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朽名奇譚  作者: いちい
#2 理科準備室のホルマリン生首
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迷走2



 颯太からも逃げ、私は校舎をあてもなく彷徨った。


 もう校舎のほとんどを網羅したと言って良いくらい、探し尽くした。

 それでも稔はどこにもいない。


 もう、疲れてしまった。


 足を止めた階段の踊り場で、大鏡が目に入る。


 ここに来た日、颯太に会ったのはここだったな。鏡にしか映らない私に驚いていたっけ。


 鏡を覗き込む。

 当然そこには私自身が映るはずだ。


 だが、鏡に私の姿は映らない。


 私の姿を覆い隠すように、鏡は白い大蛇を映し出していた。


「……え?」


 赤い目を鋭く夜闇に光らせて鎌首をもたげ、一部しか鏡に入り切れない巨体が私と鏡の間、1メートルはあろうかという幅を埋めている。階段を這っている体はうねり、口の隙間から舌がちらちらとはみだす。


 私は動けない。


 目だけを動かして廊下を探る。

 蛇の姿はない。静かな朝の廊下は、見通せる限り、誰もいない。


 大蛇は、鏡の中だけに存在している。


 蛇が、口を開いた。白い牙が生えている。

 虫歯も無さそうな、良い歯だ。


 ……って、いや、虫歯はどうでも良くて。


 この蛇には見覚えがあるような気がする。

 言いようのない既視感に、思考が揺れる。

 どこかで、でも、どこで?


 こんなインパクトのあるもの、早々忘れないと思うのだけれど。

 深く考えると、頭が割れそうに痛み始める。稔のことを思い出した時も、こんなことなかったのに。



 ────え、ちょっと待って。

 自分の思考にストップをかける。


 さっき、何て思った?

 『稔のことを思い出した時も』?


 なぜ私が、これは『思い出そうとしたこと』が原因の痛みだとわかったの?

 私が、私が忘れていたのは、稔のことだけじゃないの? 


 答えはない。

 それも当然だ。だって、私以外に答えられる人は、いるわけないんだから。


 痛みは弱まる気配すらない。


「私は…………忘れちゃったの、それとも、忘れたの?」


 置かれた状況も忘れて、小さく呟く。

 かつての自分は、どちらだったんだろう。


 思考が白蛇から逸れていくにつれ、痛みは和らいでいく。


 ……多分、私は『忘れた』。忘れたかったんだ。


 落胆に近い失望が湧き上がる。

 私は目を閉じた。


 すぐそこにある脅威から意識を逸らすなんて自殺行為だといつもなら思うところだけれど、白蛇は牙を見せてシュー、シューと呼吸するだけだった。

 今すぐに仕留められるということはなさそうだ。


 決断を、待っているのだ。


 そう思った。


 この蛇は、私が忘れたかったことを知っている。


 私は思い出すべきだ。

 でも……まだ、その勇気はない。


 あんなに必死に稔を探したがっていた私が、忘れたいと思うような記憶。

 それを受け入れる余裕は、まだない。


 稔、ごめんね……。


 そう呟き目を開くと、私の思いを汲み取ったかのように、鏡の中から大蛇の姿は消えていた。

 幻のように跡形もない。あっけない消失。

 けれど、あれは現実だ。


 あんなに残酷なのは……現実以外にはありえない。


「私、最低だ」


 稔を探すと言いながら、都合の悪いことには耳目を塞いだ。


 そうだ、花子。あの子なら、稔の居場所を知っているかもしれない。


 自分で思い出さなくても、知っているヒトを探せば……。


 花子を懐柔するために、お菓子の材料を用意しておいたはずだ。保健室の冷蔵庫にしまった覚えがある。


「保健室、か……」


 アリスと顔を合わせるのは気まずいけれど、稔を探すのに必要ならやらなくては。



◆◇◆◇◆



 保健室で、アリスが泣いていた。

 机に腰掛けて、目を擦り、しゃくりあげている。


 私はそっと彼女に近づいた。


「アリス」

「……え? …………えええ!?」


 人形なのに目を赤く腫らしたアリスが振り向いた。顎が外れないか心配になりそうなくらい口を開けている。


「あ、あんた……。今までどこ行ってたのよぉ……!」


 アリスは小さな歩幅で駆け寄ってきて、私にしがみつく。


「ちょっとね。それより、今度は家庭科室に行くの。ここには物を取りに来ただけだから。どいてくれる? そんなにひっつかれると動けないよ」

「嫌。分かってるわよ、どうせずっとロクデモナイ生活してたって。だから、一回ちゃんとここで寝て休みなさいよね。ニンゲンは、あたしたちと違って、ずっと脆いんだから」

「でも……」


 彼女は私から剥がれると、人差し指を伸ばして私に突きつける。


「でももカモシカもないわ。あんたが何を見つけたのか、あたしは知らない。それでもね、そんなへろへろしてたら何にもうまくいかないってことは、よぉく知ってるのよ」


 へろへろ……。


 自分の姿を顧みる。

 濡れっぱなしの、泥やら何やらで薄汚れたワンピース。

 ぼさぼさの髪。

 泣き腫らして、赤く腫れ、厚ぼったい瞼。

 手足にも、大小の擦り傷や木の枝か何かで引っ掻いたような傷が散在していた。


「……台無しだね」

「ええ。女の子捨ててるわ」


 アリスは顰めっ面で同意しながら、引き出しからださい小豆色のジャージを引っ張り出した。

 どうやら私は、あれに着替えないといけないらしい。


 私はそれを見て


────少し、笑った。






ちょっと前から、活動報告始めました。



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