*優しい手*
「あとでお茶持ってくるわね」
「すみません、気になさらないでください。すぐ帰りますから」
どうして?
なんで?
なんでいるの?
入ってきたその人を目に入れれば息を飲んでしまう。だって……だって、そこには……。
「さっき、来てくれただろう?」
そう言って、普段鋭い射抜くような目がスッと細められて優しく笑う。
そう言って、目を瞬いているオレの頭を優しく撫でてくれる雅さん。
……そっか、インターホンにオレの姿が映ってたのを見たんだ……。
今更気がつく大失態に、また情けなくなる。
「どうして……」
ぽつりと独り言のように尋ねると、「うん?」と小首をかしげて訊いてくる。
「彼女さん……は?」
尋ねるオレは、彼女さんよりもオレの方を気にしてくれたと、淡い期待を持ってしまう。
雅さんにとって、オレは彼女さんよりも価値あるものだと勘違いしてしまいそうになる。
だけどそれとは反対に、彼女さん雅さんとが互いに信頼し合っているんだと思えば、胸が痛くて仕方ない。
また……目から我慢していた涙がこぼれ落ちてしまう。
そんなオレを引き寄せて頭を撫でてくれる雅さんの手を感じながら、そっと目を閉じた。
「杏子のことかな? 彼女なら大丈夫、少し出ると言って来たからね。だけどサクラくんの泣き虫さんは昔から変わらないな」
頭上でクスリと笑う息が、頭のてっぺんにある固くてカールされている髪に当たる。それがこそばゆくて、心地いい。
オレはもう、昔と違って泣き虫じゃない。でも、雅さんのことだと泣いてしまうんだ。
それだけ、あなたのことが好きなんだよ?
「シチューを持って来てくれたんだって?」
「……はい」
グスリと鼻を鳴らして返事をしたら、「もらっていくね」とお礼を言ってくれる。
たったそれだけのこと、だけど、それがとても嬉しい。
そう思うオレはとても単純なんだ。
「さて、サクラくんはどうして泣いていたのかな?」
ようやく泣き止み、笑みを漏らすオレに雅さんは思い浮かんだ疑問を尋ねてくる。
うっ……と言葉に詰まってしまうオレに、「うん?」と言葉を返す雅さん。
だけどこれは言えない。言っちゃいけない。言ったら最後、雅さんに気持ち悪がられて、それでさよならされる。
「ずっと好きな人がいて……その人はオレじゃない人と笑い合ってたから……」
言葉を濁して理由を話した。
そう言ったのは、ちょっとした謎かけをしたかったのと、当てつけて反応を見たかったから。
「そっか……」
だけど、当然雅さんはまさか自分のことだと思わないだろう。
それもそうだ。恋愛は男女間でするものだ。けっして、同性では有り得ない。
雅さんの態度を少し期待してしまった自分が情けない。返事が淡白なのは当たり前。
それに、オレは雅さんにとって悪ければ近所に住むガキ。よくいって弟みたいな存在。たったそれだけなんだから……。
ギュッと苦しくなる胸を落ち着かせようと呼吸を繰り返せば浅いものになってしまう。
「サクラくんを見ないなんて、その人は見る目がないね」
自分のことだと思わない雅さんは、そう言ってオレの背中を撫でてくれる。
ねぇ、雅さん。オレはあなたが好きなんです。
撫でられる感触にそっと目を閉じて、この気持ちがどうか届いてくれますように。届かないでくれますようにと複雑な気持ちを抱いた。