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朽名奇譚  作者: いちい
#2 理科準備室のホルマリン生首
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Who is it?

Who is it?って、普通は使えないんですけどね〜。




 




 どくどくという心臓の立てる音に紛れて、恐怖で過敏になった私の耳は別種の音を捉えた。

 後方、廊下の方から、微かに聞こえてくる。

 コツン、コツン、と。革靴の足音のようだ。

 誰か、来たのだろうか。


 誰にせよ、これは好機だ。

 ここは廊下の行き止まりにあるから、足音の目的地はここのはず。うまくいけば、誰かが外から扉を開けた隙に逃げられるかもしれない。

 扉が外から開けられる保証はないが、駄目でも仁科君の注意を逸らすくらいはしてくれるのではないかと思う。


 無関係な人を巻き込もうとしているということへの罪悪感が、私の心をちらりと(かす)めた。


 音は真っ直ぐ、けれど一定の、早くも遅くもならない速度で近付いてくる。


 不意に、音は消えた。

 扉の向こうで。


 お菓子が、口を塞ぐ私の手越しに蠢いている。

 涙が出てくるのに、拭くこともできない。

 私の足が限界を迎えるのが先だった。幾つかのお菓子を巻き添えに、尻もちをついてしまう。がたんと音が響いた。

 衝撃はたいしたことはなかったのだが、お菓子を下敷きにしてしまい、柔らかいモノを潰す感触を感じて産毛が逆立った。


 『お菓子』が私に群がるのを覚悟し、ぎゅっと目を閉じる。


 そのとき不意に、自分の頭の10センチくらい上に、風を感じた。

 閉ざされたここに、どこから風が……?


