クッキング☆タイム2
ここに来るまでに、様々な障害があった。
異物混入を阻止すること数回。
期待の視線を黙殺することは、もう数えることすら放棄した。
オーブンで無事に甘い匂いを放って焼きあがっていくクッキーを、万感の思いで、しゃがんで覗き込む。
透明なガラス越しに、まだ薄黄色い生地のクッキーが天板の上で並んでいるのが見える。
こういうガラス面は飛んだ油やうっかり落とされた生地で汚れているものなのに、この家庭科室では曇り一つない。中が確認しやすくて助かる。
仁科君が掃除をしているのかもしれない。
それにしても。
今焼かれているのは、怪しげなバニラエッセンスも、洋酒も、ココアの粉も入っていない、いたって普通、むしろ面白味のないほどにベーシックなクッキーだ。
「やっぱり物足りなくないかな? 焼きあがってからでも良いから、チョコレートのデコレーションとか……」
不満を目尻に刻んで、未練たらしく仁科君が言った。
右手には知らぬ間に、パステルカラーのピンクとホワイトのデコペンが握られていた。
「余計なものはいらない」
「でも、ボクは……」
「いらない」
しゅんとしてしまった彼には悪いが、異物の入ったクッキーをあげては仲良くなるどころか嫌われてしまうだろう。
あと、余りは自分で食べるつもりだから、私はまだ逝きたくない。
生地はオーブンに入れたばかり。
焼きあがるまで、まだ時間があるはずだ。
机の下に押し込まれていた木の丸椅子を引き出す。オーブンの綺麗さに比べ、こちらは割に古びていた。
座りながら仁科君に目配せすると、彼も私と斜向かいの椅子を引き出して座った。
二人とも落ち着いたところで、時間つぶしにと、仁科君に話し掛ける。
焼き時間は、奥の黒板の上に掛け時計が置かれているから大丈夫だろう。
「仁科君、さっきから何種類もデコレーションの材料出してるよね。趣味にしても、種類が多すぎない?」
私に話し掛けられて、仁科君は尻尾を振る犬のようにつぶらな目を向けた。
「えっとね、家庭科室にあったやつだから、ボクが揃えたんじゃないんだよ」
「……まさか、表の家庭科室のを取ってきちゃったの?」
家庭科室にならあってもおかしくはないが、備品にしても種類が多過ぎる。
とすると、どこから調達しているのだろう。
彼は穏やかに微笑んだ。
「まさか、そんなことしないよ。ボクも知らない間に、気がつくと冷蔵庫に補充されてるんだ」
「げっ……」
女の子らしからぬ声を発してしまったが、容赦してほしい。
まさか、『異物』が『出処不明の異物』にレベルアップしてしまうとは……。恐るべし。
何からできているのか知らないが、それで見た目や味は普通のものと同じらしいというのがさらに不気味だ。
瑞樹に教えられた『食べた者を裏側に引きずりこむ』効果を抜いても、絶対に食べまい。
「仁科君、平気なの?」
「…………? ちゃんと美味しいよ?」
そんなものを食べてしまって大丈夫なのか、という意味だったのだが、彼は味に対する心配だと思ったようだ。
「そうじゃなくて……」
私は言い淀んだ。
何を私が言いたいのかが上手く伝わらないらしく、彼は少しだけ首を傾げる。
「そんなに拘ることかな、材料なんて。ちゃんと使えて味もおかしくない。それだけで充分だと、ボクは思うな」
「あんなにお菓子好きなのに、材料には産地のこだわりとかないの?」
「だってさ、意味ないでしょ?」
仁科君が口元だけで笑いながら、頬杖をついた。
「ここからボクは出ない。この家庭科室だけが、ボクの居場所なんだよ。だから外の材料なんて手に入らないし、考えるだけ無駄なんだ」
彼の表情はにこやかだった。
いつも通りに、明るく楽しげに、彼は言った。
まるで、自分のいっていることが聞こえていないみたいに。
『ここから出られない』ではなくて、『出ない』。
瑞樹は出られないことを悲しんでいるみたいだったのに、彼はそうではないのだろうか。
『仁科君は、ここから出たくないの?』
そう尋ねようと思った。
けれど、そう、タイミングが悪かったのだろう。
もしかすると、わざと私の問いかけを遮ったのかもしれない。
とにかく、まさにその時。彼は振り返って時計を見て、声を上げた。
「あっ、そろそろ焼けたと思うよ」
会話はそれで打ち切られてしまった。
肩透かしをくった私は尋ねるのを諦め、時計を見る。 確かに、良い頃合いだ。
言われてみれば、バターのきいた甘い匂いが漂ってきている。
立ち上がってオーブンを覗くと、クッキーは良い具合に焼き色がついていた。
予め用意しておいたミトンを手にはめて、オーブンを開き、天板を机に取り出す。一層強い匂いが、空気に広がった。
「良かった、成功だ……」
ハードルを上げられてしまったから、失敗できないと気合いを入れて作った。結果は失敗しない、というラインを背面跳びしたくらいの成功だ。
「うん、美味しそうだね」
仁科君も、楽しげに同意してくれた。
冷めるまでしばらく待ってから、私はラッピングに入った。
私は包装にまでは気が回っておらず、彼が「ボクが使ってるの、あげる」というのを受けるか、藁半紙に包むかという究極の選択を強いられそうになった。
レジ袋をあさったらラッピング用品も奥の方にさりげなく入っていて、キリスト教徒でもないのに手を組んで跪き、祈りを捧げてしまった。
後で美紗ちゃんにお礼を言おう。仁科君はまた残念そうにしたけれど、そんなことは知らない。
私は、命を大事にする主義なのだ。
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