断たれるのは1
あけおめです。
久しぶりに理科室を訪れた。窓からは薄桃色に染まった桜が見下ろせ、春も半ばを迎えたということを告げている。
瑞樹のところにいくのに何度となく通ったが、改めて見るとやはり、在学中と変わっていない。
机に手を這わせる。
瑞樹とは家庭科室の一件の後、会っていなかった。花子さんに会って早く手掛かりが欲しかったし、私が一方的にもう会わないと言ったのに、自分から会いに行くというのも躊躇われた。そうこうしているうちに、もう4月だ。
稔を探さなければならないという強迫的な思いは、今は落ち着いている。あの時が異常だったといった風に。
多分、混乱していたのだと思う。
花子さんのあの、ただの謎かけのような情報の意味は、私には分からない。だが、私よりずっとここで暮らして長い彼なら知っていることもあるかもしれないと、彼を訪ねることにした。
あいつの前では言わないが、瑞樹に会う口実ができて、嬉しくもある。
……絶対に、あいつには言わないけれど。
私は最後に思い出を辿るように机を一撫ですると、理科準備室への扉を開いた。
瑞樹は机で月を眺めていたようだ。窓に向けていた視線を、私に移した。
「やはり、また来たんですか」
「あはは、また来ちゃったんです」
言いながら、後ろ手に扉を閉める。
気まずさを隠そうと冗談めかして言うと、瑞樹は微笑んだ。
「僕も、君に会いたいと思っていたんです」
「えっ? そそそそ、そ、うなんだ?」
瑞樹の口から飛び出した、意表を突く言葉にどもってしまった。
こいつはいきなり何を言うんだろう。瑞樹ってこんなやつだっけ?なんだかもっとこう……陰険でどうしようもない感じだったと思うんだけど。
変なものでも拾い食いしたのだろうか?
先々月に駆け込んだ時、仁科君のことは適当におさめておくと言っていたことを思い出す。
……一服盛られた、とか?
様子がおかしい瑞樹は、微笑んでいる。
とてもにこやかな表情なのに、どうしてだろう。
「はい。そろそろ潮時かと思っていたんですよ」
こんなに背筋が凍えるのは。
「潮、時って……。ぇ、何の?」
それを瑞樹から隠すように、私は言った。
乾いてざらついた口から出た言葉は、ひび割れてしまっていた。
うっすらと、何かの音が聞こえる。
瑞樹は微笑みを崩さない。
それは、メトロノームのように正確なリズムで。
瑞樹が。
音を刻んで。
言った。
「さようなら」
音が私の背後まで近付き、ついさっき閉めたはずの扉が荒々しく開かれる音がした。
すぐ背後で聞こえる暴力的な音に身がすくんでいると、まるで誰かに押されたように背中に弱い衝撃がかかり、私は室内へと二三歩たたらをふんでつんのめる。狭い部屋だ。瑞樹のいる机の前に、膝から崩れ落ちた。
さっきまで私が立っていた方からは、何かが振り下ろされる重い音がした。机に手をついて頭だけで振り返ると、扉前の床には深々と大鉈が突き立っていた。所々錆が浮いた刃はかなりの月日の経過をうかがわせる。だが刃先のあたりは綺麗なもので、薄明かりを浴びて鈍く輝いている。
2月に、助けられた時と同じように。
けれど決定的に違うのは。
彼が狙ったのは、私だということだった。
ここには出入り口は一つしかない。そして、その前には大鉈を携えた首なし死体が、まさに床に突き立った鉈を引き抜いて、引きずっていた。
瑞樹は私を殺そうとしているんだ。
「瑞樹、潮時ってどういうことなの!」
もう、終わりなの?
これまでの日々は、あなたにとって無意味だったの?
私は机の前に膝をついたまま、叫んだ。蛍光灯の薄明かりと、頼りない月の光が二人きりの室内をか弱く照らしている。
二人しかいない室内。
だから叫んだって、喚いたって。
聞いているのは瑞樹だけなのに。
「僕が飽きたという、それ以上の理由が必要ですか?」
彼の声が頭の後ろから降りかかる。
彼の胴体は鉈を構え直した。
もう終わりなんだと思った。
稔を見つけてあげられなかったのは心残りだし、諦めたくなんかない。
でも、そんな私の心も、振り上げられた大鉈は挫いてしまった。
あんなのを振り回されたら、私なんかひとたまりもない。
何より。
私は瑞樹にとって、その程度の存在だったのだ。
飽きたからといって壊しても、何も瑞樹が感じない程度の、ただの面白い玩具でしかなかったという、そのことが悲しい。
これで、最期なんだよね……?
私は瑞樹に向き直り、せめて彼が私の最期を覚えてくれるようにと願って、微笑んだ。
涙が出てくるのをこらえられなくて、笑顔としては出来損ないだ。
それでも、瑞樹の記憶に留まるのは。
瑞樹の心に残るのは、笑顔でありたかった。
……だって、仕方ないよね?
こんなことされて、殺されようとしている今でもね? 瑞樹のこと、恨めないの。
瑞樹のことなんか好きじゃないって、そんな気持ちは捨てて諦めたんだってさんざん言い聞かせて自分に嘘ついて。
でも、今更になってわかったよ。
私が今感じてるのが憎しみでも怒りでもなくて悲しみだっていうことは。
それは。
瑞樹が好きだから。
憎むことも恨むことも、できない。
できないんだよ。
ねえ、瑞樹。
だからね?
お願い。
そんな辛そうな顔しないで。
私を殺してあなたが幸せになれるなら、悲しくてもきっと、私は心から笑えたのに。
あなたがそんな顔してるから。
嘘つきのあなたが、嘘をつききれないでいるから。
出来損ないの笑顔の私は、瑞樹に手を伸ばして言う。
「瑞樹……」




