颯太の嫌がらせ
「……颯太」
私が協力者の名前を呼んだのは、もう窓の外が赤みを帯びた橙色になった頃だった。
颯太は彼の担当する文集から顔を上げた。
「見つかったのか?」
「うん。これ見て」
4年前の文集を、開いた状態で逆さまにして差し出す。
颯太は覗き込むようにしていたが、眉間に皺を寄せ、少し考えるようなそぶりを見せると立ち上がって、私の隣の席へと移動してきた。
「颯太?」
「気にしないでくれ。やっぱり向かい合わせだと読み辛くてな」
言いながら、颯太は文集の向きを直して読みだした。
「……タイトルは『七不思議の変遷についての考察』、か。おあつらえ向きだな」
「他にもいくつか七不思議を調べてるのはあったんだけどね。ほら、こういう学校だから。だけど手抜き論文もかなり混じってて。これは大丈夫そうだと思うんだけど」
「姉さんが主に知りたいのは、黄泉の家庭科室でいいんだったよな。なら……このへんか」
颯太はあるページを開くと、文集を私の方に寄せた。
『第四章 黄泉の家庭科室
____家庭科室の怪談。内容は前述の通り。
この怪談の興味深い点は、現時点から数えて11年前に、唐突に変形している点だ。
前身は、『終わらない製薬実験』と呼ばれる怪談であったらしい。卒業生への聞き込み調査から、入れ替わりが11年前らしいと判明した。
この名称以外の変化点として最も顕著なのは、三箇所ある。一つ目は、背景、言い換えればバックグラウンドが削除されている点。二つ目は、生徒の性別の差異。三つ目は、食物の差異。
順に追って考察しよう。
一つ目・三つ目については、時代を考慮すればそう奇異でもない。
製薬実験や戦時での人体実験は現代ではまず荒唐無稽だし、ご馳走がお菓子になったのも、時流の変化ゆえだろう。
二つ目についてだが、これについては私にはわからない。語り継がれる過程で、ズレが生じたというのがもっともらしいが。
そもそも、なぜその変化は11年前に突如発生したのだろうか。
学内で起きた事件などをあたってみたものの、特別例年と異なる出来事はなさそうだ。もちろん、七不思議がらみで失踪した生徒は例年と同じく、いたけれど。
__(中略)。いや、そもそも、そうして生徒が消えていくの自体奇妙だ。しかも、どうしてそれなのに生徒たちは入学してくるのだろうか。
おかしい。
何よりおかしいのは、そのことに私が今まで気付かなかったことだ。』
「颯太、これって……」
這い寄るような不気味さにあてられて、颯太の顔を見る。
颯太は真剣な表情で、文集を見つめていた。穴が空くくらい鋭い視線。文集のページを握った手は力が込められ、上質紙にしわを作っていた。
「……なあ姉さん。姉さんはどうしてこの学校に入学しようと思ったんだ?」
「え、私? 私、は……だって朽名市に住んでるなら、私立を受験しない限りみんなここでしょ?」
「失踪者が定期的に出るって知ってたのにか?」
「…………」
「どうして気付かなかったんだ? いや。なんで気付けなかった?」
颯太はそう呟くと、文集を持って立ち上がった。ちらりと一度だけ私を見て、カウンターへと文集を持って行く。
私は机の上に置かれたハズレの文集を積み重ねて、棚に戻すため、書架に足を向けた。
「えっと、このへんだったと思うんだけど……あっ、ここだ」
重くて厚い本を、両手を使って支えながら順番に戻していく。
全部を棚に入れ終え颯太を追おうとすると、カウンターで貸し出し手続きをしているのが見えた。
颯太のところに行こうとして……ふと、誰かの気配を感じて振り向く。
そこには誰もいなかった。
ただ、天井まで覆う本棚が聳えているだけだった。
しかし。
奥の通路を曲がっていく誰かの髪が、光の加減で一瞬だけきらめいた気がした。
「日曜なのに熱心だなぁ」
私は向き直り、颯太のところに向かっていく。颯太はすでに手続きを終え、入り口を出たところで待っていた。
