今週の末に実家に帰って報告すると言う。全てはそれからだと思った。
土曜の晩に新太郎から連絡が入った。何でも両親は驚いたが、喜んだそうだ。この前の時に両親が露ちゃんを非常に気に入ってしまい、是非にと、嫁に貰う算段をしたそうだ。むしろ、「息子よ良くやった」と言いたいぐらいだったそうだ。
そうなると今度は飯島の方だ。これは、わたしも一緒に付いて行くことになった。
まず、新太郎がことの経緯を説明すると、景子も平吾も驚いた。特に景子は驚きが凄く口も利けないほどだった。
唯一喜んだのは美香で、それは本当に大喜びと言っても良いほどだった。
「露子、良かったねえ。愛の結晶が出来たのね。嬉しい! ロマンチックだわ。わたしもいつかは黒川くんと……」
そう言って両親を慌てさせた。
それがあったからでは、ないだろうが、思ったより簡単に結婚を許した。もう自分達の自由になるとは思わなくなったのだろう。こうして二人は正式な結婚をすることに決まった。
日時は三月の初めで、「聖華」の卒業式のすぐ後と決まった。それぐらいなら、お腹も何とか誤魔化せるらしかった。
後は住む場所は今の新太郎の住んでいるマンションと決まった。保健所から母子手帳を貰った露ちゃんは嬉しそうだった。
とりあえず籍だけは入れておいた方が良いという萩原家の要望で、役所で籍だけは入れて、露ちゃんは飯島露子から萩原露子となった。
そして、身の回りのものを少しずつ持って行くようになり、そのまま泊まることも多くなった。もう夫婦なので、周りも何も言わなくなったが。わたしは何故かむな騒ぎが収まらなかった。
歳が明け、街は正月の雰囲気で盛り上がっていたが、わたしは胸騒ぎが収まらないままだった。訳があるのではなく、所謂女の感なのだと言えば他愛ないのだが、こればかりは致し方ない。そうなのだ理屈ではなく第六感ともいうべき感覚なのだ。
やがてそれはわたしの杞憂では収まらなくなる……
「おめでとうございます」
美香が黒川くんを伴ってやって来た。学生だから要らないとは思うのだが、雀の涙ほどのお年玉を二人に渡す。
「わあ、麗子さんから貰えるとは思っても見なかったので嬉しい!」
他愛なく喜ばれるとあげた甲斐がある。黒川くんも恐縮していた。
「あなた達も将来は露ちゃんの子にあげなくてはならなくなるわよ」
そんなことを言って笑いあった。だが、その時は確実に近づきつつあった。




