第12話
「新太郎、どうしたの?」
わたしの言葉に待っていたように
「さっき、物陰から見ていたろう?」
何だ新太郎は判っていたのかと思う。判っていて、あんな甘い言葉を交わしていたのかと……
「知ってたんだ。見ていたよ。全部」
「やっぱりな。すぐに判ったよ」
「どうして、判ったの。気配がしたの?」
姿を新太郎に見られてはいないと思ったので、何で判ったのか訊いてみたかった。
「同じなんだ。露子と山本は同じ気配を持ってるんだ。もっと判り易く言い換えるとオーラが同じという感じなんだ。だから、隠れていてもすぐに判った。俺の愛する人と同じオーラを纏った人がいるとね」
そんなこととは思ってもいなかった。オーラなんて自分には判らないからだ。
「正直、あそこまで関係が進んでるとは思わなかった。でも、当たり前だよね。わたしが恋をしたらきっと同じかも知れないと思ってたんだ」
「俺は本気だ。本気で露子を愛してる。彼女なしでは生きてはいけない」
ここまで新太郎が本気になるとは……
「それで、話って何? 大学じゃ言えないことなのね」
「さすが、察しが良いな。実は大事な話だ」
わたしは公園の中のベンチで座って話すことを提案し新太郎もそれに同意した。夏の蒸し暑い夜だった。ベンチに座るとおもむろに新太郎は話出した。
「実は、家を出ることを考えている。そして二人で暮らそうと思ってる」
新太郎の言ったことはいつかは提案して来ることだと思ったが、まだ先だと思っていた。露ちゃんは高校三年だし、新太郎はやっと二十歳になったばかりだ。それに独立とは、あのマンションを出て行くのだろうか? 色々と計画が甘いのではないかと思った。
「独立するってあのマンションを出て行くの?」
「ああ、そのつもりだ。親は僕と露子が一緒に住むことは許さないだろう。ならば、僕がバイトでもして生活費を稼ぐ、露子には苦労はさせられない」
甘いと思った。そりゃわたしだって親がかりで暮らしてるから大きなことは言えないが、学費を含め生活費全てをバイトだけで出せる訳がない、甘すぎる。
「甘いわ。大甘よ。そんなつもりなら、わたし、今の身代わりを降りるわ。露ちゃんやあんたにそんな苦労をさせたくないから、こんな馬鹿なことやってるんじゃないの! どこに、従姉妹と同じ髪型にして、同じ石鹸やシャンプーを使い、同じ学校の制服を来て、声まで真似て『露子です』なんてやってる女子大生がいるのよ。馬鹿にしないで!」
わたしはそれだけを言うと踵を返して新太郎に背を向けて歩き出した。背後で新太郎が何か言っていたが耳に入らなかった。
全く人の気も知らないでとは、良く言ったものだと思う。悲しくて涙が流れて来て、訳が判らなくなって来ていた。わたしは単におどけ役だったの? 間抜けなお人好しだったの? 完全に自分を失っていた。もう、どうでも良くなった……
それから、目が腐るのではないかと思うほど寝た。大学も休んで携帯の電源も切って、誰とも会わなかった。食事もしなかったし、表にも出なかった。一人でいたかった。それだけだった。
いく日か後、露ちゃんと美香が尋ねて来てくれたが、逢えないと思った。全部放り出してしまってどの顔で会えば良いのか判らなかった。母には「起きられる状態じゃないから」と言って貰った。でも本当は二人の顔を見たかった。
「露子ちゃんと飯島の美香ちゃん。残念そうに帰って行ったわよ」
母の言葉に少し心が痛むが、仕方ないと思う。新太郎があんなことを取り消すまで会えないと思った。
それから、わたしの中の何かが切れてしまったのだろう。体調は中々回復しなかった。大学は夏休みに入っていた。休み明けには前期の期末がある。それまでには回復するだろうか?
医者の言うには、長い期間の疲れが貯まった結果だと言われたが、気持ちの張りがなくなっただけだと自分では思っていた。
露ちゃんと美香はそれからも何回か来てくれて、何回目かは判らないが、母が怒り出し
「あんた二人に悪いと思わないの! いい加減にしなさい」
きつく言われて、結局母が強制的に部屋の中に通した。
「こんにちは~ 麗子さんお加減いかがですか?」
「麗子さん。具合どう?」
露ちゃんと美香がお見舞いを言って心配してくれる。
「ありがとう……まだ、体調が戻らなくて……」
答えたわたしの顔を見た二人は
「どうしたのですか、痩せてしまって、酷いですよ」
「麗子さん。それ……」
そんなに酷い顔になってるのだろうかと手鏡を見て納得した。確かに骨と皮の人間が映っていた。
「酷いね……全く見る影もないね」
上体を起こそうとしたが力が入らない。二人に支ええて貰いやっと上体をベッドから起こすことが出来た。
「随分痩せちゃって……」
美香が心配してくれた。露ちゃんも
「申し訳ありません。全部わたしが悪いのです。余りにも新太郎さんと離れたくないなんて言ったものですから……」
そうだ、その後二人はどうしてるのかと思った。
「それは、わたしが上手くやってるから心配しないで、多少回数は減ったけど、バレてはいないから」
美香が少し自慢そうに言う。そういえば美香のはどうなったのだろうか? それを問うと意外な返事が返って来た。
「挨拶から始まって、お天気までは良かったのだけど、それから先は上手く行かなくて、余り話してくれないから、思い切って尋ねたの。『わたしのこと嫌いですか』って」
「そうしたら?」
「そうしたら、『君のお父さんは飯島平吾というのだろう?』って訊かれたから、『そうです』って答えたら、『実は僕の父の会社は、君のお父さんの会社に潰されたんだ』って言われたの。つまり、父の会社の競合相手だったという訳なの。『だから君とは付き合えない』って言われて、ショックで泣いてたら、露子が『わたしが言ってあげます』って言ってくれて、黒川さんに言ってくれたの」
「なんて言ったの露ちゃん」
わたしの問いかけに露ちゃんは
「わたしと、新太郎さんのことを話したんです。新太郎さんの叔父様がわたしの両親を交通事故で轢いてしまった事実を……それでも、自分達は交際をしてる事実を言いました。『そんな偏見ではなく、そのままの美香ちゃんを見てどう想いますか? 少しでも心がときめいたなら、美香ちゃんの言葉に耳を傾けて下さい』って言ったんです。そうしたら、判ってくれました」
「ということは……」
「はい、友達からならって言われて交際始めました」
その時の美香の嬉しそうな顔は多分一生忘れないだろう。それだけは本当だった。
わたしは、その日から少しずつ回復して行った。きっともう、わたしがいなくても、上手く回って行くのだろうと思った。




