疾風の雷撃
『螺鈿』 サンライズ
私が生まれるずっとずっと前
地球が生まれるずっとずっと前
宇宙が始まるほんの少し前
そこにはなにがあったのかな
なにもないところからすべては生まれた
そしてなにもないとろこへすべては向かう
この世に生まれたものはすべて
上も下もなく平等で
たとえそれが理想だとしても
私は追い求める
膨大な虚無と虚無の間
その一瞬の煌めきの光
たとえその光がどんな色でも
儚くて愛しい
私が死んだずっとずっと後
地球が滅びたずっとずっと後
宇宙が消滅したその時
そこにはなにが残るかな
なにもないところからすべてははじまり
そしてなにもないところへすべては向かう
この世に生まれたものはすべて
上も下もなく平等で
たとえそれが理想だとしても
私は追い求める
膨大な虚無と虚無の間
その一瞬の煌めきの光
たとえその光がどんな色でも
儚くて愛しい
私たちの命は一人
ひとつしか持つこと出来ないが
少し角度を変えて見れば
新しい色が見える
まるで螺鈿のようね
6月9日月曜日 午後8時47分
とある町の廃れた商店街の一角。一人の少女が、アコースティックギターを抱え座り込んでいた。少女の名は、朝野詩音。軽音部の部長を勤めている。
といってもたった3人の廃部寸前の部活だが。残りの二人のメンバーは、ベース担当の中谷葵とドラム担当の緑山由紀だ。彼女たちはサンライズというバンド名で活動している。
彼女のまわりには少しばかり人だかりが出来ている。
「今日は一人なのかい?」
一人のおばあさんが尋ねる。
「そうなの。葵も由紀も今日は塾だから、だって。全く嫌になるよね。受験生は。」
「おいおい。詩音ちゃんは勉強しなくていいのか?」
おばあさんの後ろから若い男が口を出す。
「勉強?なにそれ。美味しいの?」
詩音はおどけて見せる。周りの人たちはそれを見て笑う。
「冗談。冗談。こうみえてあたしは賢いんだから。少しくらい息抜きしたっていいじゃない。」
「いいけど、抜きすぎるなよ。もし詩音ちゃんが浪人でもしてみたらわしらが辰郎になんて言われるかわかったもんじゃないからな。ガハハ。」
威勢のいいおじいさんが高笑いをする。辰郎というのは詩音の父親の名である。彼は朝野医院の医院長を勤めている。
「大丈夫だよ。それより、今日はここら辺でお開き。明日はみんなも来れるみたいだから早めからやると思うよ。」
「おう。それはいい。わしは必ずいくからな。」
「あんたは仕事しなさい。仕事を。」
場に笑いが生まれる。
「それじゃ。また明日ね。」
詩音が言うとみんなは四方へ散っていった。
「ふう。あたしも帰るとしますか。」
詩音はギターをギターケースにしまい始めた。
「なあ。」
「え?」
突然の声に詩音は辺りを見渡した。
しかし、声の主を見つけることができない。
「気のせいか。」
詩音は気を取り直し片付けを再開した。
「こっちだ。」
詩音は後ろを振り返った。そこには一人の男が座り込んでいた。というよりも、倒れこんでいたといった方が正確だろうか。男は詩音と同じかそれよりも少し年下位に見える。しかし、餓死しそうなくらいに弱っているようだ。
「水、持ってない?」
男は精一杯の笑顔を見せる。
「み、水?あっ。スポーツドリンクならあるけど。」
「スポーツドリンク?なんだそれ。」
男はその単語をはじめてきくかのように顔を歪ませる。
「えっと。ポカリだけど。」
「なんでもいい。少し分けてくれない?」
「え?あぁ。どうぞ。」
詩音は恐る恐るポカリを男に差し出す。男は一目散にポカリを口へ運ぶ。ごくごくという音と共にペットボトルのポカリが減り、男の中へ入り込む。それを口をポカリと開けた詩音が眺める。
「はぁー。うまい。」
男はそういうとからのペットボトルを詩音に差し出した。
「ありがとう。」
男は笑顔で言う。
「どういたしまして。」
相変わらず突然の出来事に戸惑っている詩音だ。
