第1話
来週の引っ越しに向けて、押入れの奥を高校一年の娘が片付けてくれている。わたしはそれを横目で眺めながら要らない本を、ダンボールの箱に詰めている。後で古書の買い取り業者が来てくれることになっている。
我が家は狭く古いマンションのくせに、わたしも夫も、そして娘も読書が趣味という一家だから、あっという間に本が貯まってしまうのだ。
娘は少ない小遣いでやりくりするので古書店で買うことが多い。逆に夫は会社近くの大型書店でベストセラーを中心に買うのだ。
わたしはといえば、もっぱらネットが中心だ。送料は無料だし、それにプライム何とかにいつの間にかなっていて、午前中の注文なら夕方迄に届けてくれるのだ。本なんかは定価販売だから、こういうサービスが案外販売では物を言うではなかろうか。
この街も今年の夏に開催されるオリンピックの影響で少しずつ変わって来た。交通網も整備され便利になった。引っ越し先はその便利になった地域に立てられたマンションだ。
「何か随分古い写真が出て来たけど、これお母さん?」
押入れの奥から娘が声を掛けて来た。振り向くと手には茶色掛かった写真を持っていた。わたしが大学に通っていた頃に仲の良かった三人を写して貰ったのだ。
「あら、懐かしいものが出て来たわね。そうよ、端っこに居るのがわたしよ」
娘がわたしの隣にやって来て座ると、手に持っていた写真を見せながら
「これいつ頃の写真?」
そんなことを言いながら更に
「一緒に写ってる人は恋人どうしなの?」
などと少し興味のありそうな顔で訊いて来たので
「そうよ。わたしの隣の娘とその隣に立ってる男の子はとても愛し合ってたのよ」
昔のことだが正直に教えると
「幾つぐらいなんだろう? お母さんと男の子はそんなに変わらない感じだけど、この女の子は少し歳下な感じがする」
そんなことを言う娘に、我ながら勘が良いと感心する。
「そう、この娘は高校生。わたしとこの男の子は大学生よ」
「じゃあ、お母さんの彼氏だったの?」
やはり普通はそう思うのは仕方ないとだろう。だが、わたしはかぶりを振り
「ううん。お母さんとこの男の子は同級生よ。まあ友達ね。サークルも一緒だったけどね」
わたしの説明に我が娘は目を輝かせて写真を見つめている。自分の母親の青春時代に想いを馳せているのだろうか? そんな彼女に一言だけ伝えたかった。
「この二人はね、本当に愛し合っていたわ。最初は、わたしが紹介したのよ」
その言葉を耳にして娘は益々目を輝かせた。
「へえ~、その頃のこと訊きたいな」
もとより、この話を我が娘にいつかは話してあげたかったのだ。
「いいわよ。話してあげるから、もう少し片付けてしまいましょうね。そうしたらお茶の時に話してあげる」
「わかった!」
恐らく、お茶の時間だけでは語りきれないと思う。そんな長い年月ではなかったが、とても充実していたのではないだろうか。
片付けは、結構朝早くからやっていたので、十時過ぎのお茶の時間までには先が見える所まで片付けが済んでいた。
サイフォンのお湯が上がり、それがコーヒーとして全て下がって来ると、わたしは大きめのコーヒーカップ二つにその黒い液体を注ぐ
「あ~いい香り」
娘がミルクをたっぷりと入れてかき回し、口をつける。
「やっぱりこのブレンド、美味しいね」
二人の間にあるチョコチップ入のクッキーに手を伸ばして
「ねえ、さっきの二人の話……」
「ああ、そうだったわね。じゃあ話してあげる」
わたしはそう言って、あの二人の恋の話を語り始めた。
あなたが生まれる前の年の新学期が始まった頃だった。彼女の名は飯島露子と言ってね、本当はとても裕福な家庭に生まれたのに、高校一年の時に両親が交通事故で亡くなってしまって、叔父の飯島平吾の元で暮らしていたの。
わたしと露ちゃんは母方の従姉妹同士で幼い頃から良く遊んでいて、行き来していた仲だったから、お互いに「麗子さん。露ちゃん」と呼んでいたわ。麗子というのはわたしの名前、山本麗子から来ているのは判るわね。
飯島平吾の家に来てからの彼女は、余り幸せとは言えなかった。それというのも平吾の妻の景子が、露ちゃんに辛く当たっていたからなの。
夫で自分の実の姪にも関わらず平吾は景子が折檻にも近い行為を行っている事に目を瞑っていて、彼女の両親が残した財産を後見人として、いいように使っていたのよ。そう、そのお金で贅沢をしていた。と言えば良いかしら。高級外車なんか買ったりしていたわ。彼は平凡なサラリーマンにしか過ぎなかったのにね……
それに、平吾と景子には娘がいてね。名前を美香と言って、それは我儘な娘だった。未だ中学生にも関わらず、露ちゃんを呼び捨てにしたりしてね。兎に角扱い難い娘だったわ。