 動けない私の後ろで、あれだけ開かなかった扉が音を立てて開くのが聞こえた。


 驚いて恐る恐る目を開くと、仁科君は笑みの消えた顔で、それを困惑したように見ていた。

 私も、ゆっくりと振り向く。

『お菓子』は、転んだ勢いで大半が振り落とされていた。白いどろどろしたものが、私を中心に撒き散らされている。

 残った僅かなお菓子も、あの歪なお菓子ではなく、外見上は普通のお菓子に戻っていた。


 開け放たれた扉の向こうに、華奢な体躯の人影が薄暗がりに浮かんでいる。

 顔は見えない。廊下の明かりが逆光になっているのかと思ったが、そうではなかった。その人物には、顔──それ以前に、頭がなかった。


 頭部の欠損した首なし死体。


 それが、私を救った存在だった。

 正確には、動いているから死体ではないのだろうが。


 壁に大鉈を食い込ませて、無造作に立っている。さっき感じた風は、私の頭上を鉈が薙いだときのものだったのだと、遅れて気付く。

 それが何気無く大鉈を引くと、深く食い込んでいたのが嘘のように、鉈はあっさりと壁から抜けた。


「……ああ、そっか。そうだよね。ボクの欲しいものは、いつも他の人が持っていくんだ」


 後ろから、そんな仁科君の声が聞こえた。

 諦めたかのような、必然を悲しむような。

 そんな調子だった。


 私は仁科君を突き飛ばすと、脇目もふらず家庭科室から逃げ出した。

 鉈が食い込んでいなかった壁の方から首なし死体の脇を潜り抜け、廊下を疾走する。

 私を助けた首なし死体だって、本当に助けるつもりがあったのか確信はない。あんな怪異、私は知らない。

 だが、おそらくあれは……。



 首なし死体のようなものも、仁科君も、私を追わなかった。


 私はただ、私が一番行きたいところへ。

 走る。


 おそらくそこに行けば、あの首なし死体の正体も明らかになると思う。

 あの、『首から下』だけの。


 廊下の隅にお菓子が見えたような気がして、私は思わずそれに目を向けた。

 よく見るとそれは、ただのチョコレートケーキ型のキーホルダーだった。

 誰かが落としたのだろう。お菓子型のキーホルダーというのは意外と珍しくない。


 持ち主からはぐれてしまったキーホルダーは、なんだか寂しげに見えた。


 ……仁科君も、寂しかったんだと思う。

 どういう理由で彼があそこに居続けているのかは私には推し量れないが、彼は一人でいるのが嫌だったのだろう。

 私はだが、稔を探すためにも、ずっとあそこにいてあげることはできない。


 だから。


 長い長い廊下の上で。

 等間隔に照らす蛍光灯の光の下で。

 私は走りながら祈った。


 仁科君の孤独を埋めてくれる人が、いつか現れますように、と。


 私の友人だった彼のために。


 手の中のクッキーの袋は、3つのうち1つは、中身の大半が砕けていた。


 1つは、花子に。

 1つは、自分に。

 1つは……仁科君にと、用意したものだった。


 永遠に、最後のクッキーが彼に届くことはなくなってしまった。


 私は足を緩めることなく、キーホルダーを一瞥して通り過ぎた。





 ためらいがちに、理科準備室の扉を潜った。

 独特の空気に触れたとたん、私の胸に懐かしさがじわりと沁み渡る。


 彼は、机の上で、月を見ていた。

 弛緩した、茫洋とした表情で。

 瑞樹のこんな顔を見るのは初めてで、思わず凝視してしまう。


 が、瑞樹が私に気付いて話しかけた時にはもう、その表情は消えていた。


「おや、もうここには来ないんじゃなかったんですか?」


 意地悪く、彼は尋ねた。

 ねじくれてねじくれて、雑巾絞りされたような彼の性格にはぴったりな言い方だった。


「気が変わったの」


 そう言うつもりだった。

 なのに、全力疾走の名残りで乱れる呼吸のせいで、喉からはかさついた息が漏れるだけだった。

 代わりに瑞樹のいる机まで歩いていき、机に手をついて息を整える。俯いた視界に、ジャージの裾が、そして、小豆色を覆い隠す、白い脂が目に飛び込んでくる。


「────っ!!」


 嘔吐感に耐えるため、口を手で覆った。

 意図せずして、先程と同じ姿勢になった。


 ここは、あの魔女の竈ではないのに。


 膝の力を抜いただけ、というふうに、私は椅子に倒れ込んだ。


 クッキーの袋を机に避難させる。

 ごとん、という音に頭を動かすと、すぐ横に、さっきまでなかったはずの青いゴミ箱が出現している。これは理科準備室の隅にあったもののはずだ。


「ぁ、ありがとう」


 吐き気の合間に呻くように礼を言い、ゴミ箱を抱え込む。精神的なものだからすぐ治るとは思うけれど。


 瑞樹はにやりと笑った。


 私だってこれくらいは気づく。だって、もしこいつに物を動かすことができないなら、いつも机の上にいるのはありえない。こいつの出没場所が隠し棚というのは噂で広まっているんだから。


 瑞樹には手を触れずに物を動かす何らかの手段があるのだろう。

 胴体はいつも徘徊しているようだし。


「部屋を汚してほしくなかっただけですよ」

「……そうじゃないの。家庭科室、の、ほう、っぷ……」


 吐き気で言葉が不自然に切れてしまった。

 今のところ、ゴミ箱の中身は空だ。このまま堪えきれれば良いのだが。


「家庭科室?」

「来たでしょ? ただし、首から下だけで。足音だけじゃ分らなかったけど、あれを見ればさすがにね」


 首だけの瑞樹。

 首がない死体のような何か。


 そして、彼の胴体は切断されたという以上には言及されていない。

 廊下をうろついているわけは知らないが、あれは瑞樹の首から下、胴体部分なのだろう。


 瑞樹も肯定した。


「当たりです。それにしても、実に運が良い」

「間に合ってくれて良かったけど、もっと早く来て欲しかったよ……」

「いえ、そういうことではありませんよ。アレは(いささ)か操作性が悪くて、僕から離れた場所だと、特定の対象だけ攻撃するなどといった器用なことができないんです」

「もしかして、扉ごと私の体がばっさりいったり……?」


 彼は満面の笑みをうかべて頷いた。


 嘔吐感が強くなったような気がするのは気のせいではないだろう。


「……うっぷ」

「保健室に戻ったらどうですか。その有様では無茶はできないでしょう。家庭科室の方は、僕が適当に場を収めておきます」


 笑顔で言う彼の周りに、あのドス黒いオーラが立ち上っているような気がする。

 いつもなら、どう『適当に場を収める』のか具体的に教えてもらいたいところだが、今日のところは頷く他はない。


「……うん、そうする」


 ゴミ箱を放して、立ち上がる。

 そのまま保健室に向かおうとしたが思い直して、その前に無事な袋を一つ、机に載せた。


「これ、あげるよ。あまっちゃったし。お礼ってことにでもしておいて」


 仁科君にはあげることができなくなってしまったし、自分用は砕けたクッキーで充分だ。


 自分の行動が無性に照れ臭くて、私は瑞樹の方を見もしないで足早に立ち去った。







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