「は〜なこさん?」
花子さんがどこにいるか知らない人はいないと思う。
トイレの花子さんは、全国展開している噂だ。
小学校で、本で、または知り合いから。
どんな経路でも、100人に聞いたら99人は知っているだろう。
トイレに行って、閉まっているドアに向かって、「花子さん」と呼ぶと、「はあい」と返事が返ってくる、というパターンが一番有名だ。
追いかけてくるが100点のテストを見せると悲鳴を上げて逃げて行き、0点のテストを見せるとケタケタ笑って追い上げる、という噂など、別パターンを知っている人もいるかもしれない。
しかし。
「誰がこんなの想像するっていうの!!」
ギギィと軋みながら開いた女子トイレの扉の内側で、ご丁寧にワープロで書かれたらしい貼り紙が揺れた。
貼り紙には、『ただいま花子は留守にしております。ジャーという流水音の後に、御退出下さい』とある。
「いや待ってよ。留守だからってなんで貼り紙で済ませるの!? 気まぐれな自営業者じゃないんだから! しかもジャーという流水音の後に退出って、それ待つ意味あるの!? ついでに言うと、なんで留守電風!?」
一息に突っ込みを入れたせいで、軽く息が切れた。
どこの世界の花子さんが、こんな変な貼り紙をするのだ。
3月になって寒さも和らいできたところで、私は本格的に花子さんの捜索を始めた。
ローラー作戦を決行し、順番に女子トイレを訪ねているところだ。
これはまだ良い方で、3階のトイレではヒト違いで三本足のメリーさんが出てきてしまって撒くのに苦労したし、2階のトイレでは扉を開いたらいきなり、バネ仕掛けの赤いロケットパンチが飛び出して、顔面に痣ができた。
ちなみに三本足のメリーさんは、可愛い金髪のセルロイド人形だった。ただちょっと、二本の足の中央後ろに、人間のものにしか見えない三本目の足がくっついていたけれど。
現在、私はクッキーを片手に、1階の女子トイレに来ている。
花子さんをこれで買収するつもりなのだ。
お菓子が大好きらしい、という太郎くんからの情報を頼りに用意したは良いものの、本人に会えなくて手詰まりだ。
相手はまだ、私を避けている。
この校舎にある女子トイレは私の知る限り、全部で五ケ所。体育館、校舎の1階、2階、3階はもう何度も調べている。
プールだけは未確認だが、あそこには行けないのでとりあえず保留だ。彼らにも縄張り意識はあるようなので、私を避けるためとは言ってもプールには行かないだろう。
太郎くんが花子さんの居場所を知っていれば話は早かったのに、太郎くんは知らなかった。
「あいつにも、一人でいる時間くらい必要っすから」というのが彼の言だ。
自分で探そうにも行けるトイレはもう全部探したし、花子さんはトイレにいるのではないのだろうか。
一度出直して来ようと、保健室に戻るため廊下に出る。
私は目をこすった。
蛍光灯と夜闇で鏡のようになった廊下のガラス窓に、一瞬白いものが過ったのだ。
それが去って行った方向には、女子トイレがあった。
1階の女子トイレは、私の背にあるはずなのに。
入り口にかかっているプレートによると、そこは職員用トイレ。
迂闊だった。在学中に職員用トイレを使う機会なんてなかったから、チェックから漏れていたのだ。
白い影は……?
窓にはもう、真っ黒な背景に自分が映っているだけだった。他に誰もいない廊下で、一人っきり。
窓ガラスに映る鏡像の私が、眉をひそめた。
白いワンピースが、風に揺れる。
職員用トイレに入ると、ラベンダーの強い芳香が鼻を刺す。強すぎる香りはむしろ悪臭になっていて、鼻がむず痒い。
生徒用のトイレより利用者が少ないのと、頻繁に芳香剤を新しくしているのが原因だろう。
手洗い場の花瓶には大ぶりな赤い花がいけられているが、香りが掻き消されている。
白いタイルとクリーム色の壁のトイレは清潔に掃除されていて、三つ並んだ個室の手前二つが和式、一番奥が洋式だ。
奥のトイレの扉だけが、閉まっている。
慎重に奥の扉をノックした。
この学校で流れている花子さんの噂の作法は、『一番奥の扉が閉まったトイレの個室に行き、3回ノックしてから、花子さん、と呼びかける』というものだ。
一回、二回、三回。
しっかりと回数を数えてノックする。
唾を呑んだのは、期待からか緊張からか。
「花子さん?」
「…………」
中に誰かがいる気配はするのに、答えはない。