「さっきの歌。何て歌?」
絞り出したような笑顔で男は尋ねる。
「あぁ。螺鈿っていう歌。あたしが作った歌なの。」
音楽の話になり少し笑顔が出てきた。
「ラデン?なんだそれ。」
「私も実物は見たことないんだけど宝石みたいにキラキラして見る角度によって色が変わるものなんだって。」
「へぇ。」
「まぁ。ドラマで見ただけなんだけど。」
「ラデンかぁ。いい歌だな。」
そういうと男は詩音の方へ倒れた。きゃっと小さく悲鳴をあげ直ぐに呼びかける。しかし、どうやら眠っているようだ。
6月10日火曜日 午前8時3分
「んー。」
男は目を覚ました。
「あっ。起きたの?ちょっと待ってね。お父さん呼んでくる。」
制服を身に纏った詩音が部屋から出ていこうとする。
「ここは?」
部屋から出ようとする詩音の背中に呼びかける。
「病院。」
満面の笑みで詩音は言い、部屋を出た。
ここは朝野医院。朝野医院は5年ほど前に朝野辰郎により作られた病院だ。正式には西陵病院付属朝野医院。西陵病院とはこの町一番の病院。朝野医院が出来るまでは辰郎はそこで外科として働いていた。辰郎が医者になった頃は、この西陵病院は小さな病院と連携してとてもよい医療システムが確立されていた。
しかし、この町にあった小さな病院は、経営困難等を理由に次々になくなった。そこで西陵病院は、辰郎を中心に朝野医院を設立したのだ。辰郎は病院のすぐとなりの家を購入しそこを生活の場とした。
「目が覚めたか。」
病室に40代後半位のおじさんが入ってきた。短髪の白髪混じりの髪型だ。白衣を身にまとっている。彼こそ詩音の父親、辰郎だ。
「あれ?俺生きてんのか?」
男は自分のからだのあちこちを見渡す。
「ただの栄養失調だ。意識が戻ってよかった。君の両親に連絡をとりたい。名前と連絡先を教えてくれ。」
「名前...。」
男は少し口籠る。
「どうかしたの?」
辰郎の後ろにいた詩音が口を挟む。
「いや...。」
そう言うと少し間をおき、答える。
「ハヤテ。」
「ハヤテ君か。苗字は?」
「ない。」
辰郎と詩音は耳を疑った。
「ない?」
「うん。ない。苗字はないけど通り名みたいなのはあるよ。」
ハヤテと名乗る男は笑顔で言う。
「通り名?」
「疾風の雷撃。」
数秒の沈黙が部屋に訪れる。
「疾風の...雷撃...。」
辰郎はハヤテの言葉を繰り返す。
その言葉にはどこか怯えているようにも聞こえた。
「そう。それが俺の通り名だよ。」
ハヤテは笑顔を見せる。
「詩音。学校はいいのか?」
突然辰郎は詩音の方を向く。
「え?」
詩音は少し戸惑いポケットからスマホをとりだし時間を確認する。
「やっばー。遅刻する。」
そう言うと詩音はバックを手に取り病室の外へと向かう。出ていく間際振り返り様に「ハヤテ君。またあとでね。いってきます。」と言い残し病室を出た。
詩音が出たのを確認すると辰郎は立ち上がり部屋をゆっくり歩き始めた。
「さて。少しばかりお話でもしようか。」
辰郎は窓の方へ向かいながら言う。ハヤテは目で辰郎を追う。
「俺の名前は朝野辰郎。さっきのは俺の娘。詩音だ。ここは朝野医院。5年ほど前にできた新しい病院だ。」
「へー。」
ハヤテは興味があるのかないのかわからない、曖昧な返事をする。辰郎は続ける。
「君は昨日の9時頃、詩音に背負われてこの病院へ運び込まれた。とりあえず大丈夫そうだったから点滴だけうって寝かせておいた。君は10時間以上もぐっすり眠っていたよ。」
辰郎は窓から外の景色を眺める。窓の外には病院から走って出ていく詩音の姿が確認できる。
「そんなに寝たのは久しぶりだよ。いや、はじめてかも。」
「やっぱり君みたいになると長い間眠ることはないのかな?」
意味深な言葉を発する辰郎。
その言葉を聞きハヤテの表情がわずかに変わった。
「あれ?おじさん。もしかして俺のこと知ってる?」
辰郎はハヤテに見えないようにポケットから注射器を取り出した。