ある日のこと、わたしは露ちゃんを高校の校門で待っていた。露ちゃんが通う学校は「聖華女学院」というお嬢様学校だけど、計算高い平吾は本当は公立に転校させたがっていた。だが、それが難しいと判ると仕方なくそのまま通わせたの。その代わり、ろくに露ちゃんにお小遣いも与えなかったし、お昼の弁当も自分で作って行かせていた。それも残り物を与えていたのよ……
わたしは、そんな露ちゃんが可哀想で、たまにはこうやって学校の帰りに呼び出したり、待ち合わせていたりしていた。息抜きも必要だと思ったからね。
その日もわたしは大学の授業を終わらせると目と鼻の先の「聖華女学院」にやってきたの。校門で待っていると、露ちゃんはすぐに顔を見せた。部活動に入っていない……というより入らせて貰えないから授業が終わるとすぐに出て来る。でも今日は早く帰らなくても良いの。だって帰ると家の用事をさせられるのだから……だからわたしが、こうやって誘い出すという訳。
「露ちゃん! 露ちゃん!」
肩を超す長い髪、愛くるしい瞳、可憐な唇、それらを包み込む白い肌。露ちゃんの容姿は美人揃いと評判の「聖華女学院」の中でも特に目立っていて、百合的な気持ちのないわたしでも少し胸がキュンとなってしまうくらい。
「あ、麗子さん!」
わたしの顔を見ると途端に表情が明るくなった。
「どう、家で苛められていない? 何かあったらわたしに言いなさいよ」
「大丈夫です。それほど辛いことはありませんから」
全く人が良いと呆れてしまうのだけど、今日は露ちゃんにわたしも話があったの。幸いまだ午前中だから、露ちゃんを引っ張り回す時間はタップリとある訳。
「露ちゃん。これからわたしの大学に来ない? 実は進学のことで話があるんだ」
いきなりの誘いだったが、露ちゃんは明るく
「はい、今日なら時間も大丈夫ですから、ご一緒します」
輝くような笑顔とはきっとこのような笑顔だと思ってしまう。
風は少し冷たいが、早春の暖かい日差しを受けなら、わたしと露ちゃんは並んで歩き出す。百六十センチのわたしより少しだけ小さい背。だけどその均整の取れた体躯は同性のわたしから見ても惚れ惚れしてしまう。
大学の門をくぐるとわたしと露ちゃんはキャンパス内にあるコーヒーショップに入る。最近はウチの大学にも大手のコーヒーチェーンが店を出したからせいぜい利用させて貰ってるわ。
露ちゃんがカフェオレ、わたしはアメリカンを頼んでトレイに載せて日当たりの良い席に座る。
春の日差しは露ちゃんに当たり、長い影を作っていて、僅かに微笑みを浮かべて本当に絵になっていると思ったの。
「露ちゃんも高校三年だけど、進学はどうするの?」
わたしは、この前から心配していたことを率直に訊いてみると
「はい、本当はこのまま「聖華」の大学部に行けば楽なんですけど、叔父様と叔母様が「学費が高いから他所にしなさい」と言っているので、どうしようかと考えているのです」
全く何ということだろう。露ちゃんの学費ぐらいは、残された遺産からすれば、はした金じゃないかと思う。
「露ちゃん。そんなこと気にする必要はないよ。あんな夫婦のいうことなんか気にしなくて良いんだからね。あなたには莫大な財産が残されているんだからね」
わたしが、ハッキリとそういうと露ちゃんは俯きながら
「それはそうなんですけれども、叔父様が後見人ですので、財産はわたしの思いのままには出来ないのです」
「それはそうだけど、あなたにはきちんとした教育を受ける権利があるのよ」
「それも判っています。でも本当は「聖華」よりも行きたい大学があるのです」
そういって露ちゃんは目を輝かせた。
「それは何処?」
露ちゃんが口にしたのは、わたしが通ってるこの公立の大学だった。確かに露ちゃんは中学から今まで「聖華」では、常に学年トップだった。正直、レベル的には何処でも入れる学力があると思う。だからわたしが通うこの大学も問題がないだろう。それに学費も「聖華」に比べると比較にならないくらい安い。しかも、公的な奨学金も期待出来る。そこまで考えていたのなら、さすがに露ちゃんだと感心をした。
「なるほどね~。じゃあ、これから、わたしがキャンパスを案内してあげる」
「ホントですか? とても嬉しいです。実は近々『キャンパスデー』に見学に来ようと思っていたんです」
愛くるしい顔を一層ほころばせてにこにこしている様は本当に可愛いと思った。
そんな時だった。いきなり後ろから声を掛けられた
「よお、山本じゃないか。どうしたんだ? 今日は講義休講だろう」
振り返ると同じサークルの仲間の萩原新太郎だった。これが二人の出会いだった。