003
「ルンルン、ルーンルン、ルンルンッルン」
軽快な鼻歌と共にティアラは元気よく進む。それを斜め後ろで見つめながらキースもついていく。
「お前、疲れないのか……?」
かれこれ歩き続けて4時間は経つ。森に入ってから一度も足を止めていないのにティアラの体力の消費が見えず、キースは内心驚きつつあった。
「ぜんっぜん! わたし昔は結構おてんばやってたから体力には自信があるの」
山の登り道にさしかかったところでスキップまで始めたティアラにキースは大きくため息をついた。
(もっと早くにくたばると思ってた俺が馬鹿だったか……)
連れて行ってもどうせ途中で疲れたなどと戯言を抜かして、あきらめるかと思っていたが、目の前にいるのは突進することしか知らない阿呆鳥よろしくの少女だ。ティアラは疲れるどころかどんどん元気になっていくような気さえした。
「森はやっぱり好きだな。空気は新鮮でおいしいし、花は綺麗だし、鳥もいっぱい飛んでる」
何がそんなにティアラのテンションを上げさせるのかキースにはさっぱり分からなかった。どうでもよさそうにキースは言葉を返す。
「それはよかったな」
「それに木の実だって取り放題だもの! ここにいたらすぐ太っちゃいそう」
「そうだな。太れ太れ」
てきとうにあしらうが、彼女は気にせずしゃべり続ける。逆にこちらが疲れ始め、キースはいったん足を止めた。
「……ちょっと休むぞ」
ティアラがすぐ「疲れた」と言い出すに違いないと予測していたので、まさか自分から休憩を申し出るとは思わず、なんだか不服だった。だがティアラのハイテンションに付き合うのも限界だ。
自分のリズムを崩されたせいもあって、普段以上に疲労がたまっている。
そのまま道をはずれて草木の中へ突っ込んでいく。草木が開いた先には大きな湖がぽっかりと存在していた
「――わあっ!」
感嘆の声をあげるティアラを無視するようにキースは水を汲む。チェコータ山脈の地形は頭に入っているので給水エリアは事前からチェックしてある。
ついでに前髪をかきあげ、顔に新鮮な水をあてた。ひんやりとした感触が少しだけ疲れを癒していく。
しかし隣で手を湖につけて騒ぐティアラに、疲れを再び覚えた。
その日の夜は森を抜けた集落にある宿に泊まることにした。
食事は簡単な野菜スープとパン、体を温めるホットワインを腹に入れ、そうそう食事を切り上げた。宿についていた食事場だったのでそのまま上の階の泊まる部屋へ向かく。もちろん二人の部屋は別々に取ってある。
「早く寝ろよ。休息をどの位とるかによって、明日の疲労の量がかなり違うから」
素っ気ない声でキースはティアラへ言うと、自室へ入って行った。
「あっ、うん」
閉まっていく扉へ返事をするが、届いているのかは不明だ。
これでもキースなりの気遣いなのだろうと思い直しティアラも自室へ入る。宿代のわりには暖炉やソファも置かれている部屋だ。
「うーん、今日は久しぶりによく歩いたー」
伸びをしながらキースに言われた通り即座にベットへともぐりこむ。
ふかふかの毛布が体を包み込み、程よい温かさが訪れる。今日一日、楽しさもあったが、やはり疲れもたまっていたのでベットは至極の一品と思えた。
「明日も頑張るぞー!」
自分に喝を入れると、十秒足らずでティアラは夢の中へと誘われていった。
今日も同じく森の中をひたすら進む。しかし昨日とは標高が違う分、空気が薄くなり呼吸するのも少しだけ苦しかった。
登山慣れしているキースに忠告された通り、なるべく呼吸を整えて歩く。
「そろそろ森を抜けて岩場に出るぞ。岩場は落下する恐れがあるから気を引き締めろ」
キースの言葉に前を見据える。そこには大きな岩がならび、道をふさぐように積み重なっていた。
「怖いか?」
岩場を前にして言葉をなくしているティアラをキースはニヤッと笑って見つめた。
「怖いなら別にここで帰ってもいいんだぞ」
すかさずティアラを追い返そうとする。
「別にお前がいなくたって俺は……」
「行くわ」
息を飲み込み、決意を宿した目でティアラは岩場を睨みつけた。その眼差しにキースはこれ以上言えなくなって口を閉ざす。
ティアラは自分に言い聞かせるようにもう一度「行く」と宣言すると大きな岩に手をかける。よいしょっというかけ声と共に腰を浮かせて岩を一つ登った。そのまま次の岩に手をかける。
「肝が据わってるな、あいつ。……なんか、違う」
今まで出会ってきた女とは何かが違った。そもそも岩登りをする時点で、ティアラが女という分類に入るかも危うい。
頭上ではティアラがコツをつかみ始めたのか、登るペースが速くなっていた。ティアラを追うようにキースも岩に手をかけた。
「お前って殺しても死ななそうだな。崖とかに落としても這い上がってきそう」
さすがに息が上がりつつあるが、岩場を登り切ってしまうティアラに、キースは言った。
「失礼ね、そんな妖怪じみてないわよ」
岩場の最終ゴールへ身を上げて登り、手をつきながら息を整える。まだ足場が少し不安だが、このまま真っ直ぐ行けば、山道へと続いていくだろう。
「それを言うなら、キースは全然疲れてないじゃない。それに登るのもすごく早かったわ」
少しだけふてくされたような顔で立ち上がった。
「当たり前だ。これが俺の専門業なんだからな。そこら辺の素人と一緒にしてもらっちゃ困る」
近くにあった石の上にどすっと腰を下ろしながらキースはそっぽを向いたまま話す。