「俺も裏の世界との繋がりがあるからな。」
辰郎は振り返りハヤテの喉めがけて注射器を突き刺した。
『バフッ』
鈍い音と共に辰郎の攻撃は難なくかわされる。
「やっぱりおじさんは俺のこと知らないみたいだね。俺は風の如く現れ一撃で獲物を仕留める。」
「殺し屋だよ。」
「俺を、殺しにきたのか?」
辰郎はハヤテを睨み付ける。ハヤテは辰郎を払いのける。辰郎はハヤテに押され無様に床へ転げる。
「俺はおじさんを殺さないよ。誰からもそんな命令受けてないし。」
ハヤテは相変わらずへらへらしている。
「なら、どうして?」
「おじさん言ったよね。倒れたからここに運び込まれたって。」
「罠か何かではないのか?」
辰郎は壁を背にゆっくりと立ち上がる。
「罠?俺はそんな面倒なことしないよ。だからおじさんは俺のこと知らないって言ったんだ。俺はね、ターゲットをいたぶる趣味はない。死んだことさえ気づかないくらい一瞬で殺すの。」
辰郎はハヤテの言葉に少しの恐怖を覚えた。
「それならなおのこと。お前がここにいるのはなぜだ?疾風の雷撃は誰も顔を見たことがないって噂だ。そんなお前の顔を見た俺は殺されるしかないだろ?」
「誰がそんな噂流したんだよ。」
ハヤテはケラケラ笑う。
「俺の顔を見ても生きてるやつはたくさんいる。それとおじさんは勘違いしてるよ。」
辰郎は座ったままハヤテの話を聞く。
「俺はね。アンダーから逃げてきたんだ。」
「アンダー?」
「おじさん、アンダーを知らないの?」
「俺はただ、疾風の雷撃が世間に出ないように検死書を偽装したりしていただけだ。」
「なるほど。おじさんはただのしたっぱか。」
辰郎はしたっぱという言葉に腹をたてたが言い返すことができない。
「で、おじさんはどこまで知ってるの?」
「え?」
辰郎は戸惑う。
「だから、俺が1から10まで説明するのは面倒だから知ってることを教えてよ。」
ハヤテはからかうような笑顔だ。
「え?説明?そんなことしていいのか?」
「大丈夫だよ。だって俺はもう殺し屋はやめたから。それに...」
ハヤテは窓の外の空を眺める。
「それに俺はただ普通の生活をしたいだけだから。」
「普通の...生活...。」
辰郎は繰り返す。
「そう。おじさんたちやさっきの詩音たちと同じような生活。」
辰郎はハヤテの言葉を聞くとゆっくりと立ち上がった。
「とりあえず俺が知ってることを話すよ。」
そう言うとまた、最初に座っていた位置に戻った。
「俺が知っているのは疾風の雷撃という通り名と、その死体だけだ。眼球をアイスピックのようなもので突き刺す殺し方だ。」
「その通り。眼球は頭蓋骨で守られてないから直ぐに脳まで届く。これならほぼ即死で間違いない。」
「これが暗殺四天王疾風の雷撃の殺し方だ。」
「あれ?四天王のことも知ってるの?」
「もちろんだ。」
辰郎は深く頷く。
「業火の鉄拳、凍結の水面、光芒の芸術、そして疾風の雷撃。この四人が暗殺四天王だな。」
「そうだよ。よく知ってるね。おじさんは俺たちが殺した人たちの後処理をしているの?」
「ああ。そうだ。業火の鉄拳は遺体が残っていないことが多い。すべてを破壊する殺し方だからな。だから人物判定が難しい。凍結の水面は被害者があちこちに逃げ回ったあとが残る。わざといたぶり恐怖でみちあふれさせてから殺す。光芒の芸術はバラバラ殺人。大概部屋のあちこちにからだの一部が散らばっている。」
「おじさん、その現場にいつも行くの?」
「ここら一帯は俺の管轄だからな。他のところは他のやつがやってるだろう。」
「へー。大変なんだね。」
他人事のようにハヤテは呟く。
「そのなかでは疾風の雷撃の遺体はいつもきれいだ。眼球以外の外傷はなし。争った形跡なし。しまいには侵入した形跡すらも残っていない。それがほんとにお前なんだな。」
辰郎は感心したようにハヤテを眺める。
「本物だよ。別に信じなくても良いけど。」
