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朽名奇譚  作者: いちい
#2 理科準備室のホルマリン生首
53/205

修羅場に似た何か


三人称にチャレンジしてみました。

ちゃんと書けてれば良いのですが……。

初の試みなので、ちょっと心配です。




 






 背中に竹刀袋を背負った少女が、隙のない動きで室内に滑り込む。


 時刻は12時前。校内は昼休みを迎え賑わっているが、そこは同じ建物の一部とは思えないほど静かだ。少女の足音だけがその閑けさを乱しているものの、静寂を破るには至らない。

 電気はついておらず、埃っぽい空気に小さな窓からの光が当たって、ぼやけたような光線を作り出していた。


 彼女は中央の机を大きく迂回すると一番奥の棚へ向かい、まばらな専門書を几帳面に一冊ずつどかしていく。やがて、辞書が4、5冊入るくらいの隙間ができると、少女は自分にしかわからないくらい微かに息をついた。


 そこには何もない。


 やや日焼けした壁があるだけだ。


 だが、彼女の目はそこにあるものを確かに映していた。


 彼女は壁に、学生服に包まれた右手を伸ばす。

 手は壁に突き当たらず、埋まった。指先が黄ばんだ白い壁紙に接触すると、石にでもぶつかったような一瞬の抵抗の後、彼女の手は壁に飲み込まれていく。水鏡に手を差し入れるように。


 差し入れた手に確かな感触を感じ、彼女は反対の手も壁に埋める。そして両手が壁から抜かれた時、彼女の手には大きな筒状のものが入りそうな"隙間"があった。


 見えない。


 けれど、彼女には見えないはずのそこに、ホルマリンの瓶が視えていた。

 無機質な瞳で彼女を見据える、少年の生首が入った、ホルマリンの瓶が。


 彼女はそれを机に置くと、無言で背中から竹刀を抜き、ホルマリンの瓶に突きつけた。


 少年の生首はそこでやっと口を開く。


「ずいぶんなご挨拶ですね。笹野の後継者ともあろうものが、僕に用でもあるんですか?」


「…………」


 笹野 美紗は、竹刀を構える手をぶらさずに、切先を彼の眉間──もっともホルマリンと瓶越しだが──にぴたりと据えて、言った。


「……九重先輩」

「彼女がどうしたんですか?」

「とぼけないで」


 美紗は無表情に怒気を漂わせ、目を酷薄に細めた。


「先輩、傷付ける、許さない。……何、企んでる」

「さて、君が、僕が何かを企んでいると思うならそうなんじゃないですかね?」


 彼が人を食った笑みを浮かべると、美紗は不愉快そうに吐き捨てる。


「……警告。妙な真似したら、消す」


 美紗は竹刀を背中に背負い直す。


 このまま彼と話せば自分が怒りを抑えられないだろうことは、よくわかっている。怪異にとって、人を惑わせ弄ぶのは容易なことなのだ。

 ならば、冷静さを保っていられるうちに引くべきだ。釘を刺すという目的は果たした。

 先輩にとって、不幸な結末にならないよう動くことができたなら、もうここにも彼にも、用はない。


 自分たちの事情に巻き込むことになってしまった秊に、優しい結末を。

 それが彼女の願いだった。

 だから、この前校内で偶然見かけた時に、秊に妙な相が出ているのを彼女は無視することはできなかった。


 罪滅ぼしというほど重いものではないが、友人として、美紗は(みのり)のことを心配しているのだ。


 美紗は彼に背を向けて、部屋から出て行った。


 無人になった理科準備室の机の上で、瑞樹は小さく呟く。


「……消えるのが怖いのではありません。消えられなくなる日が来るのが、僕は。僕にとっては、たまらなく恐ろしいんです」


 彼は、閉じられている窓を見た。


 かつて彼は、ここから出たかった。外の世界を見たいと、願っていた。

 彼の世界はこの一室で完結しており、ただ、ぼんやりとした思考で、外は何があるのだろうかと考えていた。


 後に彼の世界がこの部屋からこの学校にまで広がった時にあったのは、しかし、絶望だった。

 自分は、自分たちはどうあがいてもこの学校から出られない。

 檻は広がろうとも、なくなったのではない。


 彼は、思う。


 僕はあの時、決めたのだ。

 出られないなら、絶望するくらいなら、もう何も望まない。執着もしない。


 いつ消えるとも知れないなら、それでも構わない。もう僕は生きない。死んだように時間を消費すれば、生きていても死んでいても同じことだから。


 全てを諦めて、楽になろうと。


 そう、決めていたのに。


「だから、僕に生きたいなんて……思わせないでくださいよ。お願いですから……!」


 彼の視界に、赤い色が混じった。


「……お願いですから。だって、もう、こんなにも」


 怖いんですから。





 笹野の後継者には釘を刺されたが、彼に計画を止めるつもりはない。止めることなど、もうどうせできやしないのだ。

 彼自身、これが正しいやり方だなどと言うつもりはない。

 だが、もう他にどうしたら良いのか、彼にはわからなかった。


 秊といる時間は本当に楽しくて、だから、もうそれを知ってしまったら、元には戻れない。でも、きっとまだ間に合う。今ならまだ間に合うはずだから。

 彼女を始末すれば、あの無為な日々に帰って、きっと緩やかに消滅に向かっていけるから。何にも、生にすら執着せずに、ただ微睡んでいたあの日々に。



 ────どうか僕の時間をこれ以上、生かさないで。



 瑞樹の唇からは、血が滲んでいた。








今年の投稿はこれで最後になるかと思います。本作を読んでいただき、誠にありがとうございました。

来年もまたよろしくお願いいたします。


ご意見ご感想等は、常時募集中です!




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