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朽名奇譚  作者: いちい
#4 黄泉の家庭科室
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クリスマスパーティー〜ギフト〜

 






 私は這い寄る冒涜的なお菓子へのせめてもの抵抗に、固く口を引き結んだ。汗ばんだ手は強張り、かさりとした感触を脳に伝える。


 そして、手に持つ物の存在を思い出した。

 49日目の日記と、数枚の論文のコピーのことを。


 49日目の日記は、最後のページ、49日目を読むと殺される。

 どう殺されるかは知らないが、ここでは噂が実体化するということは、何かが現れて読んだ者に危害を加えるということなのだろう。


 鶫君の目的は私にお菓子を食べさせることで、殺すことではない。ここで私を殺そうとするナニカが現れれば、十中八九、ソレからは私を守ろうとしてくれるだろう。……多分、いやきっと。

 というか、そのくらいの好意はあると信じたい。


 生温かい温度は、(もも)にまで登ってきている。考える時間は、あまりない。


 私は49日目の日記の後半部分、くっついたページに指を伸ばした。

 紙は赤茶に染まっていて、やや固い質感だ。血が染み込んだまま乾燥したというのがありありとわかる。


 脇腹を伝う、小さな手。細やかな重み。お菓子の侵略は止まらない。

 ……早く、早くしないと。


 日記の一番最後のページの間に指を差し入れ、固まったページを爪で強引に割り開く。上手くいかず、数回狙いを外してからようやく指が入る。案外丈夫な紙は破れず、少しずつ私の指を受け入れていく。


 人肌のお菓子たちは、ついに胸まで上がってきた。


 焦りで粗くなる狙い。ページの隙間から、爪で削られた乾いた血の粉末がこぼれ落ちる。


 急がないと、だってもう、お菓子が首まで来てる……!


 祈りが通じたのか、ページはようやく開いた。

 開いた最後のページは赤茶けた色に大半が染まっていて、判読できない。かろうじて最後の行に、『私は   に何 で   だろ 』という字が読みとれるだけだ。


 だが、それで充分だった。

 みし、と。

 背後の木床が、小さく軋んだ。


 何かが、来ている。

 背後に、何かの気配と息遣いを感じる。


 世界中の時が止まったように、一瞬がとても永く感じる。恐怖で過敏になった意識に、背後の存在の気配がありありと刺さる。


『何か』が静かに腕を伸ばし、私の首を両手で包む。そして、一気に力が込められて──。


 ──そこから先は、何もわからない。




 ◆◇◆◇◆




 ある夏の日の夕方。

 暑さにうんざりしながら、部屋のクーラーをつけてさらに扇風機の風を受けて、私はベッドの上でごろ寝していた。手には暇つぶし用の流行のミステリー小説を持ち、うつ伏せになって、やる気なさそうにぺらぺらとページをめくる。


 ドアが誰かにノックされた。


「んー」


 だるそうに返事ともいえない唸り声を返すと、部屋に入ってきた『(みのる)』は呆れたような顔をした。


「うわ、いくら暑いからってクーラーと扇風機一気かよ……」

「いいじゃん、暑いんだよー」


 私は小説を閉じて横に放り投げると、ベッドの上から『稔』を見上げた。

『稔』はいくらか躊躇ってから口を開いた。


「明日の朽名祭、もう予定はあるか?」

「ないよ」

「……そうか。だったら一緒に行かないか?」


 私は『稔』の顔を観察し、少し考えてから「いいよ」と言った。


「……ありがとう」


『稔』はなぜか悲しそうな目をして、礼を言った。

 私は微かに首をひねると、からかうような口調を作った。


「なに、そんな顔しちゃって〜。私じゃ不満なの?」


 にやにやと細められた目も、空気を重くしたくないがゆえの作り物。


「そんなわけないだろ。……ありがとう、『姉ちゃん』」


 稔は──弟はそう言うと、私の部屋を出た。ドアが閉まると瞬時に、私の顔から表情が消えて、またたいして興味もない小説を眺め始める。


 そこで、気付いた。私の見ているこれは、夢なんだと。

 これは在りし日の私の記憶。現実ではありえない。

 だって、稔は……私の、弟は。私のせいで────。




 ◆◇◆◇◆




 気がつくと、私は保健室のベッドに横たわっていた。

 カーテンの向こうからは控えめな冬の日差しが差し込んでいる。腕時計を見ると、12月25日の昼下がりだった。


「あ、れ……? わたし」


 鶫君に呼ばれて行った家庭科室。悪夢のようなお菓子たち。背中に感じた誰かの気配。

 ……全部、夢だったのだろうか。


 いや、そうだとしたらどこからが。

 もしかしたら、私が裏側の学校とかいうのに入り込んだのも、全部夢だったのかもしれない。


 私は伸びをするとベッドから起き上がり、保健室の鏡の前に立った。

 鏡に映る自分を見て、一瞬で目が覚めた。頭に氷を押し込まれたような、嫌な冷たさを感じる。

 私の首には、紫色の痣ができていた。両手で首を絞めたような、手の痕が。


「夢じゃ、ない……」


 呟き、首に手を当てると、私の鏡像が揺らいだ。そして、声が聞こえる。私と少し似た、男の子の声。


「姉ちゃん」


 どこかで聞いたことのある言葉だった。この声で、この呼び名で。私を呼んだ人が、いた気がする。

 それは……。


「みの、る……?」


 言った直後、頭が割れるように痛む。喪失感が私の胸を苛み、堪えきれない苦しさで涙が溢れた。

 ああ、そうだ、私は、稔を探しに。


 いつだって私のことを『姉ちゃん』って呼んでいた、少し冷めたところのある私の……。

 稔。私の弟。


 どうして忘れていたんだろう。

 どうして、忘れられたんだろう。


 やっと、思い出した。

 思い出すことが、できた。


 鏡が揺らいだのはほんの一瞬で、もうそこには私と昼の保健室しか映っていない。

 涙で曇る視界で、私は微笑んだ。


「きっと、見つけてあげるから。もう少しだけ待ってて……稔」


 鏡は何も答えなかった。




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