満天の星空
6月10日火曜日 午後6時53分 商店街 路地
詩音たちは朝野宅での夕食も終え商店街でライブの準備を着々と進めていた。もちろんハヤテもそれを手伝っている。詩音たちが準備をしていると徐々にその周りに人が集まってきた。
「おっす。楽しみにしてたよ。」
ひとりの気前の良いおじさんが声をかける。
「ありがと。もうすぐ始まるから待ってて。」
詩音が答える。
「みんな。勉強は大丈夫なの?」
おばさんは心配そうに訊ねる。
「大丈夫じゃありませんよ。詩音は昨日もひとりで歌ってたみたいですから。」
葵が答える。
「何それ?私一人が悪いみたいじゃん。」
「そうでしょ。」
由紀が笑いながら言う。
「二人ともひどい。」
「明日はみっちり勉強させるからね。覚悟しときな。」
葵が詩音を脅迫する。その様子を見ていたギャラリーに笑いが生まれる。
「ところであんた。見ない顔だけど詩音ちゃんたちの友達かなんかかい?」
常連であろうおじいさんがハヤテの存在に気づき話しかける。
「友達…?うーん。どうなんだろう。ねえ。詩音。俺達って友達?」
ハヤテは詩音に話を振る。
「友達なのかな?でも、これから一緒に暮らすからねえ。」
「するてぇとあれかい。お前さん。詩音ちゃんのこれかい。」
おじさんは右手の小指を立て笑顔でハヤテに突きつける。
「えーと。小指?」
ハヤテは意味を理解できていない。しかしその様子を見ていた詩音が顔を赤くさせ「ちがいます!!」と叫んだ。
おじさんはそれを笑って流した。
「もう。それじゃあライブ、始めるよ。」
少し不機嫌になりながらもサンライズのライブが始まった。
ライブで歌われる曲のほとんどはカバー曲だ。アップテンポな曲から、バラード曲まで幅広く歌われた。聞いている客の層も年配の方から小学生くらいの子までまちまちだ。二十曲ほど歌って、時刻は九時前となっていた。このころになると演奏している三人は汗だくになっていた。
「はぁー。疲れた。」
そう言いながら詩音はポカリを飲み干す。
「そろそろ最後にしなきゃね。」
「えー!?」
詩音が告げると観客からはブーイングが起きる。
「ありがと。でも、楽しい時間っていうのはすぐに過ぎていくものだよ。時間の流れは止められない。止めてはならない。だからこそ人は思い出を大切にするんだよ。今日の時間は終わってしまうけど今日の思いでは忘れないでほしい。」
「わすれるわけねぇーよ。」
ひとりのおじいさんが言う。
「そうだよ。忘れないよ。」
「そーだ。そーだ。」
「サンライズサイコー」
周りの人も続く。
「ありがと。始まったものはいつかは終わる。このライブも今日という日も人の命もこの世界も。何もないところから何もないところへ私たちは歩む。この歩みは誰もやめることができない。やめせさせることもできない。この時間が誰にとっても平等で誰にとってもかけがえのないものだと信じて。」
詩音はここまで言うと間をつくる。そして大きく息を吸い込む。
「螺鈿。」
詩音が言うと優しいメロディーが流れた。そしてあの時ハヤテが耳にした螺鈿のバンドバージョンが商店街に響いた。その歌に人々は酔いしれた。美しいメロディーに優しい歌声。そこにいたすべての人の心を一瞬にして一つにした。
曲が終わると観客からは惜しみない拍手が沸き起こった。
「ありがとう。」
「ありがとうございます。」
「ありがとー。」
三人は、それぞれ礼を言う。
「それじゃ。今日はここまで。次のライブはー。」
詩音がそこまでいうと横から葵が割って入る。
「テストが終わってから。」
詩音は葵の方を見る。詩音と葵は目を合わす。葵の眼は憤りを含ませていた。詩音はペロッと舌を出す。
「まあ。そんなわけでテストが来週の水木金だから…次は金曜日だな。」
由紀が言う。
「それじゃ。また。」
「テスト頑張んなよ。」
「しっかり勉強しなさいよ。」
