秊の願いごと1
空気が熱い。
地面に降り注ぐ陽光から漏れ出した熱が、大気中に篭っている。空は真っ青で、曇り一つない。
割れんばかりに喚く、蝉の声が聞こえてくる。
また……夏が来た。
私は日曜日の学校の、廊下を歩いている。
休日だというのに、活気は失われていない。ここからでも、グラウンドから歓声が聞こえてくる。野球部かサッカー部あたりが活動しているのだろう。青い春をエンジョイしているようで何よりだ。
向かう先は校長室。
まだ昼間だが、皐月様はいるだろうか。やっぱり夜まで待ってから来るべきだったかもしれない。
まあ、いなければまた後で出直せば良いか。
もう7月になり、私が帰るのは目前となった今、無駄にできる時間はないのだから。
早めに会えればその方が良い。
私は暑さにげんなりしながら校長室の入り口を押し開けた。
「失礼しま……す!?」
校長室の中から何かが高速で飛来してくるのが見えて、身をよじる。とっさに扉の影に体を隠した。後方で何か軽い物が砕けるような音に振り返ると、粉々になった、元はチョークであったらしき白い破片が、壁のあたりから床にぱらぱらと落下していた。
チョ、チョーク!?
ちょっと待てここ校長室でしょどこからチョーク出てきたの!?
つっこみを押し殺し半開きにしたままの扉を盾にして顔を出すと、すかさず第二波のチョークが冷たい声とともにやってくる。
威嚇射撃のようで、それは私の髪を掠って壁に着弾し、砕けた。
「おい、ノックはどうした」
もうチョークをつっこんでいる場合ではない。裏側の校長室に入れたのは幸いだが、それを喜ぶゆとりもない。
怒ってる。怒ってるよ。これ絶対怒ってる。
普段からただでさえ低い声にドスがきかされていて、恐ろしさは相乗効果だ。
相手を刺激しないように、丁寧に謝罪する。
「あー、え、えっと、忘れてしまいました。大変申し訳ございません」
きっちり斜め45度の角度で礼をすると、頭上から不機嫌そうな低音が聞こえた。
「己の非は理解したか?」
「はい」
これで機嫌を直してくれると良いのだが。
きちんと謝罪はしたし、この流れなら常識的に考えて大丈夫だろう。
確かな手応えを感じ、心の中でほっとした時。
「では逝け。生まれ変わったら礼儀正しくなることを祈っておけ」
「え」
まさかここからさらに殺りに来るか、普通!?
頭を上げて距離をとろうとするが、流石に想定外の事態に体が追いつかない。
常盤はその、いっそ本体ではないかという緑がかったリーゼントの下で、とても嬉しそうな顔をしている。
そうだった。こいつに常識なんて求めてはいけないんだった。
というか私の頭も暑さでやられてしまったのだろう。そうでもなければ、リーゼントとスーツなんてトンデモな組み合わせの男に常識を求めようなんて前衛的なことは思うまい。
しかし、まだ望みはある。こいつがいるということは、皐月様もいるはずだ。
常盤の長身に遮られてはっきりとは見えないものの、奥の机には皐月様が座っているはず。
常盤が銀縁眼鏡に手をやり嗜虐的な笑みを浮かべたところで、私が待ち望んでいた声が聞こえる。
「常盤、お巫山戯はそのあたりにしておきなさい」
「……御意」
思ったよりはずっとあっさり引いてくれたが、絶対にこいつは諦めていない。ふてぶてしい表情が、雄弁にこいつの心情を語っている。
『次は確実に仕留めてやる』と。
瞬間的に背筋に寒気が走った。
私が常盤の無駄にでかい図体を押しのけ中に入ると、常盤は静かに校長室の扉を閉める。
皐月様は巫女装束を麗しく着こなして、机で気怠げに頬杖をついている。手にしていた書類を置くと、艶然と微笑んだ。
「あなたから訪ねてくるのは、去年の8月ぶりになるかしら。とうとう瑞樹の性格の悪さに耐えかねたの? わたくしに乗り換えるなら、いつでも良いわよ?」
真っ赤な唇が動くのがいやに扇情的で、目のやり場に困る。ただ話しているだけなのに、どうしてこの人はいちいち桃色なんだろう。
視線を彷徨わせて、結局のところ部屋の隅にある観葉植物の鉢に焦点を合わせておくことにした。
「いえ、探し物はもう見つかったので、問題はないです」
「ならば帰れ。皐月様をお前のような小娘が煩わせるなど畏れ多い」
「常盤、黙りなさい」
「…………」
「それなら、何の用かしら。艶っぽい話なら嬉しいけれど」
話に水を指すのが趣味なのかというくらい邪魔な常盤を黙らせ、皐月様は私を促した。
さすが皐月様だ。
場が整ったところで、本題を切り出す。
「七不思議を解放する方法って、ありますか?」
最近どうも不調です。あっ、健康状態じゃなくて、物語を書くのが、です。
あと6話ほどで瑞樹君の話は終わる予定なので、コンディションを上げていきたいのですが……。




