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朽名奇譚  作者: いちい
#2 理科準備室のホルマリン生首
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朽名1

 






 5月になって、梅雨時前の束の間、過ごしやすい天気が続いていた。


 私は踊り場で、あの鏡を前に臨んでいる。午後6時の切り替わりと同時にここに向かったのだ。


 あれから考えていた。どうするべきなのか。


 瑞樹は少し一人にしてほしいと言い、理科準備室のあの場所に帰っていった。胴体のコントロールは戻ったらしく、自分の生首を抱えさせていた。


 花子さんのヒントの意味を尋ねることはできなかったが、その必要はなかった。瑞樹の話が、あの謎かけの最大の鍵となったのだ。

 意図せずに、あの言葉の謎は解けた。

 あとはあの蛇に会えれば、あの日何が起きたのか、稔はどこにいるのかも分かるはずだ。


 忘れてしまった記憶が疼くようで、顔を顰めた。


 だが、この後に及んで私はまだ決めかねている。


 そう、悩んでいるのだ。

 私は思い出すべきなのかどうかを。


 瑞樹を見ていて思った。知ってしまうことが必ずしも良いこととは限らない。むしろ、知ることによって不幸になることもあるのだと。


 何も知らずにいるのは、幸せなことなのかもしれない。


 知らなくても済ませられるなら、そうしていたかった。何も知らずに、何も考えずに、ただ周りに合わせていたかった。


 でも────それで良いの?


 それじゃ駄目だと思ったから、私はここに来たんじゃないの?

 思い出したくないんじゃなくて、怖いだけでしょ?


 どうするべきとか、どうした方が幸せとかそういうんじゃなくてね。


 私はどうしたいの?


「私は、稔に会って謝りたい」


 無意識に、何かを呟いた。


 頭が痛みだす。

 きっと、これが答え。


 ねえ、瑞樹。

 私、今でもきっと思い出したくないって思ってる。知らないまま、ぬるま湯に浸かっていたい。

 でもね。やっぱり、稔に会いたいんだ。


 それに────あんなに偉そうなこと言っておいて、自分がやらないなんていうのはないよね?


「……格好つかないもん」


 私は鏡に呼びかける。


「出てきてよ、朽名(クチナ)様。……(クチナワ)(サマ)


 この学校に封じられているのは朽名様。

 それなのに、今まで一度もそれらしきヒトには会っていなければ、誰も口に出さない。

 土地神と伝えられているのに、誰もその由来を知らない。


 瑞樹でさえ、詳しいことは知らなかった。


 いるのに、誰も、知らない、見えない、語らない。


 私が見たのは大きな蛇だったが、蛇はクチナワとも呼ぶのだ。図書室で、管理人にそう聞いた。クチナの由来は、(クチナワ)らしいとも。


 時が経つにつれ、"ワ"が欠落したのだろう。


 鏡が揺らめいた。

 水面のようにゆらゆらと鏡面が波打つ。蛍光灯の光が鏡面に反射して、蛇の鱗が光っているかのようだ。銀色の光沢が、艶かしくくねる。


 次第に鏡面は私ではない何かを映し出し始める。


 銀色の蠕動(ぜんどう)が収まった時には、鏡の向こうに稔がいた。


「……稔?」

「姉ちゃん」


 稔が言った。


 ふらり、ふらりと、引き寄せられるように、鏡に近付いていく。

 手が鏡面に触れた。


 冷たかった。


 鏡越しに触ってみても、温度はなかった。


 稔は、鏡の向こう側、平面の世界にいる。


 泣きそうな私に対し、穏やかに微笑む稔は、鏡合わせに手を触れ合わせた。


「稔、なんでそんな……」


 稔は困ったように、笑った。


「姉ちゃん、覚えてないんだよな?」

「うん、だから私、クチナサマなら知ってる気がして、それで……」

「姉ちゃんが覚えてないなら、それは知る必要がないってことだ。どうってことない、本当にどうでも良いようなことさ」

「そんなはずないでしょ!? だってそんな、鏡の中なんかに入っちゃってるし……!」

「いいや、どうでも良いことなんだ。それよりも、なあ。姉ちゃん今、幸せか?」

「……っえ?」


 脈絡のない問いに戸惑う。

 稔は真剣に、私に尋ねている。妙に大人びた顔で、私の答えを待っていた。


 重ねて問われる。


「幸せなのか?大事にできるもの、見つかったか?……ちょっと言いにくいけどさ。いつも、なんかてきとうに周りにあわせてばっかで、いいかげんに笑ってたろ?」


 私も気付いていなかったことに、稔は気付いていたのだ。

 何にも拘らないから、いつも相手が望むようにしていた私に。


「うん」

「……そうか」


 稔は鏡合わせにしていた手を、離した。稔は笑っていた。とても清々しい表情だった。


「稔、私ね。何かを忘れてるはずなの。それは多分稔に関係することで、それを叶えるためにここに来たんだ。……稔は何か知ってるんでしょう!?」





字数&展開の都合で、すごく微妙なところで切っちゃいました。

すいません。




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