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朽名奇譚  作者: いちい
#4 黄泉の家庭科室
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心の行方

 



 とにかくどこかに逃げようと、廊下を走る。周囲に人の姿はない。まだ早朝だからだろう。

 ふと曲がり角の向こうから嫌な気配を感じ、私は足を止めた。


 最初に、床を掴む奇妙に白い手が見えた。そして、ざんばらの黒髪を引きずった頭部が現れ、血で汚れた制服に身を包んだ胴体が続く。

 胸のあたりで体は途切れ、それより下は存在しない。


 断面から血を流し這いずりながら、てけてけはこちらを見上げて嗤った。そして素早く跳躍すると、鋭い爪を振り上げる。

 私は弾かれたように後ずさった。爪が空振り、廊下に5本の筋を刻む。


 着地したてけてけの体からは絶え間無く赤い血が流れ、廊下を染めている。明らかに生きていられる量の出血ではないのに、痛みを感じるそぶりは皆無だった。


 ざんばら髪の隙間から、赤く充血した目が合うや否や、私はてけてけに背を向けて駆ける。


 まだ朝なのに、どうしてこんなところを怪異がうろついてるの!?


 裏側に迷い込んだ日に、てけてけに追われた記憶は強烈だった。

 私は逃げ場所を考えながら、足を高速で動かす。一階の保健室に逃げるのが一番だろうと思い、階段に向かう。

 一段とばしに段を駆け下りながら背後を見ると、そこにはまだてけてけの影はない。

 それでも安心はできない。


 速度を緩めず駆け下りていると、最後の段でぐにゃりと妙な感触がして、私は足を踏み外した。


「うわっ」


 そのまま前のめりになって、両膝と手を廊下について転んでしまう。勢い余ったのか、特に膝が痛い。

 いったい何を踏んだのかと首を回すと、階段の下に、『私は最後の段ですが何か?』と言わんばかりの表情で、Mさんが寝転んでいた。


 見なかったことにして逃走を続けたい。まだ完全に撒けたとも限らないのだから。

 だが、私の巻き添えにならないように、忠告くらいはしておくべきだろう。いくらMさんでも、てけてけに踏まれて喜びはしないと思う。……いや、思いたい。


「Mさん、逃げて。今私、てけてけに追われてて」


 そう言って立ち上がる間に、肌が粟立つような気配を感じた。気配の出処──階段の上を見ると、もうそこには……。


「てけてけ……」


 Mさんがぼんやりと呟いた。


 まずい。

 私はあんなのに立ち向かえないし、それはMさんも同様のはずだ。見た目からして彼女は、ウェルダンでもなければ首もしっかりついている。怪しげな格好をしているわけでもない。若干ゴージャスなだけの、一般生徒に見える。


 私のせいで巻き添えを食わせてしまったのだ。

 私はMさんの腕を掴み、声を上げる。


「早く逃げないと!」


 だが、Mさんは動いてくれない。ただ階段の上にいるてけてけを、無表情に見るだけだ。


 どうしよう、どうすれば……!


