わかれみち
家庭科室の扉をノックするが、何一つ反応はない。
あれ以来、私は連日裏側の家庭科室を訪ねている。しかし、扉はいつも固く閉ざされていて、中に入ることはできなかった。
そうしている間に月が変わり、今は2月。こちら側に来て曖昧になった感覚も、なんとなくだがまだ肌寒さを伝えている。
刻々と消えていく猶予に、私は焦っていた。
8月までに、鶫君のことに決着をつけるだけでなく稔も探さないといけない。
────稔を、裏切るわけにはいけないのだから。
それなのに、進捗はないまま時間だけが祭りに向かって進んでいく。
締め切られた扉の前で今日も私はため息をつき、元来た薄暗い道を戻る。
保健室へ向かっていると、エントランスで見覚えのある生徒を見かけた。豪奢な金髪の、得体の知れない威厳を醸し出す女生徒。Mさんが、エントランスの壁に背を預けて立っていた。
私に気付いたのか、彼女は背を壁から離すと優雅に挨拶をした。
「ごきげんよう」
「ご、ごきげんよう?」
Mさんの雰囲気に呑まれ、つられて妙な挨拶を返したところで私は我に返った。
「Mさん、どうしてこんなところにいるの? ここ、階段じゃないよ」
階段以外の場所で彼女に遭遇するのはこれが初めてだ。それによくよく考えると、開口一番に『踏め』だとか『蹴れ』だとか言わずに挨拶をしてくるのもおかしい。
しかし彼女は、私の戸惑いをバッサリと切り捨てた。
「……そんな瑣末なこと、どうでもよくってよ。それよりも、貴女こそ何用でしたの? もしかして、家庭科室に?」
「そうだけど……」
それ以上続けることはできなかった。
私はまだ鶫君に会うことすらできないのだ。私が彼を傷つけたのさから仕方ないのかもしれないけれど。
Mさんは腕を組んで、傲然と目をすがめた。
「懲りませんわね。貴女はそもそもあそこを訪ねて何をしたいんですの? むざむざとお菓子にされに行くとでも仰って?」
「そうじゃないけど……。私は、鶫君を独りにしないであげたいんだ。あんなのは悲しすぎるから」
私が答えると、Mさんは呆れたように鼻をならした。
「お人好しすぎますわよ。なぜそうまで……」
理由は私の中でとっくに出ている。
私は躊躇うことなく答えた。
「鶫君のことが好きだからだよ」
Mさんの碧眼が僅かに瞠られ、探るような色を帯びた。彼女は私の顔を数秒だけ注視してから廊下に目を逸らし、小さく呟く。
「……貴女はどこまで考えているのでしょう」
視線が戻され、彼女の青い瞳が私を静かに見据えた。
「彼が好きと言いましたわね。けれど、彼は七不思議。人外のモノですわ。きちんと理解していて?」
「それはわかってるよ」
だから、私はこの想いが成就するなんて希望は持っていない。
それでも鶫君が、誰かと幸せになれれば良いと思う。もしそれが私なら、どんなに嬉しいだろう。
けれど、私は彼を傷つけた。きっと……彼が私を選ぶことは、ない。
「それに、貴女は探しもののためにここに来たんですわよね。見つかってしまった後はどうするつもりですの」
「…………」
結局のところ解決していない問題を、Mさんは触れないままにはしてくれなかった。
彼女は重ねて問う。
ぼんやりとした電灯が日の落ちた薄暗がりを照らす中、その声は冷徹に響いた。
「貴女に、全てを捨てる覚悟はありまして?」
鶫君を選ぶということは、彼とずっとここに残るこいうことだ。
私が残してきた全てと、弟を捨てて。
「それは……だって私、稔を探さないと」
「……何故?」
「…………え?」
私は稔を探すためにここに来たし、今までもそうしてきた。
でも、どうして? どうして探さないといけないんだっけ。
そう、稔がいなくなったのは私のせいで、全部私が悪くて……だけど、それはなぜ? 私が悪いのは、なぜ?
頭がぜきずきと痛む。
まるで、思い出すことを拒絶しているみたいに。
──あの夏の祭の日に、何があったの?
視界が歪み、正しい像を結べなくなっていく。激しい動悸がして、吐き気まで込み上げてきた。
耐えるために握った掌が、二月だというのに汗でべたつく。
「貴女、本当に────探し物のことが、大切でしたの?」
Mさんの言葉が、毒のように滴った。
耳鳴りが始まり、甲高い音に世界が侵食される。彼女の口が、私でも形を読み取れるくらいはっきりと動いた。
──仁科 鶫よりも?、と。
頭痛がひどい。何も考えられない。
けれど、私は遠のいていく感覚の中、確かに選択をした。口が動き、小さくとも言葉を紡ぐ。
自分の声すらも聞こえないのに、何と答えたかはよく知っている。
クリスマスの後に見た夢。あの中で、私は稔の反応を至極冷徹に観察していた。感情をぶらすことなど、なく。
私にとって、弟はその程度の存在だったのだ。
探しものなんて、どうでも良い。
本当は、大切なんかじゃなかった。
それよりも。
「……鶫君。一緒に、いたいよ」
君に選ばれなかったとしても。
やっぱり私、君を独りにしたくないよ。
決断を下した途端、頭痛は嘘のように引いていく。不調もすべて治まり、私は息を荒げて壁に手をついた。
Mさんは満足げな微笑で近付くと身をかがめ、私に耳打ちする。
「貴女に覚悟があるのでしたら、教えて差し上げてよ? ……七不思議に成る、方法を」
「……七不思議に?」
「そうですわ。この学校の七不思議は固定されておらず、流動的なもの。しかるべき手順に従えば、成ることができましてよ」
七不思議に、なる。
全てを捨てて────。
「そうすれば私は鶫君と同じ存在になって、彼を独りにしないであげられるの?」
ゆっくりと、私の口が動いた。
Mさんは頷いた。まるで獲物を捕らえた猫のように、満足げに笑って。
「覚悟はできましたのね?」
「……うん」
私は鶫君を独りにしない。……ううん、こんな言い方じゃ正しくないね。
私は鶫君と、ずっと一緒にいてあげたい。お菓子がなくても、拘束されていなくても、そばにいてあげたいと思えるから。
私はすでに、縛られている。がんじがらめに囚われてしまった。
私のこの、想いで。




