不信
颯太と連絡がとれたのは、1月に入ってからのことだった。あれからすぐに冬休みに入ってしまい、ここまで時間がかかってしまったのだ。
颯太に指定された待ち合わせ場所は、生徒会室。一般生徒には開放されていないが、生徒会会計の颯太なら利用できる。野球部と生徒会のかけもちなんて、普通は忙しすぎてできない。それを両立させている颯太はすごいと、つくづく思う。
鍵はあらかじめ開けられていて、すんなりと扉は私を迎え入れた。
中には誰もいない。扉を閉めてしまえば、廊下からの音もほとんど遮られる。二人きりで話をするにはもってこいの場所だろう。
気持ちがはやり早く来すぎてしまったから、待ち合わせ時間にはまだだいぶある。私は部屋の中を見回した。
生徒会室には思ったより物が少なく、大きな会議用の机と椅子がいくつか、あとはホワイトボードくらいしか置かれていない。
想像していたように、机は書類の山、とかホワイトボードには議案がみっちり、なんていうことはないらしい。少し残念だ。
とりあえず椅子にでも座ろう。そう思ったところで、机の隅に何かの本が置きっ放しになっているのが気になって足を止めた。
近寄り手に取ってみると、それは古い卒業アルバムだった。一枚だけ付箋がついている。
背表紙にある分類表を見るに、図書室の資料のようだった。
──誰かの忘れ物かな?
何気無く、付箋のついたページを開く。
見開きで載っているのは、どこかのクラスの集合写真。印刷紙の上で、かつての生徒たちが色褪せた微笑みを浮かべている。
これのどこに付箋を貼る必要があるのだろう。
首を傾げつつ本を閉じ、今度は卒業アルバムで押さえるように置かれていた、一枚のプリントに手を伸ばす。だが、それを目に入れた瞬間、私の体は凍りついた。
「…………え?」
信じられない思いで、それを凝視する。
プリント左上に捺印してある印章は、生徒会のもの。そして、その隣には『生徒名簿』と書かれていた。いくつもの名前と、色褪せた顔写真が並んでいる。
視線を下げていき、ある欄に来たところで私の目は磔にされた。
見覚えのあるその写真に映っているのは、服装こそ学ランではあっても、まごうことなく。
鶫君の微笑だった。
しかし、鶫君の顔の下に記入された名前は。
「渕沢 幸緒って、誰なの……」
紙面の隅に何期生かが書いてあるのを見て、私は再び卒業アルバムを手に取った。確認すると、アルバムも同じ学年のものだ。
付箋のページからさらにアルバムをめくり、他のクラスの集合写真も確認する。一人一人、顔を指でなぞっていく。
だが、一クラス終わり、また一クラスが過ぎ。鶫君と同一の顔をした彼は、どこにも写っていない。
得体の知れない不気味さが、胸にわだかまる。背筋を何か良くないものが這い上がっているような、嫌な感覚。
その時だった。扉が開く音が聞こえ、私は慌ててアルバムを閉じ、プリントと机に戻す。振り向くと、颯太がこちらに爽やかな笑顔を見せていた。
「姉さん、いつもぎりぎりなのに、今日は早かったんだな」
颯太はこちらに歩いてきて、机の上の卒業アルバムとプリントを拾い上げた。
「それ、颯太が……?」
「ああ、ちょっとな。この時間なら俺しかここに来ないから油断して、置きっ放しにしちまった」
私が中を見たことは、どうやら気付かれなかったようだ。
颯太はアルバムとプリントを丁寧に鞄に仕舞い込んだ。そして、視線を私の首に巻かれた包帯に移す。
「その怪我、大丈夫か?」
「……うん」
「まだ包帯が取れないんだな。もう二週間経つのに」
……二週間経つ?
11月に調べ物を手伝ってもらって以来、昨日まで颯太とは会っていなかったはずだ。確かに怪我をしてから今日でちょうど14日目だが、どうして颯太は私が怪我した日を知っているのだろう。
颯太の表情を窺い見ると、いつもの爽やかな笑みのままだった。どこからどう見ても、完璧な好青年。内心は読めない。
意を決して、問う。
「私、颯太に怪我のこと話したっけ?」
颯太は間髪入れず、はっきりと答える。
「何言ってるんだよ姉さん。昨日会った時、話してくれたろ。クリスマスに、仁科 鶫だっけ? あいつにやられたって」
それは嘘だ。
そんな話、一言もしていない。私はただ、時間のある時に尋ねたいことがあると伝えただけ。
颯太は嘘をついている。
どうして、いや、どうやって颯太はこのことを。
それに、私の怪我は鶫君がやったのではない。あの時私は日記を、鶫君の目の前で開いたのだ。どう頑張っても、私の首を背後から絞めるのは不可能。
颯太の情報は、今までなら常に正確だった。たとえそれがどんな情報でも、必ず。初めての誤情報に、違和感を隠せない。
完璧だった颯太の、初めてのミス。
今になってようやく、一度の間違いもないということが、常に完璧であることの不自然さが際立った。
たった一度の不完全さが妙に現実味を帯びている。
颯太が怖い。よく知っているはずの私の幼馴染。大切な弟分。
そのはずなのに。
私は、慎重に言葉を選んだ。
「そうだったっけ。忘れてたよ」
「はは、姉さんらしいな」
その笑みさえ、偽りに思える。
颯太は完璧なタイミングで笑みを引っ込めると、真摯な表情になった。
「姉さん、正直な話、あいつと仲良くするのはよした方がいいんじゃないかと思う」
「どういうこと?」
「姉さんの首を絞めるようなやつ、存在する価値すらないからに決まってるだろ?」
颯太の目が、澱む。ここではないどこか。私ではない何かを見る。
私は気圧されながらも、颯太の誤解を訂正しようとする。
「違うよ、これは鶫君がやったんじゃないの」
「姉さん、あんなやつまで庇うなんて……優しすぎる。大丈夫、俺は全部知ってるんだ。あの日あの時間に家庭科室に、あいつが姉さんを無理矢理連れ込んだの」
「っ、どう、して」
颯太は私の疑問に、粘つくような媚笑で答えた。背筋が凍るような、そんな笑みで。
「俺は、姉さんのことは何でも知ってるんだ」
私は一歩後退る。
目の前にいるのは颯太なのに、まるで知らない人みたいに思える。
颯太に、私の空けた距離を詰められる。
怖い。
これは誰……?
いつも爽やかな颯太の笑みに、今は吐き気しか催すことができない。
均衡を破ったのは、第三者だった。
どこか見覚えのある一人の教師が、唐突に生徒会室の扉を開け放った。どこまでも面倒臭そうな声に、緊張した空気が崩される。
「……あ? お前ら何やってんだ? 生徒会室の私的な使用は禁止だぞ」
私は反転し、教師のわきををかいくぐって、部屋から走り出た。




