断たれるのは3
やがて瑞樹は、話を聞いてくれませんか、と言った。
私が肯定すると、彼はおもむろに語り出す。
「君は七不思議とはそもそも何なのか、疑問をいだきませんでしたか?」
「文字通りただの七つの怪談じゃないの?」
「違いますよ。七不思議の正体は、この学校に朽名様を封じるための人柱です」
人柱なんて物騒な響きの言葉に、私は驚いた。
「な、なにそれ!? 朽名様っていうのはこの辺りの土地神でしょ!? 祟り神じゃないんだからそんな」
彼は首を動かして、私を見た。
「朽名様が何なのかは僕にも分かりません。ただ事実として、僕たち七不思議は朽名様を封印するために存在しています。数が揃っているほどに封印は強まる。僕はね、人為的に作られた噂なんです」
「人為的……」
「ありもしない作り話を流し操作することによって、人工的に作り上げられた七不思議。中身などない空虚な作り物。それが、僕の正体です」
怪談が実体化するここ以外では、存在すらできませんと、彼は言った。
「そっ、そんなの誰が……」
「校長です。あの人は番人ですから」
瑞樹は給湯室の、明かり取りの役にしかたたないような小さな窓を見上げた。
「僕はずっと、ここから出たかった。理科準備室の怪談なんて珍しいとは思いませんでしたか? 本来あそこの怪談は、『理科室の狂女』でした。大筋は変わりませんが主なのは彼女で、僕はその付属品でした」
「どうして怪談が変わったの?」
瑞樹は微笑んだ。
寂しげにも自嘲にも見える表情だった。
「僕が、『理科室の狂女』だった美月を消滅させたからです」
彼は続ける。
「ただのホルマリン漬けだった僕は、確たる自我もないままに、夢と現の間をたゆたっていました。ただぼんやりとした思考で、ここから出てみたいと、ただそれだけを願っていたのを記憶しています」
引き離した足音が聞こえてきた。
足音は近付いてきたかと思うと、また遠ざかっていった。
「僕は美月を嫌っていたんではないんです。ただ、ずっと理科準備室にいた僕は、外はどんな世界なのか、一度で良いから見てみたかった。次第に僕は、美月を憎悪するようになりました。ここから出られないのは彼女がいるせいだと思い込んだんです」
美月という人がどんな人なのかは知らない。だが、きっと図書室で垣間見たあの白衣の女性が美月なんだと思った。
だって、彼女は何よりも誰よりも、瑞樹を愛していたから。
たとえ作られた感情だったとしても。
「そんなある日でした。いつもと変わりない狂った理科準備室で、僕は彼女など死ねば良いと、初めて願いました。彼女がいなくなれば、きっと自由になって外に出られるんだと、信じて。すると、僕の影から黒い塊が起き上がり、彼女が脇に置いていた大鉈をとって、美月の首を刎ねました。塊は呆然と目を見張るだけの僕の目の前で姿を変え、学生服を着た胴体になりました」
私は想像した。
ほの暗い感情から溶け出したように黒い影が、質量を持って起き上がる。それは蠢きながら大鉈を拾い上げて、白衣の女性に振り下ろす。
影は粘性な動きで自身を波打たせて、黒い学生靴、ズボン、学ランが形作られて、そして最後に首が。
途中までしかない、真っ白に血の気の引いた首が、影から滲み出る。
「彼女は細かな、闇が凝り固まったような幾粒もの粒子になって、もとより何もなかったかのように、闇に溶けて消えていきました。綺麗な月の光を浴びながら、僕は声を出さずに笑っていました。これでようやく外に出られるんだと」
瑞樹がよく窓の外を眺めていたのは、月を見ていたからか。彼女と同じ名前の、美しい月を。
瑞樹はどんな思いで月を見上げていたのだろう。
「しかし、そこから先は地獄でした。彼女が消滅したため、知りたくなかった知識を僕は受け継ぎました。自分が人柱で、ここから出ることはできないこと。いずれ跡形もなく消滅してしまうことを」
私も窓から月を見上げた。座った状態で見上げた月は、いつもよりも遠く見えた。
「だから、諦めることにしました。ここから出ることも、生きることも。ただ毎日、死んだように眠って時間を消費し、いつ消えても未練がないようにと何にも執着しないようにしていました」
いつも会う度会う度あの場所で目を閉じていたのはそういうことだったのだろう。
でも、そんなのは……。
「悲しすぎるよ」
「そうですね。そんなことを考えてはいても、やはり消滅するのは怖かったんでしょう。噂が途絶えないよう、時々玩具を見つけては弄んで。暇を潰しているだけなんだと、あの頃は思っていたものでしたが」
瑞樹は笑う。
「君といる時間は楽しすぎた。失いたくないと思った。僕の生命は動き始めてしまったんです。だから、原因となった君を殺そうとしました。もう終わりにしたかった。君を殺しても何も終わらないのに、馬鹿ですよ。愚かとしか言いようがない」
瑞樹と目が合う。
「僕は、あの時思いました。君を殺すという選択は間違っていたんだと、あそこで初めて理解したんですよ。終わらせたいならば、死ぬべきは僕です。あの時。一人きりの家族を、美月を殺したあの日に、僕は死ぬべきでした」
だぁかぁらぁ、どうしてそっちにいっちゃうかなあ!? こいつはもう、ほんっとうに……!
私はホルマリンの瓶を顔の高さに持ち上げた。情けない表情の瑞樹と、真正面から目を合わせる。
「このっ、馬鹿野郎! 何なのうじうじしちゃって。死ぬのが怖いのなんて当たり前でしょ! 誰だってそうだよ。だけどね、運命だろうがなんだろうが、どうしてそんなものに従ってあげなきゃならないの!?」
「……っ!?」
「諦めるなんてあんたらしくもない。そんな理不尽、笑いながら足蹴にしてるのがあんたにはお似合いだよ。納得できないなら、とことん足掻けば良い」
「無意味な努力をして、叶いもしない希望を持って、ですか? 絶望するだけですよ」
「叶わないなんて、誰が決めたの? そんなのあんたが勝手に決めつけて、一人で自己完結してるだけじゃないの?」
私は笑う。
自分のことも解決できていない私なんかが言って良いことじゃないのかも知れない。だが、私は彼に、生きて欲しい。
諦めないで。
だから、強がりでもはったりでも、私は笑う。
「みっともなくたって無駄だって、悪くなんかない、上等だよ。最後まで足掻いて、その途中で終わるなら本望。それでもあんたが絶望するっていうなら、そんなもの、私がぶち壊してあげる」
瑞樹は何も言わない。
悲しげな無表情を作ったままだ。
だが、ホルマリンの中に異質な雫が一滴零れ落ちたのを、私は見たような気がした。




