表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
朽名奇譚  作者: いちい
#2 理科準備室のホルマリン生首
67/205

End3

 



 無人になった理科準備室に黒い粒子が出現する。それは影のように凝ると、闇色の髪をした白衣の女性をかたどった。


 女性はふうと息を吐き、椅子に行儀良く足を揃えて座る。


 彼はここから出て行ってしまった。

 もう会えないと思うと同時に、これで良かったのかもしれないと、彼女は思う。


 彼はずっと、ここから出たいと願っていたから。

 願いを叶えてくれた彼女には、嫉妬はするものの、感謝しているのだ。


 おそらく皐月は、七不思議が一つ減るのを許しはしない。

 彼女はその穴を、自分自身で埋めようとしていた。


「あの子のためだもの、ね……」


 彼女は頬杖をつくと、小さな窓の向こうの空を見上げた。

 黒い空に赤い月が浮かぶ、不気味な空。

 彼女は、自分では見られない黄色い月を思い、赤い月に彼らの幸せを祈る。


 音もなく扉が開いた。

 皐月だ。


 皐月は事情を全て把握していた。

 瑞樹たちの怪談を作った生みの親は、皐月だからだ。

 秊が校長室に来た時から、それとなく様子を探っていたのだった。


 彼女を一瞥し、皐月は窓際に移動して、静かに語りかける。


「……アナタも辛い役を負うわね」

「ええ。でも良いの……。彼が、それで幸せになれるなら」

「わたくしは間違っているのかもしれないわ」


 皐月が、手を窓の桟にかけて黒い月を見つめる。

 白衣の女性は、皐月に穏やかに微笑みかけた。


「ええ、貴方は間違っているもの」


 責めるような口調ではない。穏やかに、優しく。唄うように、彼女は言った。


 皐月は、目を閉じた。


「それでもわたくしは、役目を果たさなくてはならない。……今回は、酷なことをしてしまったわ。永遠を生きるには、孤独ではいられない。だからこそ、アナタたちは2人で1つの怪談だったのに」

「私にとって、彼は弟のようなものだったの……」


 そう言うと、白衣の女性は穏やかに笑う。


「さあ、皐月。私が彼の代わりを務める。問題はない……?」


 皐月は頷き、理科準備室から出て行く。


 白衣の女性は俯いた。誰にも聞こえなどしないというのに、静かに言う。


「さようなら……。幸せになるのよ、瑞樹」


 彼女の表情は、黒い髪に隠れて見えない。

 弟と同じ響きである彼女の名前と同じ、美しい月がそれを見下ろしていた。




 ◆◇◆◇◆




 皐月は理科準備室を後にすると、3階の女子トイレに向かった。


 過剰なラベンダーの香りが匂うなか、皐月が個室の前に立つと、ノックもなしに扉が開かれる。

 一番奥の扉だ。


 皐月はその個室の前に歩み寄る。


 中には、誰も入っていない。洋式便座の横に、誰かが散らかした、トイレットペーパーの芯が一つ転がっている。


 きぃ、と思い出したように扉が軋み、それに誘われたように個室の奥、便座の影から何かが溶け出す。


 影から闇が広がり膨張し、それが消えたときには、おかっぱ頭の少女が個室の中に出現していた。


 彼女、花子さんは数歩踏み出し、皐月を見上げる。


「……文句でも言いにきたんでしょ? 煮るなり焼くなり好きにしなさいよ」

「わたくしにはアナタを咎めるつもりはないわ」


 けれど、と言い、優雅な所作で皐月は赤く長い爪を花子さんの首筋に這わせる。

 指先が、花子さんの首筋を撫でた。


「わからないのよ。どうしてあんなことをしたのか。……ねえ、どうして?アナタはわたくしに最も忠実だったのに。ずっとそうして来たわよね? 不要な噂を消しては新しい噂を流して、そうしてずっとやってきた」


 皐月は爪を首の肉に食い込ませる。

 花子さんはそれでも、答えない。


 重ねて皐月は問う。


「教えて、どうして瑞樹を逃がしたりなんかしたの? あの子……秊に情でも移ったのかしら? 教えてくれないなら、そうね。このまま喉を貫通させてあげるのもいいわね。少々の面倒に目を瞑れば、アナタの代わりなんて、いくらでも作れるのよ?」


 花子さんは皐月を睨み、口を開く。だがよく見れば、涙目になっているし、唇も震えている。


 告げたのは一言だけだった。


「あんたには、絶対にわかりっこないわよ」


 そして花子さんは口を噤む。

 気丈に振舞ってはいても、足も微かに震えていた。


 皐月はそんな花子さんをつまらなそうに一瞥する。


「二度はないわ」


 皐月は興醒めしたように爪を引いて、立ち去った。


 皐月とて、かつては知っていた。

 (みのり)の無謀な試みの原動力を。花子の強さを。

 他人のためだからこそ持ち得る強さを。


 月日はヒトから多くのものを奪い去る。

 皐月にはそれらはもう、眩しすぎた。


 人影のない廊下に出て、皐月は呟く。


馬酔木(あせび)……。俺は、間違っていても、それでも……」


 それを聞くものは、いなかった。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