宴の残香
ちょっと時系列が前後してます。
夕暮れ時の赤光が差し込む家庭科室で、彼と彼女は対峙している。
彼女が出現すると同時に、おぞましいお菓子は白いどろどろした液体に変化していた。意識を失った秊は、弛緩した体を椅子に深く預けている。
彼──鶫は、色素の薄い瞳に疑問と敵意を浮かべ、秊の後ろに立つ彼女を睨んだ。椅子をがたりと揺らし、立ち上がる。
「秊ちゃんに何するの!?」
彼女は秊の首から手を離すと、唇に人を惹きつける、艶やかな笑みを形作った。
「貴方のしようとしたことに比べれば、可愛らしいことではなくって?」
傲然と彼女は言い放った。
「ボクは秊ちゃんにお菓子を食べてもらおうとしただけだ!」
「『お菓子を食べてもらおうとしただけ』?」
馬鹿にしたように、彼女は鶫の言葉を繰り返し、続ける。
「よくそんなことが言えますわね。──ああ、その意味も理解していないのでしたかしら」
彼女は憐れむように、どこか蔑むように、鶫の敵意を受け流す。不自然に赤い唇が、言葉を紡ぐ。
「貴方はいつまでたっても、わかろうとしない。ゆえに、己の求めるものを理解できない」
「……?」
鶫は彼女の意味深な言葉に困惑した。彼にはそれが理解できなかった。……いや。理解できなかったと、思い込んだのだ。
彼女は問いを重ねていく。
「貴方は何を求めているのでして?」
「ボクは……」
思い悩むように閉じられた瞳。
彼はしばらく口を閉ざすと、告げた。
「……わからない。もう、わからないんだよ」
返したのは、秊の問いへの答えと同じ言葉。だが、表情は真逆だった。
苦悩は徐々にほどけ、なぜか彼は、緩やかに微笑んでいた。
彼女の瞳は冷徹に、深淵を覗き込むかのように、鶫の目を射抜いた。
「本当に?」
「……え?」
更なる質問に呆けた鶫に、彼女は言い放つ。
「──大切なものを、見誤らないことでしてよ」
彼女は床に落ちた数枚の紙を拾い上げ、次いで優しい手つきで『49日目の日誌』を手に取った。意識のない秊を支えて立たせると、秊とともども、最初からそこに存在しなかったかのように、薄暗がりに融けて消える。
鶫は立ちつくしたまま、彼女──豪奢な金髪の女生徒の言葉、その意味を考えていた。
自分が欲しかったもの。選ばれたかったもの。……大切に、したかったのは?
「……ボクは……知ってる、の?」
苦しげな囁きとなって、言葉が唇を割った。
だけど。
思い出せないんだ。
空気を震わせることのなかった言葉は、しかし彼自身にだけは聞こえていた。
家庭科室には、汚らしい白い液体と、血のように赤い光だけが色を添えていた。
やがて鶫は掃除道具を持ってきて、汚れた裏の家庭科室の清掃を始める。逃避にも似た行動だったが、永年繰り返した動作を体がなぞる以上の意味は、そこにはなかった。
◆◇◆◇◆
保健室のベッドの上で膝を抱えて、私は思い出したことを整理する。
まず、私がここに来た理由。それは、私がなくしたものを探すため。
一年前の祭の日、私がなくしたその『なくしもの』が稔だったということは、間違いない。
だが、肝心の祭の日に何があったのかはさっぱり思い出せなかった。
「そうだ、さっきの夢」
私は、さっき私が見ていた夢を思い出した。
あれは朽名祭の数日前のことだったと思う。部屋で小説を読んでいたら、稔が私を祭に誘ったのだったと思う。
だが、どうにも釈然としない。もやもやとした感覚が、胸にわだかまっている。
稔は、そもそも私とお祭りに行くような性格だっただろうか。
むしろそういうのは嫌がるタイプだったような……。
「っ、!」
頭が割れそうに痛む。まだ全てを思い出せたわけではないらしい。
祭は確か……例年なら、颯太と行っていたと思う。稔とは違って、颯太はそういう催し事に私をよく誘ってきた。
……颯太なら、なにか知っているかもしれない。
身じろぎすると、ベッドの上でかさりと小さな音がした。数枚のコピー用紙と灰色をした厚紙の表紙の本が、シーツの上に几帳面に重ねられていた。
家庭科室に持って行ったはずの資料だ。
首の痣にそっと触れる。
なぜ私は保健室にいるのか。誰が私と日記をここまで運んだのか。
考えるとなんともいえない寒気がして、私は日記と文集のコピーを、ベッドの下に押し込んだ。
「……何、してるのよ?」
唐突に声が聞こえて振り向くと、アリスが机の上で目をこすっていた。表と裏の切り替わり時間が来て、目覚めたのだろう。
「おはよう、アリス」
「おはよう……」
アリスは私を視界に収めると、青い目をぎょっとしたように見開いた。続く大音量。
「なによそれ!?」
「え?」
「それよそれ、その首の痣!」
アリスは机から飛び降りて、引き出しから包帯を引っ張り出しながらこちらを見上げた。
「ぼさっとしてないで、来なさいよね。バカじゃないの?」
私はアリスの勢いに気圧されつつも立ち上がり、机についた。
アリスが包帯とハサミを持って戻って来たので、抱え上げて机に載せる。が、それはいらない配慮だったようだ。
アリスの体が私の首まで浮き上がり、包帯を巻き始めた。
ビスクドールの空中浮遊。
普通なら驚くところだ。だが完全に毒されつつある私は、映画とかで人形が浮くシーンって意外とあるよね、なんて思いながらぼんやりとアリスを見ていた。
そもそも痣くらいで包帯は、やりすぎのような気がして、そちらの方が気になった。
「ねえ、そこまでしなくても。ただの痣だし」
アリスはぎろりと私を見上げた。
「女の子がこんな痕を見せていいわけないわ」
「ほとんどの人は私が見えないし良いんじゃ……」
「…………」
アリスは黙々と包帯を巻き、最後にハサミで端を切って折り込んだ。
「……別に、あんたの心配なんてしてないんだから」
ぼそりと呟かれた言葉で、アリスが私の怪我を気にしていてくれたとわかった。
アリスはもう道具を片付にかかっていた。
「ありがとう」
アリスの小さい背中にそっとお礼を言うと、アリスの動作が一瞬だけ止まって、また動き始める。
若干ぎこちない動作で。
なんだか微笑ましくて私は笑いそうになったが、稔のことを思い出し、すぐに暗い気分に戻る。
灼けつくような焦燥が、頭の隅で燻っている。
「どうしたのよ、ひどい顔よ?」
アリスが机の上から、私の顔を心配そうに見上げていた。
「何でもないよ」
「……そう」
そっけなく答えたのは自分のくせに、悲しげなアリスの様子に自己嫌悪に陥る。だが、これは私の問題だ。アリスを巻き込みたくはなかった。
一刻も早く、私は稔を見つけないといけない。
記憶が断片的に眼下でちらついて、小さな真実の像を結んだ。自分でも無意識のうちに、思考が次の言葉を形作る。
──悪いのは全部、私だから。




