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朽名奇譚  作者: いちい
#2 理科準備室のホルマリン生首
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クリスマス1

 






 まだ月が変わったばかりだというのに、校舎の窓から見える景色は気の早いことにクリスマス一色に染まっていた。


 校外のあちこちに、電飾の明かりが木々の上で瞬く。

 ここまでは聞こえてこないが、たぶん街中にはクリスマスソングが流れていると思う。

 もし私が表側にいたら、生徒たちの同じように白い息を吐きながら冬服に身を包んでいただろう。

 私の服装はここに来た時と全く変わらない、白いワンピースと靴だ。

 少し寂しいような気がしてくるけれど、寒さを感じないという恩恵もあるので相殺ということにしておこう。


 私は廊下を早足に進み、理科準備室に入った。

 今日も瑞樹は机の上にいて、ぼんやりと窓の方を眺めている。


「こんばんは、瑞樹」


 そう声をかけると、瑞樹はこちらに首を向けた。


「ええ、こんばんは」


 私は椅子に座り、瑞樹の見ていた方をちょっと見てみた。


 難しい顔で窓の外を観察している瑞樹が、ぽつりと漏らす。


「あの光は何でしょう?」


 私に尋ねたというよりは、不思議で仕方なくてつい溢したという風だった。


 窓の外に目を向けると、商店街の街明かりに混じって、赤や緑を基調としたイルミネーションが遠くに見える。

 この時期なら、集客のため、あるいはお祭りムードに便乗するため、商店街の人はこぞって店を飾り立てる。一際強い輝きは、この時期だけ飾り立てられたツリー(ただしもみの木ではない)だろう。


「電飾だと思うけど」

「電飾?」

「えっ、だってもうじきクリスマスでしょ?」


 瑞樹の戸惑った表情の意味が分からず、私は困惑する。


「……クリスマスはわかるよね?」

「……いいえ」


 クリスマスを知らない?

 信じられない。

 日本人なら誰でも知っている一大イベントなのに。


「僕は、この学校から出たことがないので」


 瑞樹は、少し寂しげに言った。


「ここの怪異は2種類います。噂が先か、それとも後か、という点ですが。僕は前者ですね」

「噂が先だと、何かあるの?」

「後者だと元になった人物が変異することになります。しかし、前者はここで生まれるので、言葉こそ話せても得られる知識は限られてきます」


 学校から怪異は出られなかったはずだ。

 ということは、ここで生まれたタイプ、噂が先の怪異は、この学校内で得られる知識しか持っていないのか。


「クリスマスも、単語としては聞いたことがあるんですが意味が分からなくて。それで、クリスマスとは何ですか?」


 日常的に使う言葉を説明するのはなかなか難しい。

 私はひとしきり唸ると、なんとか世間一般の常識と思える定義を捻り出す。


「あっ、えっとねえ。簡単に言えば、12月のイベントかな。元はキリスト教系の行事なんだけど、日本では家族とか恋人、友人と一緒に過ごす場合が多いね」


「……君は、クリスマスをどう過ごしていたんですか?」

「私? 私は家族、と……。…………あれ?」


 クリスマスはいつも、家で過ごすことになっていた。

 世間一般からすると寂しいのかもしれないけれど、我が家では皆で集まって、ブッシュドノエルを食べることになっているのだ。


 去年もそうだった。

 パパとママと、私。


 でも、ケーキはいつもと同じ店のなのに、美味しくなくて。

 砂みたいだった。


 それは、足りないからで。


 ラウンドテーブルを囲む4脚の椅子。

 そのうち一つだけの空席の前に、甘い物が好きだったあの子のため、特別大きく切り分けられたブッシュドノエル。

 私の記憶の中で、パパは眉に皺を寄せていて。

 ママは右手で顔を覆って嗚咽を漏らしていた。


 黒いぐちゃぐちゃした影が、私の追憶の中で、あの子の席を席を埋めている。子供がクレヨンで、そこだけ塗り潰したみたいに。


 駄目だよ?

 だって、そこには『(みのる)』がいなきゃ。


 毎年クリスマスにケーキを切るのは、あの子だったんだよ。


「あ…………」


 ああ、なんで私は忘れられたんだろう。


 心が。


 軋む。


 どうしようもなく、心が痛い。

 痛くて痛くてたまらない。


 忘れられていたことが、信じられなかった。

 薄情にもほどがある。

 あんなに大切だった、はずなのに……。


「ごめんなさい……」


 涙が頬を伝っていくのが、温度でわかる。

 ぼやけて焦点の合わない目。

 罪悪感で、胸がいっぱいになる。


 それはとても重かったけれど、私はその重みに充足感を感じていた。

 だって。

 これは、なくしたものの重みだから。

 それだけ私にとって重いものを取り戻せたんだと、安心したのだ。


「ごめんね、ごめんね……。もう、もう忘れたりなんてしないから……。ごめんね……」


 ただただ詫びることしか、私にはできなかった。


 瑞樹が息を飲む気配を感じた。


 私はそれでも、詫び続ける。

 胸にわだかまる重みは私の心を潰しそうだった。

 だからこそ。

 私には、詫び続けることしかできなかった。


 表情筋が痙攣する。

 口元は勝手に弧を描き、なくしていた記憶を見つめる瞳は瞬きすら許されず、見開かれる。


 謝罪だけが、私の心に満ちていく。


 瑞樹はそんな私を、初めは驚きで目をみはり、そして今では実験動物を見る科学者のように観察していた。

 楽しくてたまらないとでもいうように、微笑みを浮かべて。





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