ハヤテは満面の笑顔を見せる。
「まさか娘と同じくらいの年の子が暗殺者だとは考えもしなかった。」
「詩音って何歳なの?」
「18才の高校3年生だ。」
「18...か。俺も確か18才だったような。」
「自分の年齢もわからんのか。」
「俺、生まれたときから学校とかいったことないからな。ずっと立派な殺し屋になるために訓練を受けてきた。」
「それは、ほんとうか。」
辰郎は驚きを隠せないようだ。
「うん。物心ついたときにはもうすでに人を殺してた。俺はただ、人を殺すためにうまれてきたんだ。」
辰郎はハヤテの顔を見つめ黙りこくる。
「でも俺はもう人を殺したくない。人を傷付けたくないんだ。」
辰郎はハヤテの言葉に言葉を失っていた。
少しの沈黙のあと辰郎がゆっくり口を開いた。
「それで、これからどうするんだ?」
「これから?」
ハヤテは首をかしげる。
「そうだ。また餓死するまで逃げ回るのか?」
「あー。そうだな。あの時は本当に死んだと思ったよ。それで詩音の歌声が天使の囁きに聞こえた。殺し屋が天使とか言ったらおかしいか。」
ハヤテは笑い出す。
「でも、こんな俺でも死ぬのは怖いかな。」
ハヤテは真剣な顔で正面を見つめる。
「お前でもか。」
「うん。何人もの死を見てきたけど自分が死ぬのは考えられない。自分勝手かな。」
「納得したよ。」
「え?」
「疾風の雷撃の殺し方は一撃。それは死ぬ人が一瞬たりとも死への恐怖を感じなくて済む殺し方だ。暗殺四天王の中では一番、人らしいということか。」
辰郎の言葉にハヤテは笑い出す。
「何かおかしいか。」
「いや。だって俺は人殺しだよ。そんなやつの何処が人らしいんだよ。」
「それもそうか…」
「そうだよ。俺は普通じゃない。アンダーで生まれ育ってしまったから。」
「さっきも言っていたがアンダーってなんなんだ?」
「あぁ。アンダーってのは俺たちの世界のこと。地下に本部があるからアンダー。暗殺四天王とか、その他の殺し屋のほとんどかアンダーの人間だよ。」
「どうしてお前たちアンダーの人間は人殺しをするんだ?」
辰郎の核をついた質問。
その質問にハヤテは笑顔で答える。
「わかんない。」
「わからない?お前は理由もなく人を殺してきたのか?」
辰郎が驚きをそのまま口にする。
「そういうことになっちゃうね。」
ハヤテは相変わらず満面の笑みで答えている。
「だって俺は生まれた時から人を殺すように教えられてきたからな。俺が人を殺すことはおじさん達がご飯を食べることと同じくらい俺にとっては当たり前だったんだよ。ほかのやつは知らないけどね。」
「そうか…。」
「でも、これが間違ってるって気付いた。気付いてからも何人も殺してしまったけど。それでもやっぱりやめなければならないと思ったんだ。」
ハヤテと辰郎は目を合わす。これまでハヤテの目から一体どれだけの人の命が消えていったのだろう。恐らく想像もできないくらい多くの命を奪ってきたのだろう。しかし、今のハヤテの目は人殺しの目ではなかった。
「ねえ、おじさん。」
不意にハヤテは辰郎を呼ぶ。
「なんだ?」
「俺に普通の生活をさせてよ。」
ハヤテの表情は真剣だった。
「どういう意味だ?」
「つまり、俺をおじさんの家で生活させてってこと。」
辰郎は口をあけて呆然とした。
「ねえ、聞いてる?」
ハヤテの声に我に帰った。
「悪いけど、殺し屋と生活をする事は出来ない。」
「やっぱりそうだよね。」
ハヤテは笑顔で答える。
「だが、殺し屋じゃないハヤテとしてなら一緒に生活しても構わん。」
ハヤテは戸惑う。
「どういう意味?」
「君が殺し屋と言う事を何があってもほかの誰にも言わないと約束するなら、ここで普通の生活をしてもいいということだ。」
「え?いいの!?ありがと、おじさん!」
ハヤテは嬉しそうに声をあげて喜ぶ。
「その代わり、手伝えることは手伝えよ。タダで飯は食わさないからな。」
「うん。何でもやるよ。」