身代わり
短めです。
年初めのある日。
開いた扉の向こう側、家庭科室は、地獄のような様相を呈していた。
並ぶ作業用の机には、鎖や手錠で縛り付けられた人々。性別も容姿も様々の彼らだが、一様に同じ年頃で、同じ制服を身につけている。
泣いているもの、罵声を垂れ流すもの、怒鳴るもの。中には虚ろな目をして何も語らないものも。
騒音に晒されて、一番奥、本来なら教師がつくはずの机に腰掛ける人影があった。
エプロン姿の少年が一人、穏やかに微笑んでいる。視線の先にあるのは、彼自らが束縛したであろう人々。
笹野 美紗は、そんな混沌の中へと、一歩足を踏み入れた。
少年は不思議そうに首を傾げ、美紗を見る。
美紗は扉を丁寧に閉め、部屋の主と向き合った。
そして、平坦な声で一言告げる。
「……やめて」
「何を?」
「この人たち、解放、要求」
美紗は、無表情ながら緊張していた。彼女の役目からすると、彼のしていることは明らかな処罰対象。今すぐにでも消すことが推奨される。
唐突な要求に、少年は困ったように頬を掻いた。
「……ダメだよ。材料が足りなくなっちゃう」
「……材料?」
少年は明るく、邪気の欠片もない楽しげな口調で、美紗の問いを肯定する。
「うん。秊ちゃんはきっと、ボクの揃えたクリスマス用のお菓子が気に入らなかったんだよ。だから作り直そうと思って、材料を集めて来たんだ」
少年は腰を浮かせた。机の一つに近付き、鎖に触れる。じゃらり、と。金属の連なりが擦れる音がした。
「ちゃんと秊ちゃんの好きなお菓子を用意すれば、きっとまた来てくれるよね」
少年の目は、どこか虚ろだった。
七不思議ともなれば、どこかしらおかしいニンゲンばかりだ。
だが、彼は──圧倒的に、狂っている。
美紗は背中の竹刀を抜こうと手を動かしかけたが、それでも説得を試みる。……先ほど名前の出た、彼女の先輩のために。
それに、何があったかは知らないが、彼女の知っている先輩は、決して人で作ったお菓子を喜ぶような人間ではない。
「……理由、違う。九重先輩、お菓子、喜ばない」
「九重先輩……もしかして、秊ちゃんのこと?」
こくり、と美紗は頷いた。
笑顔のままに、少年は問う。
「どうしてキミなんかにわかるの?」
「先輩、友だち」
「…………」
無言になった少年を、美紗はじっと見つめる。
「私、身代わり、なる。先輩、きっと、来る。みんな、解放」
できれば彼を消したくないというのが、美紗の本音だった。秊が彼のところに通っていたことを知っていたからだ。彼がどんなに狂っていようと、いなくなれば彼女は悲しむだろう。
彼女はある意味、自分たちの被害者なのだから。……できれば、幸せになってほしいのだ。虫のいい願いだとはわかっていても。
一度に10人の生徒を失踪させたとなれば見逃すのは難しいが、自分一人ならさほど問題ではない。何かあっても、自力で対処できる。
美紗は、祈るように返答を待つ。
少年は、焦れるくらいゆっくりと口を開いた。
「……いいよ。でもね」
天使のように無垢。
そんな形容詞しか出てこないような綺麗な笑みが、少年の穏やかで彫りが深い顔を彩る。
対して、続く彼の言葉はひどく陰惨だ。
「もし秊ちゃんが来なかったら、キミがお菓子になる前に、キミをぐちゃぐちゃにしちゃうから」
「なぜ?」
少年から流れる、煮詰めた砂糖のように粘つく悪意と圧力。美紗は胃の底を素手で撫で回されるような不快感を抑え、端的に訊いた。
少年の答えは、いたってシンプルだった。
「そうすれば、秊ちゃんはキミを選ばないでしょ?」
──そして、何より狂っていた。
◆◇◆◇◆
二週間ほどが経った頃。唐突に裏側の家庭科室の扉が、壊れそうなまでの勢いで開かれた。刺々しい音に、美紗は椅子に座ったまま振り向く。
この扉は、主である少年の他には限られたニンゲンにしか開けられない。そう、少年が認めなければ……。
飛び込んで来たのは、栗色の髪を乱した少女──彼女の先輩である、九重 秊だった。
彼女は荒い息を吐く合間に声を上げる。
「……み、さ……ちゃん……!」
『先輩』
美紗はそう言おうとした。けれど、それより早く視界がぐにゃりと蕩けて、まるで飴細工のように歪む。
美紗は、思わず目を閉じた。
次に美紗の目が映したのは、、窓から差し込む薄い光。
小さく、ちらほらと登校を始めた生徒たちの話し声が聞こえる。さっきまでは無音だったはずなのに。
はっきりと見えるようになった視界が映すのは、家庭科室だった。
同じ黒板。
同じ机。
同じ椅子。
けれど、ここは違う。
美紗は、自分が裏側から弾き出されたのだと気付いた。部屋の主である少年に、拒絶されたのだと。
まず始めに考えたのは、秊のことだった。先輩はどうなるのだろうか。狂った七不思議にどうにかされないといいのだが。
心配しながらも美紗は立ち上がり、出口へと足を進める。表側の校舎へと。
今から裏側に戻っても、自分にできることはないだろう。
彼女なら、きっとうまくやれるはず。不思議と美紗にはそう思えた。
ただ、家庭科室の扉に手をかけたところで、彼女は僅かに動きを止める。そして、ぼそりと呟いた。
「先輩、死ぬ。……あいつ、消す」
無感情な声だったが、もしその呟きを聞く者がいたら、彼女がそれを間違いなく実行するだろうことに疑いは持たないだろう。
展開が言葉足らずだったので、多少文章を増やしました。




