表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
朽名奇譚  作者: いちい
#2 理科準備室のホルマリン生首
55/205

断たれるのは2

 




 大鉈の風切り音が聞こえる。

 目は閉じない。

 私は彼の名前を呼んで、何事かを告げていく。

 今を逃せばきっと告げられないままになってしまう、それは最も純粋な色の思い。


 風切り音で、自分でもどんな言葉を発しているのか、聞こえはしない。鉈を振り下ろす動作はすでに始まっている。考える時間どころか、口に出す時間もごく僅か。


 私は四文字の言葉を放つ。きっと誰にも聞こえない言葉を。


 私だけが知っている。








 鉈は私から僅かに逸れ、机にめり込んだ。

 私の言葉は、破砕音に紛れて消えた。


「えっ?」


 脳天に突き刺さると思ったそれが目に映り、混乱の声を上げる。

 瑞樹はひどく取り乱したように、口を半開きにしている。


「なっ、こんなはずは……!」


 首を捻ると、首なし死体は再度大鉈を振り上げていた。しかし狙いは私からは大きくずれている。

 この軌道だと、刃が落ちるのはいったいどこに。


 鉈が落とされる。


 まだ困惑している瑞樹に向かって。


「……そう、か」


 瑞樹は彼に迫る鉈が彼に振り下ろされるのを見ると、困惑を瞬時に納得に変えて目を閉じた。

 死んでいるように安らかな表情だった。


 私はこのままいけば助かるだろう。

 瑞樹に大鉈が食い込む間に走って出口に逃げれば良いのだ。首なし死体は走れない。高校時代陸上部で鍛えた私なら、余裕で引き離せる。

 校長室まで逃げれば、皐月様もいる。


 私なら、逃げるなんて簡単なこと。

 だから。


 そこにホルマリンの瓶が加わっても、きっと大丈夫。


 私は瑞樹を両手で掴んで、首なし死体をすり抜けるように走り出した。

 ドアはもとより開け放たれている。


 容器は大きくて、たっぷりつまったホルマリンと生首は、重たいうえに嵩張る。だが、抱えて走れないほどではない。


 理科室のドアを足でスライドして開けたところで、胸元から瑞樹が叫ぶ。


「……君は何をしているんですか!?」

「……逃げてるに決まってるでしょっ」


 瑞樹を抱え移動するのは久しぶりなので、息が切れてしまう。前はそう重いとは感じなかったはずなのに。

 ブランクって怖い。


 胸元から、瑞樹が声を上げる。


「一人で逃げれば良いでしょう!」

「嫌!!!」


 瑞樹の言葉を打ち切るように、私も叫び返した。


「あんた、さっき死のうとしてたよね。そんなの許さない」

「僕が死ぬのにどうして君の許可が必要なのか、理解しかねますね」


 階段に差し掛かり、バランスを崩した体がぐらついた。

 足音が後ろから聞こえている。

 瑞樹は平坦に続ける。


「僕が死んだとしても、君に損害が発生するとは思えません。探し物なら別の七不思議を校長に紹介してもらえば問題ありませんし、僕より君を助けるのに熱心なものなど、いくらでもいるでしょう」


 本当に憎らしい。

 私はどうしてこんなやつに惚れてしまったんだろう。


 さっきまでの私の感傷を返せ。


 階段を一段とばしに駆け下りながら、答える。うまく引き離せているようで、足音は遠くなりつつあった。


 もっと速度を上げたいが、バランスを崩しそうなので諦めた。両手が使えないというのは案外不便だ。


「損害がっ、どうとか。メリットがなんだとかは、どうでもいいの」

「理解できませんね」


 ああもう、こいつは本当に……!


「だから、私はあんたに死んでほしくないの!!」


 半ばヤケで、私は叫んだ。


「……は?」


 瑞樹の呆気にとられたような声が聞こえたが、ひとまず無視して安全を確保することにした。

 文句を言うのも説教するのも後だ。


 辺りを見回して首なし死体を引き離せたことを確認してから、私はドアが開きっぱなしだった給湯室に駆け込み、足で扉を蹴り閉めた。


「っ、はあ、はあ、は」


 ドアから充分に離れると、シンクに背を預けて床にお尻をつく。


 首なし死体……いや、瑞樹の体と呼ぶべきか。

 瑞樹の体には目も耳もないから、こいつがその気にならなければ見つかることはないだろう。

 この後におよんでなお暴挙にでたら、いっそ私が割ってやる。


 ホルマリンの瓶を抱えていると瑞樹が言う。


「君は僕に死んでほしくないと言いましたが、それはどうしてですか?」

「そっ、それは……何となくだよ!」


 さっきのはその場の勢いというかそういうものだったから、改めて告白することはできなかった。

 ちょっと無理がある言い分だとは思うが、瑞樹は追及してこなかった。


 瑞樹は黙り込んだ。

 あまりに静かすぎて、春の宵闇が体に染み入りそうだった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