迷走1
稔のことを思い出してから、私はずっと校舎を走り回っていた。
去年の祭りの日、不良に追われて逃げ込んだ学校で、稔は消えてしまったのだ。
私のせいだ。
私はちゃんとしいてなかったから。
私が一人で不良に対処できてれば、稔はあそこで笑っていられたのに。
けれど、どこにも稔はいなかった。
昼も夜も。
表も裏も。
どれだけ探しても見つからない。
瑞樹のところにも、もうしばらく通っていない。それどころか、保健室にさえ、もうずっと戻っていなかった。
頭を占めるのは、稔のことばかり。
私が瑞樹と話してた時。
アリスと笑っていた時。
稔はどうしてたの?
一人ぼっちで。
誰も知り合いがいなくて。
笑えてたはずないじゃない。
頬に冷たさを感じて空を見上げると、雨が降り出していた。
雨足は強くなっていき、じきに本降りになった。
私は濡れるのも構わず、捜索を続ける。どうせ風邪なんかこちらでは引かないのだ。服が重くなるだけなら、どうだって良い。
一月もこんなことを続けていた私は、ふらふらとまたあてもなく歩き出した。
校舎に入ろうとすると、何かに手首を掴まれる。
掴む腕を辿るように視線を上げて手の主を認め、緩慢に瞬きをする。そこにいたのは颯太だった。
「姉さんどうしたんだよ、その格好」
強い口調で、颯太は問い詰める。
「だって……稔、稔を探さないと」
「姉さん、思い出したのか」
強引に颯太は私の手を引き、校舎裏に誘導する。
抵抗する気力も、訳を問う気力もない。
もうどうでもよかった。なすがままにされていると、颯太は険しい顔で私と向かいあう。
「颯太、稔がどこにいるか知らない?」
「稔は失踪したことになってる」
「違う、違うの、稔は私のせいでいなくなっちゃったから、だから探してあげないと……」
失踪したはずがない。
だって稔は、私のせいでいなくなったんだから。
颯太は舌打ちして言う。
「稔なんか探してやる必要ない」
「どうして、そんなこと言うの!」
自分でも意識せず、手が上がった。彼に振り下ろされるであったろう手は、しかしながら苦々しげな表情の颯太自身の手によって阻まれる。
「姉さんがこうまで思いつめてるなんてな。笹野神社のお守り、買っといて良かったぜ。1個1万円って聞いた時は確実にぼってると思ったが、あながちそうでもないみてえだ」
「お守り……」
颯太がちらりと一瞥した学校指定の鞄には、神社でよく売っているようなお守りがぶら下がっていた。
「笹野とオハナシして、どうにか姉さんを見守れる方法がないか聞き出したんだ。そしたら笹野神社のお守りがあれば、なんとかなるかもしれないって言われた」
1万円でどうにかなるんなら安いもんだぜ、と彼は続ける。
「稔がいなくなったのは姉さんのせいじゃないし、仮にそうだとして稔が帰ってこなくても俺はむしろ嬉しいだけだ」
「なんてこと言うの、稔は……」
「いつもそれだろう!」
私の言葉を遮って、颯太は叫んだ。
「いつだってそうだ。あいつは姉さんの弟だからって、それだけでいつもいつも……!」
颯太はいつも良い子だった。なのにこれはどうしたことだろうか。
稔がいなくなっても嬉しいだけだ、とか、そんなこと、颯太が言うはずないのに。
颯太は虚ろに笑う。
その姿が、文化祭での彼と被った。
「俺はあいつがいなくなって、すぐに気付いた。何かおかしいって。だって、完璧で最高な姉さんから離れて消えて、その上姉さんに心配かけるなんて異常だもんな」
彼の顔が歪んでいく。例の、泣いているのか笑っているのか判別できない表情だ。
「朽名祭から姉さんの様子がおかしいのにも、すぐ気付いた。だけど、俺はあえて言わなかったんだ。だって、これでこれからは俺が姉さんの一番でいられるんだ、だから……!」
颯太は私ににじり寄り、逃げ道が塞がれた。
彼の両手で囲われ、校舎の壁に追い詰められる。
「なあ姉さん、俺は姉さんが好きだ。姉さんも俺が好きだよな、だって一番姉さんを愛してるのは俺なんだから」
泣いているような声だった。
颯太は何を言っているのだろう。
颯太は私の弟のようなもので、それ以上でもそれ以下でもない。
ずっとそうだった。そして、これからも。
颯太とは仲が良いって思い込んでた。でも、多分違ったんだ。
現に、私は颯太の気持ちに気付かなかった。
私にとって颯太は、『良い子』。それだけでしかない。
私は颯太を、見ていなかったんだ。
表層だけしか見ず、理解しようともしなかった。
彼は私を完璧、至高とか大げさなことを時々言っていたけど、多分それは違う。
私は自分以外に興味がなかった。
だから、稔のことの他では、自分のことだけ考えてその場限りの付き合いばかりして。
相手が欲しい言葉だけを吐いて、自分に都合の良いことばかりを聞いて、やりたいことだけをやった。
だから執着なんてしない。
だから拘らない。
稔だって、もしかしたら……。
颯太の顔が近付いてくる。
瑞樹は、こんな私をみたら笑うだろうな。『無様ですね』とか言って。
私は颯太を思い切り突き飛ばした。ここで颯太を受け入れることは、私にはできない。
私は逃げた。
颯太からも。
どこにも行く場所なんてないのに。
颯太の声が、駆ける私を追いかける。
「姉さん、俺は諦めないぜ」と。




