クリスマスパーティー〜ギフト〜
私は這い寄る冒涜的なお菓子へのせめてもの抵抗に、固く口を引き結んだ。汗ばんだ手は強張り、かさりとした感触を脳に伝える。
そして、手に持つ物の存在を思い出した。
49日目の日記と、数枚の論文のコピーのことを。
49日目の日記は、最後のページ、49日目を読むと殺される。
どう殺されるかは知らないが、ここでは噂が実体化するということは、何かが現れて読んだ者に危害を加えるということなのだろう。
鶫君の目的は私にお菓子を食べさせることで、殺すことではない。ここで私を殺そうとするナニカが現れれば、十中八九、ソレからは私を守ろうとしてくれるだろう。……多分、いやきっと。
というか、そのくらいの好意はあると信じたい。
生温かい温度は、腿にまで登ってきている。考える時間は、あまりない。
私は49日目の日記の後半部分、くっついたページに指を伸ばした。
紙は赤茶に染まっていて、やや固い質感だ。血が染み込んだまま乾燥したというのがありありとわかる。
脇腹を伝う、小さな手。細やかな重み。お菓子の侵略は止まらない。
……早く、早くしないと。
日記の一番最後のページの間に指を差し入れ、固まったページを爪で強引に割り開く。上手くいかず、数回狙いを外してからようやく指が入る。案外丈夫な紙は破れず、少しずつ私の指を受け入れていく。
人肌のお菓子たちは、ついに胸まで上がってきた。
焦りで粗くなる狙い。ページの隙間から、爪で削られた乾いた血の粉末がこぼれ落ちる。
急がないと、だってもう、お菓子が首まで来てる……!
祈りが通じたのか、ページはようやく開いた。
開いた最後のページは赤茶けた色に大半が染まっていて、判読できない。かろうじて最後の行に、『私は に何 で だろ 』という字が読みとれるだけだ。
だが、それで充分だった。
みし、と。
背後の木床が、小さく軋んだ。
何かが、来ている。
背後に、何かの気配と息遣いを感じる。
世界中の時が止まったように、一瞬がとても永く感じる。恐怖で過敏になった意識に、背後の存在の気配がありありと刺さる。
『何か』が静かに腕を伸ばし、私の首を両手で包む。そして、一気に力が込められて──。
──そこから先は、何もわからない。
◆◇◆◇◆
ある夏の日の夕方。
暑さにうんざりしながら、部屋のクーラーをつけてさらに扇風機の風を受けて、私はベッドの上でごろ寝していた。手には暇つぶし用の流行のミステリー小説を持ち、うつ伏せになって、やる気なさそうにぺらぺらとページをめくる。
ドアが誰かにノックされた。
「んー」
だるそうに返事ともいえない唸り声を返すと、部屋に入ってきた『稔』は呆れたような顔をした。
「うわ、いくら暑いからってクーラーと扇風機一気かよ……」
「いいじゃん、暑いんだよー」
私は小説を閉じて横に放り投げると、ベッドの上から『稔』を見上げた。
『稔』はいくらか躊躇ってから口を開いた。
「明日の朽名祭、もう予定はあるか?」
「ないよ」
「……そうか。だったら一緒に行かないか?」
私は『稔』の顔を観察し、少し考えてから「いいよ」と言った。
「……ありがとう」
『稔』はなぜか悲しそうな目をして、礼を言った。
私は微かに首をひねると、からかうような口調を作った。
「なに、そんな顔しちゃって〜。私じゃ不満なの?」
にやにやと細められた目も、空気を重くしたくないがゆえの作り物。
「そんなわけないだろ。……ありがとう、『姉ちゃん』」
稔は──弟はそう言うと、私の部屋を出た。ドアが閉まると瞬時に、私の顔から表情が消えて、またたいして興味もない小説を眺め始める。
そこで、気付いた。私の見ているこれは、夢なんだと。
これは在りし日の私の記憶。現実ではありえない。
だって、稔は……私の、弟は。私のせいで────。
◆◇◆◇◆
気がつくと、私は保健室のベッドに横たわっていた。
カーテンの向こうからは控えめな冬の日差しが差し込んでいる。腕時計を見ると、12月25日の昼下がりだった。
「あ、れ……? わたし」
鶫君に呼ばれて行った家庭科室。悪夢のようなお菓子たち。背中に感じた誰かの気配。
……全部、夢だったのだろうか。
いや、そうだとしたらどこからが。
もしかしたら、私が裏側の学校とかいうのに入り込んだのも、全部夢だったのかもしれない。
私は伸びをするとベッドから起き上がり、保健室の鏡の前に立った。
鏡に映る自分を見て、一瞬で目が覚めた。頭に氷を押し込まれたような、嫌な冷たさを感じる。
私の首には、紫色の痣ができていた。両手で首を絞めたような、手の痕が。
「夢じゃ、ない……」
呟き、首に手を当てると、私の鏡像が揺らいだ。そして、声が聞こえる。私と少し似た、男の子の声。
「姉ちゃん」
どこかで聞いたことのある言葉だった。この声で、この呼び名で。私を呼んだ人が、いた気がする。
それは……。
「みの、る……?」
言った直後、頭が割れるように痛む。喪失感が私の胸を苛み、堪えきれない苦しさで涙が溢れた。
ああ、そうだ、私は、稔を探しに。
いつだって私のことを『姉ちゃん』って呼んでいた、少し冷めたところのある私の……。
稔。私の弟。
どうして忘れていたんだろう。
どうして、忘れられたんだろう。
やっと、思い出した。
思い出すことが、できた。
鏡が揺らいだのはほんの一瞬で、もうそこには私と昼の保健室しか映っていない。
涙で曇る視界で、私は微笑んだ。
「きっと、見つけてあげるから。もう少しだけ待ってて……稔」
鏡は何も答えなかった。