観客はそれぞれ帰路についていった。
客が帰ると三人はかたずけを始めた。
「三人ともお疲れさん。今日もすごくよかったわよ。」
「あっ。真知子さん。今日もありがとうございました。」
三人の前にいたのは五十代ほどの女性の方だった。彼女は旦那と二人で八百屋を営み、この商店街の会長でもある。詩音たちは彼女に場所を借りてライブをしているのだ。
「礼を言うのはあたしたちの方よ。あなたたちのおかげで商店街もにぎわっているもの。」
「そんな…」
「へー。すごいんだね。」
ハヤテが話に割って入る。
「あなた、お名前は?」
突然の登場に真知子は驚いたようだ。
「俺は、ハヤテ。」
「あたしは、真知子。ここの八百屋を主人と二人で営んでるの。それからこの太陽商店街の会長でもあるの。」
「おーい。お前ら。」
ハヤテと真知子が話していると、ライブをしていた後ろの建物からからおじいさんの声がした。よく見るとそこは『長谷川八百屋』と表記されていた。長谷川八百屋から両手に大量のトマトを抱えたおじいさんが出てきた。それはライブの前、ハヤテをからかっていた人だった。
「これぇー、今日の売れ残りだー。もってけ。」
「ケンおじさん。いつもありがとうございます。」
詩音は大量のトマトを受け取った。おじいさんは詩音に手に抱えていたトマトを渡した。
「彼があたしの主人、健三。さっきは失礼なこと言ってごめんなさいね。」
真知子がハヤテに頭を下げる。
「失礼?別に普通に話しただけじゃなかったっけ?」
「あなたいい人ね。そう言ってくれるとうれしいわ。でも無理しないでね。」
「あぁ。はい。」
ハヤテは訳も分からず、あいまいな返事をする。
「おぉ。あんちゃんもいたのか。ちょいと待ちな。あんちゃんの分も持ってくるからよ。」
そういうとおじいさんは八百屋に入っていった。一分もたたないうちにおじいさんは戻ってきた。手にはきゅうりの入ったビニール袋を持っていた。
「あんちゃんにはこれだぁ。もってけぇ。」
「ありがと。」
ハヤテは、素直に受け取る。
「あんちゃん。詩音ちゃんを大切にすんだよ。」
「だからそんなのじゃないんですってば。」
おじいさんの言葉に反応したのは片づけを終え、すでにギターを背負った詩音だった。
「もう。あなた。やめなさい。」
「怒られちった。」
おじいさんはにっこり笑う。まわりもつられて笑う。
「もう帰るのか?」
おじいさんが訊ねる。
「はい。今日もお世話になりました。」
葵が礼儀正しく頭を下げる。
「またよろしくね。」
由紀は葵と違い軽い調子でいう。
「こちらこそ。」
真知子は嫌な顔一つせず笑顔で返す。
「ちゃんとお礼しなさい。」
葵が由紀を叱る。
「はーい。ありがとうございました。」
由紀はわざと大げさに頭を下げる。
「そんなら気ぃ付けて帰りや。」
「はーい。おやすみなさい。」
「おう。」
「おやすみなさい。」
長谷川さん夫妻は家の中に入っていった。
「それじゃあ、あたしたちも帰りますか。」
由紀が言うと二人はうなずく。
「今日は一人じゃないね。」
葵が詩音を見ていう。いつもは葵と由紀は同じ方向で、詩音のみが逆方向に帰っていたのだ。
「そうだね。安心。安心。」
詩音は笑顔で答える。
「何が安心だよ。詩音みたいな凶暴なやつを襲う奴なんてもともといないでしょ。」
由紀がからかう。
「ひっど!私みたいな乙女は気をつけなきゃダメじゃない。」
「誰が乙女だって。」
「その辺で終わり。帰るよ。」
冷静に葵が場をしめる。
「葵から言い出したんじゃない。」
由紀がぼそりという。
「何か言った?」
「いいえ。」
由紀は葵の問いに即答する。
「それじゃ、また明日。」
「バイバイ。」
「バイバイ。」
葵と由紀は歩きだした。
「あたしたちも帰ろっか。」
「うん。」
ハヤテはそっけない返事をして歩き出した。詩音は少し小走りをしてハヤテの真横に並んだ。
