End1
私は、暗く静かな廊下を一人で歩いている。
夏の、蝉の音が煩く響き、木々は風に吹かれてざわざわと、何かが起きるのを感じさせる予兆を感じさせていた。
そう、まさに私は一つの終わりに手を伸ばしているのだ。
1年にも及ぶ、長い夢に。
あの日と変わらない白いワンピースの裾をさばき、理科室の扉を開く。そのまままっすぐに、理科準備室に向かう。気付けば、胸の前で左手を固く握り締めていた。扉に手をかける前に一呼吸し、強張った手をゆっくりと開くと、汗が滲んでいた。
理科準備室に入ると途端に薬臭いにおいが鼻に届き、微かに笑う。
ここに来た日と、同じにおい。
今日は、瑞樹は机にいた。
赤い月の光を浴びて、彼は懐かしむように目を細めている。
もう隠す必要がないということなのか、胴体も一緒で、壁際にもたれるようにしている。
「……やはり、来ましたか」
「うん。帰る前に、一度会っておきたかったから」
ふうん、と彼は言う。
「別れの挨拶、といったところでしょうか。君も、似合わないことをしますね」
何も言わず、瑞樹の言葉を待つ。
また一つ風が吹き、ざあっと木の葉をざわめかせた。
「僕は、君と過ごした一年間、とても楽しかったです。まるで、僕も生きているような気分になれました。……しかし、君は帰ることを選ぶ。そうでしょう?」
噛み締めるように、瑞樹は言った。
「……うん」
私は帰る。これは変わらないことだ。
稔がいなくなってしまった以上、この上私までいなくなるわけにはいかない。
私には待っている人がいるのだ。
パパ、ママ、友達……それに、美紗ちゃんと颯太も。
皆大切だ。
「ならもう、こんなところで長々と油を売らずに行ったらどうなんですか。間に合わなくなりますよ」
まったく、こんなときでも素直じゃない。
瑞樹はどうせ、私が瑞樹をこのまま放置して行くと思っているのだろう。
この後にやろうとしていることを思い、心の中だけでほくそ笑む。
首を振り、ゆったりとした足取りで机に歩み寄った。
瑞樹は私の意図が見えない行動に困惑しているようだが、あえて無視して話し始める。
「ねえ、瑞樹。物語の結末が気に食わないときって、どうすれば良いと思う?」
全く脈絡のない問いかけに、瑞樹は首を傾げた。そして、少し考え込むと、私が望んでいた通りのことを言う。
「……さあ。君はどうするんですか?」
「それはね、簡単だよ」
私は、皆も瑞樹も諦めたりなんかしない。
にんまりと、笑う。悪だくみを楽しむ悪党みたいな表情になっているかもしれない。
両手で瑞樹のホルマリン瓶を持ち上げた。
「気に食わないエンディングのページを引きちぎって、自分で結末を書けば良いの」
選択肢が選べないなら、第三の選択肢を自分で作れば良いのだ。
「な、何を……!?」
予想外の展開に慌てる瑞樹をよそに、私は胴体に近づくとホルマリン瓶の蓋を開いた。
つんとした薬品の刺激臭が空気を広がっていく。
瑞樹は何やら怪しげな雰囲気を察知して胴体をここから逃がそうとしているようだが、胴体は、
えっなにそれきこえなーい
と言わんばかりに、両手を掌を内側に、首の断面の斜め上あたりまで上げた。どうやら、耳を塞ぐジェスチャーをしているらしい。
頭はないから、一見何なのか分かりにくい。
「よっと」
「うわっ」
思ったよりも重量のありそうなので、一度机に瓶を置き、掛け声をかけて、瑞樹の首を
頭から鷲掴みにした。
「ちょ、いた、痛いです! 何考えてるんですか!?」
青白い首がホルマリンの滴を垂らしながら、月光の下に晒される。
私は完全に瑞樹の声を黙殺し、頭部に比べるととてもおとなしい胴体の上に、瑞樹の頭を載せる。
なんだか文句が聞こえてくるような気がしないでもないが、きっとそれは気のせいだ。そうに違いない。
武将の首を討ち取ったみたいに片手で髪の毛を掴んでぶら下げないだけ良心的だというのに、うるさいやつめ。
ちゃんと両手で抱えてあげているんだから、もう少し静かにしていてほしいものだ。
「なっ……!」
驚愕の声を上げたのは瑞樹だ。
だがそれは無理もない。
瑞樹の首から上が瑞樹の首から下に合わさると、境目の部分がすぅと消えて、後には継ぎ目もない白い肌が張っていた。
イタズラが成功した子供のような、ニンマリした笑顔を浮かべる。
「ふふ、ここ最近であんたの噂が変わってるの、知ってる? 『理科準備室のホルマリン生首』の続きって銘打たれてるんだけど」
噂が現実になるということは、噂が変われば現実も変化する。
花子さんに手伝ってもらい、私は彼の物語に新たに結末を追加した。
生首になってしまった少年は理科準備室から抜け出して、人に紛れている。
もしかすると、あなたの隣にいるかもしれない、と。
花子さんは私の願いを聞くと、一つ頷いて笑ってくれた。
「良い願いじゃない」と言って。
もっとも、心配しなかったと言えば嘘になってしまうが。
花子さんがいい加減なことを言うとは思えないけれど、それでもやはり、実際に成功を確認するまでは不安があった。
「ねえ瑞樹、外の世界、一緒に行ってみようよ」
瑞樹は声も出ない様子だ。
長年の彼の願いが、叶おうとしている。
瑞樹は黒い切れ長の目を見開き、首の継ぎ目を触って、そこに何の痕跡もないことを確かめている。
「あ……」
瑞樹は初めて、本当の意味で声を発した。
彼は首が繋がる日など来ないのだと思っていた。方法を探してはいても、もはやそれは意地のようなもので、本気で見つかるとは思っていなかった。
彼がずっと探していたもの。
それは、『自由になる方法』。
本日は17時にもう一話投稿します。