「颯太、お待たせ」
「いや、いいんだ。姉さんに片付けさせちまって悪かったな」
「そのくらい良いよ」
並んで階段を降りながら、雑談する。
「ところで少し遅かったな」
「あー、うん。なんだか人の気配があったような気がして」
「へえ、まあ他にも利用者はいたしな。日曜とはいえ、3年とかはいるだろ」
「そうだよね。もう11月だから……センターまであと二月くらい? 追い込みシーズンかな」
「そうだな。俺も忙しくなりそうだ」
颯太は笑うと、右手で抱えた文集を思い出したように掲げた。
「これは俺がコピーしておく。後で保健室に届けにいくから」
「えっ、いいの!? ありがとう」
「気にしないでくれ。姉さんが手元で現物を持ってるのが一番だとは思うが、無断借用なんか姉さんにさせられねえ。一週間後に渡しに行く。……ああ、あと」
エントランスに着くと、颯太は立ち止まった。
「この後、姉さんに約束してたヒントをやる。そうだな……中庭の西側まで行ってもいいか?」
「うん」
中庭に行く必要性がさっぱりわからないけれど、私は頷いた。
──もしかしたら、場所に関係があるのかもしれないし。
中庭の隅、芝生の上に立つ。隣の颯太は空を見上げた。
赤味を増した空から不安を掻き立てるような橙色の光が差し込み、大きな影を落としている。
「姉さんは、探し物をしてるんだよな。……それは、本当に姉さんの大事なものなのか?」
私は目を閉じた。
忘れてしまった記憶は戻らないけれど、ぽっかりと空いてしまったような寂しさは、いつだって胸に感じている。
いつだってそこに在った。
いるのが当然だと思ってた。
私はあの子を失って、終わらない苦しみを味わった。
だってあの子はいなくなったのは、私のせいだから__。
まぶたをゆっくりと持ち上げる。
見えるのは、校舎の影が落ちた青々とした芝生。
胸の奥にわだかまる罪悪感を押しやるように、息を吸う。
颯太の悲しそうな声が聞こえた。
「やっぱり、姉さんはあいつが大事なんだな……」
傍らで、空気の動きを感じた。見ると、颯太は立ち上がって夕日に目を細めていた。
「俺からのヒントは、『稔』だ」
「みの、る……?」
人名だろうか。それが誰の名前なのか、私にとってどんな人物だったのかはわからない。だけど、その名前は私の胸に空いた穴に、ぴたりとはまり込む。
「稔……」
思い出せない。
だけど、不思議と嬉しかった。
「まだ思い出せねえみたいだな」
颯太は私を見て、笑う。
どこか泣いているような。寂しげな、不完全な笑みだった。
だけどそれはとても颯太らしくて。
悲しい笑みだった。
「……どうしてだろうな。姉さんがあいつのことをまだ思い出せねえでいるのが、嬉しいんだ。……ごめん、な……」
颯太らしからぬ台詞だ。
彼はいつだって良い子で、完璧だったから。
今の颯太は、全然完璧じゃない。笑顔だって崩れているし、言動だって。
それでも、これがきっと颯太の本質なんだ。
立ち上がって、颯太の頭を撫でる。身長差があるから背伸びしないといけなかったけれど、なんとか手が届いた。
「謝らないでよ颯太」
何も考えていないような明るさを装って、私は苦笑した。
次に私は何を言えば良かったのだろう。
わからないけれど、私は颯太の頭を撫でた。
ややあって、颯太も微苦笑して言った。
「姉さん、俺は子供じゃない」
「そう言ってるうちは、子供だよ」と、私は型通りの反応を返す。
颯太は背を向けた。
「俺はそろそろ帰る。……じゃあな、姉さん」
「バイバイ、颯太」
颯太の背中が校舎の東側を通って消えていくのを確認して、私は保健室へと帰っていった。
西端の教室。家庭科室の窓辺に、人影があるのにも気付かずに。
背を向けた颯太が、禍々しいまでに凄絶な笑みを浮かべているのも見られずに。