 焦る私とは対照的に、Mさんは眉一つ動かさない。

 張り詰めた空気。朝にもかかわらず、まるで夜のような、赤い月の下にいるかのような。──不気味で、感情を掻き乱される。


 それを割ったのは、異音だ。

 てけてけが、軋むような声をあげていた。笑い声かと思ったが、そうではない。

 悲しげで、どちらかといえばむしろ悲鳴に近かった。


 てけてけが、動く。

 床を手で這い私たちに素早く背を向けると、暗がりに溶けるように消えていった。


「……え?」

「逃げてくれましたわね」


 Mさんは、いつものように傲慢に微笑んだ。


「あの子はわたくしが苦手ですの」


 だが、その微笑は普段の輝かしいものではなく、陰っていた。わずかな変化だから、普通は気付けないだろう。

 それでも私が察せたのは、そこに私と近しい想いを見咎めたからだった。

 私が稔のことを思い出してから、ずっと(くすぶ)っている──後悔と、罪悪感。

 彼女は惨めな感情を、微笑で覆っていた。


「……そう」


 私は気付かないふりをして、曖昧に笑った。

 てけてけと彼女に何があるのか知らないし、訊かない。彼女も話したくはないだろう。

 それでも、時間があるなら世間話くらいはしていってもいいかもしれない。

 ……颯太とあんなことになってしまって情報が得られなかったから、その埋め合わせに。


 先に口を開いたのは、Mさんだった。


「日誌は役に立ちまして?」

「うん、まあ。でも、肝心なところが血みどろになってて読めなかったんだ」

「……え?」


 Mさんは驚いたように目を瞠り、掠れた声を漏らした。


「どうかしたの?」

「いえ、なんでもなくってよ」


 Mさんは一瞬でいつもの表情に戻った。そして、どこか取り繕うように、私に提案してくる。


「せっかく会えたのですもの。何かほしい情報はありまして? 日記が役に立たなかった代わりといってはなんですけれど、無償奉仕いたしますわ」

「え、いいの?」


 日記も読めない。颯太にも訊けない。

 そんな手詰まりの現状を打開できるかもしれない、貴重な機会だ。

 一応、確認だけしておく。


「本当にいいの?」

「ええ。わたくしの知ることなら何でもよくってよ」

「じゃあ……渕沢 幸緒って知ってる?」


 無意識に口をついたのは、さっき見たばかりの名前だった。

 言ってから、自分でも不思議に思う。

 私は稔を見つけてあげないといけないのに、どうしてあの写真の人物の名前を口に出してしまったのだろう。どう考えても、優先するべきなのは稔の方なのに。


 撤回しようと開いた口は、すぐに閉じることとなった。


 渕沢という生徒が鶫君と同じ顔だというのは、偶然とは思えない。写真と実物だから、当然ながら多少の差異はある。けれど、あの印象的な微笑みは、そういうものを飛び越えて同じだと感じられたのだ。


 鶫君は七不思議。私の目的は、稔を見つけること。そして、稔を見つけるには七不思議を調べろ、という皐月様の助言。

 ならば、私が鶫君と同じ顔の彼のことを調べるのは、七不思議を調べること、ひいては稔の発見につながるはず。


 ……これが言い訳だっていうことくらい、わかってる。本当は、稔に関わることを訊くべきだってことも。


 ──クリスマス。鶫君の狂気を、はっきりと見せつけられた。とても、恐ろしかった。

 同時に、悲しいとも思った。

 誰かに選ばれたいと、自分以外選べないようにして、たくさんの人を犠牲にして。それでも鶫君は満たされていない。

 そしてまた、誰かを犠牲に加える。


 ……鶫君を、そんな悲しいだけの連鎖から(すく)い出してあげたい。

 たとえいつか、彼が選び選ばれた人が、私でなくとも構わない。

 あの空虚で綺麗で、どうしようもなく純粋な微笑みを、満たしてあげられたらどんなに嬉しいだろう。


 私の鶫君への想いが、やっとはっきりした形を描いた。

 これは…………稔への、裏切り、なのかもしれない。

 私の想いも、やっていることも。


 私は身を()くような罪悪感を感じながら、それでも心の中で言い訳を繰り返す。何度でも、何度でも。


 記憶を探るように目を眇めていたMさんが、口を開いた。


「特定しかねますわね。何期生でして?」

「はっきりとは覚えてないけど、15年くらい前だったと思うよ」


 訂正せずに答えたところで、私の気持ちは固まった。


「他に特徴は?」


 重ねて問われ、思い返す。生徒名簿には載っているのに、卒業アルバムにはいない。つまり、在学はしていたが卒業していない。可能性は幾つか考えられるが、この学校においてはほぼ一つに絞られる。


「……失踪者、だと思う」

「約15年前の失踪者……男性ですの、女性ですの?」

「男性だよ」


 それを聞くと、彼女は自信たっぷりに頷いた。

 なぜか、口元に浮かぶ艶やかな笑みが、御伽噺の魔女みたいだと思った。

 良い魔女なのか、悪い魔女なのか。


 私にはまだ、わからない。





間に合ってよかった……。

二時間前までは今回はギャグ回だったはずなのですが、改稿中、急にみのりちゃんが独白を始めたので方向転換。

17時ぎりぎりの仕上がりでした。

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