「ねえ。」
少し歩くとハヤテが口を開いた。
「なあに?」
「どうしてここでライブしているの?」
ハヤテはちらっと詩音の表情をうかがいながら訊ねる。
「さっきのおじさん。昔は有名なドラマーだったんだって。」
「ドラマー?何それ?」
ハヤテは首をかしげる。
「ドラムをたたく人のことよ。由紀もそう。」
「ふーん。なるほど。」
「ドラムセットって重くてなかなか持ち運べないの。それでケンおじさんがドラムセットを貸してくれるっていうからあそこでライブをしているの。」
「へー。いい人なんだね。」
ハヤテは手に持っていたきゅうりの袋を眺める。
「いい人に決まってるじゃん。この商店街に来る人はみんないい人ばっかりだよ。いや。世界中のみんな、本当はいい人しかいないんだよ。」
詩音は笑顔で言う。
「犯罪者でも?」
「うん。」
詩音は即答する。
「生まれた時からずっと悪い人なんていないよ。みんな心のどこかに良心を持っているはずなの。」
「良心?」
「そう。簡単に言うとやって良いことと、悪いことの区別。悪いことをする人にはそれなりの理由があるはず。理由があれば悪いことをしていいということではないけど、どうしようもなくなった時に人は悪事に手を染めてしまうと思うの。」
「どうしようもなくなった時…か。」
「ハヤテ。どうかしたの?」
ハヤテは詩音の言葉に反論しようかと考え、その考えをすぐに消した。
「いや。詩音って幸せなんだなって思って。」
「そりゃそうだよ。好きなことして好きなように生きてるからね。」
詩音は無邪気な笑顔を浮かべる。ハヤテは詩音の顔を見て笑う。
「どうして笑うの?」
「いや。こういう生き方が俺の憧れだったから。」
二人は目を合わせお互いに笑いあった。商店街を抜けると空にはきれいな星空が広がっていた。
「見て見て。星!きれいでしょ。」
「本当だ。こんなにたくさん。」
二人は空を見上げながら歩いた。
「いてっ。」
空を見ていた詩音は小さな段差につまずいた。
「空ばっかり見てたら危ないな。」
ハヤテが笑って言う。
「そうだ。」
詩音は何やら良い考えが浮かんだようで、いたずらな笑みを浮かべる。
「ハヤテ。ついてきて。」
「どこに?」
「いいからいいから。」
そういうと詩音は走り始めた。
ハヤテは詩音の後を追った。
いくつか信号を超え、地下道を超え朝野宅の手前、朝野医院で詩音は足を止めた。
「ここ?」
ハヤテは訊ねる。
「そう。ここからは静かにね。」
詩音は駐車場のある裏に回る。ハヤテもそのあとに続く。裏には非常用階段が螺旋となり各階に、そして屋上まで伸びていた。詩音はそっとその扉を開けた。扉を全開にすると詩音は振り返りハヤテに目でついてくるよう言った。そして詩音は足音を立てぬようにゆっくり上り始める。ハヤテもその後ろを追った。
いくら足音を消そうとしても鉄製のその階段からはコツンコツンと音がした。詩音は少々の音を気にしながらも二階、三階、四階、五階を通り越し一気に屋上まで登った。一方のハヤテの足音はほぼしなかった。そして詩音の後ろにぴったりと付き屋上へ着いた。
「ここ。いいところでしょ。」
詩音が振り返り言った。
「本当だ。」
ハヤテは目の前の景色に見とれた。
「まだもう少し。こっち来て。」
詩音はハヤテに手招きをする。詩音の行く先には中と階段でつながっているであろう建物があり、その建物の横に梯子がかかっている。詩音はその梯子を上り始めた。ハヤテも詩音の後に梯子を上った。
「すごい。」
その上に立ったハヤテは目の前の景色に心を奪われた。
「あそこに見えるのがさっきまであたしたちのいた商店街で、その奥にあたしたちの通っている太陽高校があるの。
その正面には太陽第一小学校があってその少し行ったところが由紀の家。」
詩音は指さしをしながらそこから見えるものの説明をする。