出発点の森を見るともうかなり小さく見え、崖のような場所を登ってきたのだと改めて思知らされた。登るのに夢中で気づかなかったのが幸いだ。
崖下をじっと見るティアラを、キースは今更不安がっていると思ったのか、ちらりとティアラの方へ向き直った。
「……だが、まあお前はそこらの奴よりは根性があることだけは、認めてやるよ」
最後の方の言葉は聞こえないくらいの声で呟くと鞄から丸い物をティアラに投げる。赤く熟した、濃厚なりんごだ。ティアラが目を丸くして受け取るとキースは早口でまくしたてた。
「別に二つあって、余計な荷物だから処分してほしくて渡しただけだ。勘違いすんな」
またそっぽを向くキースにティアラはつい笑ってしまった。あまりに美味しそうなりんごは決して「余計な荷物」などではないだろう。
キースと少しずつ距離が縮まっていくようで嬉しい。
「ありがとう、キース。優しいんだね」
盗賊から鞄を取り戻してくれた事を思い出す。他人であるティアラが襲われていたとき、無視することだってできたのに、彼は迷いもなく助けてくれた。
それに今までの旅路で本当にティアラが疲れ始めたときは立ち止まって「昼寝する」といいながら休ませてくれた。ネアの言った通り根はいい人なのだ。
ただ、ちょっと、いやかなり、口が悪いだけで……。
「――ありがとう」
心の底から囁くように小さく礼をもう一度言う。キースに伝えたえるつもりはなかったのだが聞こえたようで、ちょっと怒ったように抗議してきた。
「別に礼はいらない。それに俺は優しくなんてないからな。自己解釈は勝手だが理想を押し付けるな」
冷めたきつい口調だが、掌にあるりんごがキースの人柄を現している。
「天の邪鬼なのね」
自分の中で答えを出してりんごをいただくことにした。キースはティアラの言葉にまだ何か言いたそうにしているが、構わずりんごを口に運ぶ。
その時、足元で石が微かに転がる音が響いた。それが合図のように崖の岩場に亀裂が入る。
「え」
感がる間もなく本能が危険だと知らせた。体の中でサイレンがけたたましく鳴っているが、その場から動く前に足元が崩れて、ティアラは空中に放り出された。
「っ――きゃああああっ!」
体が抵抗できない重力によって後ろへと倒されていく。どうすることもできずにただ手を前に向かって伸ばす。走馬灯のように記憶が頭の中を駆けた。
だが、がしっとその手をつかむ者がいた。強い力で引き戻される。気づいた時にはキースの胸元が目の前にあった。
「キ、ース……?」
かすれて音にならず、空気だけが口から漏れる。痛いほど腕を握りしめられた。
「――この馬鹿っ! あれほど気を引き締めろって言ったのに落下しそうになりやがって!」
耳元で怒鳴りつけられて耳が痛い。遅れてくる恐怖に涙が薄く浮かんできた。
「……大丈夫か……?」
涙目のティアラを見てキースも怒るのを止める。安全な場所まで非難すると、そっと掴んでいた腕を離した。
今度は助かったという安心感によって自然に涙が零れ落ちる。
「やっぱり…………キースは優しいよ」
涙目ながら、ティアラはへへっと笑った。
「だって最初に、わたしががどんな危険な目にあっても助けないって言ってたのに、助けてくれた。キースは優しいんだよ」
言葉を曲げずに、ストレートに伝える。それに少し呆れながらも
「言ってろ、能天気」
と、優しげな瞳をしながらキースは言った。
「もう少しだ」
そんな声が前方から聞こえる。
始めは自分が先頭に乗り出して歩いていたが、いつの間にか標高が上がるにつれてキースが道しるべを作るように前を歩いていくようになった。
そしてティアラが危険な目にあっても、すぐ助けられるように警戒心を緩む間もなく張り続けているのを感じる。
(やっぱり、わたしってお荷物なのかな……)
「自分で何とかする」と言っておきながらも迷惑をかけ、守られている現状に気づく。
ティアラはキースの声を聴きながらもうつむき気味に頂上へのラストスパートを登る。
そのとき不意に耳が引っ張られた。
「もう少しだって言ってんだから、少しははしゃげ鳥頭」
単純だとでも言いたいのだろうか。
しかし本当に単純なティアラはその言葉に自信を取り戻し、顔を上げた。
(過去の事を後悔するんじゃなくて、これから気をつければいんだ! もう、お荷物になんてならないわっ!)
元気になってペースを上げていくと、遠くでなにか光るものを見つけた。まばゆくてつい、目を細めてしまうような光の強さだ。
それは近づくにつれて強くなり、同時になぜか心が強く引き付けられる。
「あれが『星硝子の木』だ」
数十本とならぶ背の高い木には光を反射するような実がついていて、鈴が鳴るように揺れては音が響きあっている。
まるでクリスマスツリーのイルミネーションみたいで、言葉を失うような絶景だ。
行くのに困難とされる星硝子の木へたどり着けた嬉しさに動かされて反射的に星硝子の木へ走る。
不思議と星硝子の木の周りだけに生えている芝生を踏みしめたとき、懐かしい母の声が耳の奥で響いた。
「ティアラ、星硝子はね、人々が笑顔をこぼすたびに生まれるの。それってなんだか素敵じゃない?」
まだ幼い時に聞いたことだったので、意味はなんとなくしか分からなかった。
しかし今なら母の気持ちがよくわかる。
「うん、すっごく素敵だと思う」
溢れんばかりの想いを抱えて、目の前に広がる星硝子の木の大群へ近づいて行った。