「この線路の先に駅があるでしょ。あれが太陽駅で駅の横のおっきい建物はデパート。よく葵達と行くんだ。で、葵の家は、駅からもう少し行ったあのあたりかな。」
詩音は一人楽しそうに話す。しかし、ハヤテは目の前の光景にただただ見とれていた。
「ハヤテ。どうかしたの?」
ハヤテの様子に気が付いた詩音は訊ねる。
「いや。この小さな光一つ一つに生活があって一つ一つに幸せがあるのかと思うと単純にすごいなと思って見とれてたんだ。」
「ハヤテってすごいね。考えることが格好いいよ。」
詩音は笑いながら言う。
「ねえ。見て。」
詩音は空を指さす。
「ここからだと周りに邪魔なものがないからきれいに星が見えるよ。」
「本当だ。星も月も綺麗だ。」
ハヤテは呟く。
「月はまだだよ。満月は三日後だからまだ不完全じゃん。」
「不完全でも構わないよ。きれいじゃんか。」
「あたし、月はあんまり好きじゃないの。」
「どうして?」
今までずっと上を向いていたハヤテが隣の詩音の方を見た。
詩音はハヤテと目が合うと微笑んだ。
「とりあえず座らない?」
詩音の言葉で二人はその建物のふちに腰かけた。
ハヤテは詩音の次の言葉を待った。
「月ってね、自分で光ってるわけじゃなじゃん?」
「そうなの?」
「そうなの。月は太陽に照らされて光ってるの。」
「そうなんだ。」
ハヤテは感心したように言う。
「詩音は物知りだね。」
「これくらい誰でも知ってるわよ。」
二人は笑いあう。
「他の星はどれも自分の光を何万光年先からここまで届けているの。
でも月は太陽に照らされてそれで光っているだけなの。」
「それでいいんじゃないの?」
「え?」
詩音は戸惑う。
「誰かに照らされてでも輝けるのならばいいじゃんか。誰にも照らされないより。」
「そうかもしれないけど。でも、月だって照らしてほしいわけじゃないでしょ。」
「照らして欲しくないものなんてないよ。どんなものだって誰かに見てもらったり、知ってもらったりしたいはずだよ。」
「でも!」
二人の抗論はいつの間にかヒートアップしていた。それに気づいた詩音から自然と笑みがこぼれる。
「どうしたの?」
「あたしたち。月について熱くなりすぎでしょ。」
詩音の言葉につられハヤテも笑みをこぼした。
「でもやっぱり月より星の方が好き。あの星だって今届いてる光は何年も前の光だし、星には自分を見てほしいていう願いがあるように思うもの。」
「月だってそうだって。」
そこまで言うとまた自分たちが抗論になっていることに気が付き二人は笑った。
「ねえ、ハヤテ。」
詩音は真面目な表情に戻り呟く。
「ハヤテは一体何者なの?」
突然の質問にハヤテは驚いた。
「ど、どういうこと?」
「今、とても楽しいの。新しい友達というより、兄弟ができたような気持ちで。でもふと気になってしまったの。どうしてあそこで倒れていたのか。どうして学校にも行っていないのか。ねえ。どうして?」
ハヤテは詩音の問いに口をつぐみ黙り込む。そして辰郎との約束を思い出していた。殺し屋であるということを誰にも言わないという約束だ。
「黙らないでよ。ハヤテのことあたしに教えてよ。」
詩音はハヤテの肩をゆすった。
「ごめん。」
ハヤテはうつむきながら言う。
「言えないんだ。俺が何者なのか。どうして倒れていたのか。どうして学校にも行ってないのかも。」
そこまで言うとハヤテはうつむいた。
「わかった。」
詩音はぼそりと呟いた。
「ハヤテが言いたくないのならいい。」
「言いたくなんじゃないよ。言えないんだ。」
「大丈夫。わかってる。でも、もし言いたくなったらいつでも言って。」
ハヤテは少し驚きそして混乱した。
「言いたくなる?」
「秘密にしとくのってつらいんだ。しんどいんだ。だからいつでもいい。もし話したくなったら話して。あたし、秘密は守るから。」
「う、うん。」
ハヤテは戸惑いながら返事をした。